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子どもの人権と少年法に関する特別委員会

子どもの人権と少年法に関する特別委員会

 

少年事件の公開・開示をめぐるQ&A

はじめに

過去に、いくつかの少年事件に関して、少年の実名や顔写真、供述調書などが報道される事態が生じました。また、最近も重大な少年事件で、あえて少年の実名や顔写真を明らかにする報道をしたマスメディアがあります。弁護士会は、少年を特定できる情報の報道は少年法61条に違反し、少年の成長発達を援助するため審判を非公開とした少年法の趣旨に反すると指摘してきました。
同時に、国民の知る権利や報道の自由を尊重することや犯罪被害者への情報開示の充実が大切なことは言うまでもなく、このことと少年法の理念・趣旨との調整をどのようにはかっていくかについて、より突っ込んだ議論が必要です。
このQ&Aは、これらの問題について具体的に検討し、できるだけわかりやすく解説するよう努めました。Q&Aを最初に出したのは2000年2月でしたが、その後、少年法の改正に伴い、2005年8月に一部を改訂しました。このたび、それ以後の少年法改正を踏まえて、再度改訂を行うことにしました。このQ&Aをきっかけに、広く少年事件情報についての議論が起こり、コンセンサスが得られることを心から期待します。

2013年11月

 
質問一覧
Q1 少年が犯罪など非行を行った場合、家庭裁判所で審判を受けるということですが、審判手続とはどのようなものですか。
Q2 少年の審判手続が成人の裁判と異なり公開されないのはどうしてですか。
Q3 マスメディアが少年の顔や名前を報道することは少年法61条によって禁止されているということですが、報道機関が少年を特定する情報を得た場合、それを報道機関の価値基準に基づき報道することは、報道機関の権利ではありませんか。
Q4 少年は自分が重大な非行を犯しても名前や顔写真が掲載されないことを知っているので、自分自身にブレーキがかけられないのではないですか。ひいては少年法がこのように少年を甘やかしていることが少年事件の凶悪化の原因ではないですか。
Q5 私は、顔も名前も公表すべきだと思います。どうして被害者の顔や名前が公表されるのに、少年の名前や顔を公開してはいけないのでしょう。国民の知る権利だと思います。
Q6 凶悪な少年事件が起こった場合、私は事件の背景をすべて知りたいと思います。名前や顔はともかく、家族関係、学校での様子等、事件に関する事実のすべてがマスメディアの報道によって国民に公開されてこそ、社会が少年たちを取り巻く環境を整備できるのではないでしょうか。
Q7 最近、世間の耳目を集めた事件の犯人とされている少年の名前や写真が、インターネットで発信されることがありました。このように、個人が少年を特定する情報を公開することに問題はないのでしょうか。
Q8 以前、凶悪事件の少年の供述調書が雑誌に掲載されて公開されました。生の調書が公開されることによって、凶悪事件の少年がモンスターではなく、普通の少年であると理解できることもあるのですから、供述調書を公開するのはよいことではありませんか。
Q9 アメリカやイギリスでは10歳くらいの少年でも凶悪で残忍な事件を起こした場合は、顔も名前も公表されています。国際的動向から見ても日本の少年法は問題があるのではないでしょうか。
Q10 最近、凶悪事件の審判要旨が家庭裁判所により公開されていますが、どういう基準に基づいて公開しているのですか。
Q11 審判の要旨だけでは事件の全貌がよくわかりません。家庭裁判所は、少年の氏名や住所を除いた上で、審判全文の公開をはじめ、審判の進行状況、審判記録、処遇先の情報など少年審判の全ての情報を公開すべきではないでしょうか。
Q12 少年非行の被害者や遺族が、犯人についての全てを知りたいという願いは当然で、被害者の権利として保護されるべきではありませんか。
Q13 被害者及び家族は、少年非行の加害者についての情報は早い段階で捜査機関から入手したいと思います。しかし現在、被害者に対する情報開示の有無及び範囲については、はっきりした規定がないようです。すべての捜査機関が、被害者及びその家族に対して加害少年についての情報を開示すべきではありませんか。
Q14 現行の少年法では被害者及び家族の少年審判の傍聴には大きな制限があり、どんな事件でも傍聴できるわけではありません。一方、犯人が成人の場合は、被害者や家族は制限なく傍聴することができます。少年審判でも、刑事裁判と同じように被害者や家族は制限なく傍聴できるようにすべきではありませんか。
 

1 少年が犯罪など非行を行った場合、家庭裁判所で審判を受けるということですが、審判手続とはどのようなものですか。

審判手続とは
成人が罪を犯した場合、刑事裁判を経て判決の言い渡しを受け、刑罰を科せられることになります。これに対し、少年が非行を行った場合は、少年法に基づき、家庭裁判所において、少年事件を専門に扱う家庭裁判所調査官が少年の生育環境や非行内容を充分に調査します。こうした調査の後、少年は「審判」を受け、そこで刑罰ではなく「保護処分」の決定を言い渡されることになります。この少年審判は、刑事裁判と違って原則として検察官の立ち会いがなく、また非公開とされています(少年法22条2項)。
ただ少年であっても、14歳以上で、かつ家庭裁判所が成人と同じ手続を受けるべきと判断した場合や、16歳以上で故意の犯罪行為により人を死に至らしめた場合は原則として、成人と同様に刑事裁判を受けるとされています。
このように、同じように罪を犯しても、成人と少年ではその後に受ける手続が異なります。それは、現行の少年司法手続が、少年の可塑性を信頼し、少年に援助・教育を与えることで、その立ち直りを助けようという「保護主義」という理念に根差しているからです(少年法1条)。

少年事件手続きの流れ(犯罪少年の場合)
図1少年事件手続きの流れ(犯罪少年の場合)

保護主義とは
ここでいう「保護主義」とは、簡単に説明すると以下のような内容です。
少年は一般に、精神的に未成熟なうえ、環境の影響を受けやすく、たとえ非行を犯したとしても、それは深い犯罪性に根ざすものではありません。したがって、成人と同様に非難を加え、刑罰という厳しい手段によって責任を追及することは必ずしも適切ではありません。また、人が犯罪に及ぶ原因については、古くから議論されているところですが、少年が非行に及ぶ原因は、主に家庭環境や社会環境などの生育環境、少年の性格や資質といった、少年本人のコントロールが必ずしも容易でない要素が大きく影響していると言われています。精神的に未成熟で、まだ完全に人格が形作られていない少年は、成人に比べて、性向や行動形式がその後著しく変化を遂げる可能性(可塑性)をもっています。こうした可塑性に富んだ少年たちに成人と同様の刑罰を科したところで、必ずしも犯罪を抑制することにはつながりません。逆に、「犯罪少年」とレッテルを貼られたり、成人の犯罪者に接触したりして、犯罪性がどんどん進んでいったりするおそれも否定できません。
むしろ、その少年に適した良好な環境と、きめ細かな処遇を用意し、その少年の問題性に的を絞った福祉的・教育的な働きかけを行うことによって、その少年がみずから改善・更生することを援助する方が、犯罪の抑止にとって効果的であり、少年本人だけでなく社会全体にとっても有益だと言えます。
そこで、現行の少年司法手続は、非行を犯した少年の生育環境や、犯罪に至った経緯などを科学的に調査して、その対策を検討し、その少年に必要な教育的処遇を行うことで非行の原因をとり除き、少年の立ち直りを助けることとしたのです。この考え方が「保護主義」と呼ばれるものです。

「保護主義」は子どもについての普遍的原理!
このように「保護主義」とは、少年の更生に最も効果がある考え方であるからこそ、現行の少年司法手続の中に採用されているのです。これにより、子どもが健全に成長し発達を遂げる権利(成長発達権。憲法13条の幸福追求権、憲法26条の教育を受ける権利などから導かれると考えられ、子どもの権利条約6条の、「子どもの生存及び発達を可能な限り最大限に確保する」という規定からも読み取ることができます)が最大限に尊重され、より多くの健全な社会人が世に送り出されることになります。そしてその結果、犯罪の少ない住みやすい社会が実現し、全体として私たちの福利も増大するのです。
国際条約を見てみると、わが国も批准している子どもの権利条約は、「子どもに関するすべての措置をとるに当たっては...子どもの最善の利益が主として考慮されるものとする」(3条1項)、「締約国は、子どもの生存及び発達を可能な最大限の範囲に置いて確保する」(6条2項)、「締約国は、刑法を犯したと申し立てられ、訴追され又は認定されたすべての子どもが尊厳及び価値についてのその子どもの意識を促進されるような方法であって、その子どもが他の者の人権及び基本的自由を尊重することを強化し、かつ、その子どもの年齢を考慮し、さらに、その子どもが社会に復帰し及び社会において建設的な役割を担うことがなるべく促進されることを配慮した方法により取り扱われる権利を認める」(40条1項)と規定しています。
また、子どもの権利条約を具体化した重要な国際準則である、少年司法運営に関する国連最低基準規則(北京ルールズ)は、「少年司法システムは、少年の福祉に重点を置いたものでなければならず、また少年犯罪者に対するあらゆる反作用が、常に、犯罪者および犯罪に関する状況の双方に比例することを保障しなければならない」(4.1)、「手続は、少年の最善の利益に資するものでなければならず、かつ、少年が手続に参加して自らを自由に表現できるような理解しやすい雰囲気のもとで行われなければならない」(14.2)、「少年の福祉は、その少年の事件を考慮するにあたって指導的な要素でなければならない」(17.1(d))と定めています。
このように、「保護主義」は子どもの権利宣言というべき子どもの権利条約でもその理念が謳われている、子どもについての普遍的原理であり、一部で誤解されているように、決して少年を「甘やかす」ための理念ではないのです。少年法1条は、法律の目的として、「少年の健全な育成を期し、非行のある少年に対して性格の矯正及び環境の調整に関する保護処分を行う」と規定しており、少年法の目的が、「保護主義」の理念の実現にあることを明らかにしています。なお、この条文の「少年の健全な育成」という言葉は、今日では、「子どもの成長発達権の保障」と言い換えることができるでしょう。
現行制度のもとでも、これまで多くの非行を犯した少年たちが立ち直りを果たしてきており、この「保護主義」にもとづいた処遇が、何よりも少年の更生に役立つことが実証されています。図2に示すように、生まれた年別のわが国の非行を犯した少年の率は、最近ではおよそ15歳から16歳をピークとして、以後年齢を追うごとに低下しています。つまり、15歳、16歳の時に非行をした少年の多くが、少年法が定める制度のもとで処遇されたあとは、再非行をしていないということです。これは、現行少年法が少年事件に適切に対応し、少年たちの改善・更生に役立ってきた証左といえるでしょう。


図2 非行少年率の推移(平成24年版犯罪白書 「非行少年率の推移」より引用)

2 少年の審判手続が成人の裁判と異なり公開されないのはどうしてですか。

少年審判の非公開原則
少年法22条2項は、「審判は、これを公開しない」として、少年審判手続を非公開としています。
他方、憲法82条は「裁判の対審及び判決は、公開の法廷で行う」としています。少年審判の非公開がこの憲法82条と矛盾しないか問題となりそうですが、裁判例は、少年審判は対審の裁判ではないとの理由により、憲法82条に反するものではないとしています。
しかし、少年審判を非公開とすることは、以下に説明するように、少年法を貫く理念である「保護主義」の実現と、子どもにとって重要な基本的人権のひとつであるプライバシー権、成長発達権、学習権の保障という実質的な根拠に基づいており、むしろこうした実質論により、この「非公開原則」の必要性と妥当性を説明するべきでしょう。

保護主義と非公開原則
前述したとおり、「保護主義」とは、少年の可塑性を信頼し、少年がみずから非行から立ち直るために、福祉的・教育的な働きかけを行うことを目的とした理念です。そして、少年が非行から立ち直りを果たすためには、人格的に未成熟で傷つきやすい少年のこころを保護することが必要とされています。それには、自分の非行が公にさらされることによって生じる精神的な苦痛や社会的な不利益を、極力排除することが不可欠です。また、そのような精神的苦痛や社会的不利益が排除されることにより、はじめて少年の内面に深く立ち入りことができますし、少年もまた萎縮したり、心を閉ざしたりすることなく、自己の非行や問題点を真摯に受け止めることが可能となるのです。
また、少年審判は、「保護主義」にもとづいて少年の生育環境や非行内容を調査した上、教育的・福祉的措置を選択しようとする手続です。そうした手続には家裁調査官によるきめ細かな調査が不可欠となり、その調査範囲も、非行内容そのものにとどまらず多岐に及びます。調査の内容には少年本人だけでなくその家族や周辺の第三者に関わるものも含まれてくる可能性があるのです。このような観点からも、こうした内容を公開することは許されないというべきでしょう。また、少年審判の教育的・福祉的役割を重視するならば、少年が真実を語り、内省を深め、更生することが可能なように、審判はなごやかに行うことが必要です。

子どものプライバシー権・成長発達権・学習権と非公開原則
また、憲法13条は人格権のひとつとして、プライバシー権を保障しています。そして、子どもの場合、自分自身で情報をコントロールする能力に乏しく、またラベリング(一般社会が非行を犯した少年に対し「犯罪者」というラベルを貼ること)の悪影響が深刻なので、成人よりも一層手厚くプライバシーが保護されるべきです。
また、少年には、Q1で述べた、子どもが健全に成長し発達を遂げる権利(成長発達権。憲法13条、憲法26条、子どもの権利条約6条など)や、そのために必要な教育を受け、学習する権利(学習権、憲法26条、子どもの権利条約28条、29条)が保障されており、こうした権利とプライバシー権とがあいまって子どもの健全な成長を支える基盤となっています。
したがって、そうした意味でも、少年には厚くプライバシー権を保障することが要請されていると言えます。子どもの権利条約も、16条で少年のプライバシー権の保障をうたっており、40条2項(b)(ⅶ)では「手続のすべての段階においてその子どもの私生活が十分に尊重されること」と規定し、より直接的に少年司法手続での少年のプライバシーの保護を要求しています。少年審判の非公開原則は、国際的な要請であると言えます。

少年審判手続の公正と適正
ところで、先に挙げた「裁判公開原則」(憲法82条)は、国民の監視によって裁判の公正・適正を保つことを目的としています。もちろん少年審判にも公正さや手続きの適正の確保は必要です。しかし、ここまで述べてきたように、少年審判が公開にされてしまうと、人格的に未成熟な少年は萎縮してしまい、思うような発言ができなくなってしまうおそれがあります。これでは逆に審判の公正さ・手続きの適正が後退し、ひいては真実発見が遠のいてしまいかねず、公開する利益よりも不利益のほうが大きくなってしまいます。
少年審判の公正さ・手続きの適正の確保は、むしろ、少年の意見を代弁する役割を持つ付添人を少年につけることや、家裁調査官の綿密かつ客観的な調査の実現など、公開以外の方法により図られるべきです。とりわけ、少年に付添人がつくことによって、捜査機関側の視点だけにかたよらず、少年の言い分を踏まえて多角的な視点に立った検討ができるなど、より公正で適正な審判の実現が可能となると考えられます。弁護士会では、こうした観点から、より広く付添人制度を普及させようと、身体拘束されたすべての少年事件に国選付添人制度を拡大するための活動を続けています。

非公開原則と知る権利との関係
一方で、少年審判を非公開とすることは、国民の憲法上の「知る権利」を不当に制約するものであると考える人もいるかもしれません。
確かに、憲法21条は表現の自由の一内容として「知る権利」を認めています。しかし、他の憲法上の権利との衝突が生じた場合、権利相互の調整のために、憲法上の権利であっても一定の制約を受けることはやむを得ません。先ほど述べたように、審判の非公開は、「保護主義」の理念の実現や、少年のプライバシー権や成長発達権といった、少年にとって重要な憲法上の権利の保障を実現するために不可欠な制度です。少年にとって重要な憲法上の権利の保障を実現するためには、「知る権利」であっても一定の制約を受けることはやむを得ません。したがって、少年法22条2項は、国民の「知る権利」を不当に制約する規定とは言えません。

3 マスメディアが少年の顔や名前を報道することは少年法61条によって禁止されているということですが、報道機関が少年を特定する情報を得た場合、それを報道機関の価値基準に基づき報道することは、報道機関の権利ではありませんか。

報道の自由とは
少年法61条は、事件を起こした少年の名前、住所、顔など、少年を特定する報道を禁じています。この条文をめぐっては、さまざまな議論があります。
確かに、報道機関にも憲法上認められている「報道の自由」があります。しかし、報道機関は何を報道してもよいという自由まで認められているわけではありません。少年事件報道に限らず、報道機関は、他者の利益を損なわないよう心がけなければなりません。
少年事件報道を考えるに当たっては、報道機関側には憲法上、表現の自由ないし報道の自由が認められる一方、Q2でも述べたように、少年自身にも、憲法や子どもの権利条約で、成長発達権やプライバシー権が保障されていることを念頭に置き、どこで両者の調和を図るかという観点を持つ必要があります。

報道の自由と少年法61条
そのような観点からすると、Q2でも述べたように、少年のプライバシー権や成長発達権の保障との調整のために、国民の「知る権利」や報道機関の「報道の自由」であっても、一定の制約を受けることはやむを得ません。そのため、少年法61条は、少年が将来更生することを妨げられないよう、報道機関が少年の氏名や住所など少年を特定するような情報を報道することを禁じているのです。すなわち、少年法61条は、一方で少年の特定情報の報道を禁止して少年のプライバシー権や成長発達権を保障し、他方で、それらの少年の人権を阻害しない限度で、社会全体が当該事件から汲み取るべき価値ある情報については報道機関に報道の自由を認め、これによって、報道機関の報道の自由と少年の人権との微妙な調整を図ろうとしているのです。

報道機関の独自の価値基準による報道の危険性
少年のプライバシー権と報道の自由との調整については、質問にあるように、報道機関の自主的判断に任せれば十分と考える人もいるかもしれません。
しかし、報道機関が独自の価値基準で少年を特定する報道をすることを許してしまうと、報道する側が恣意的に価値基準を設定しまい、結局、少年のプライバシーに関する報道の範囲・内容について、どこまでが許され、どこからが許されないのか、曖昧になってしまう危険性があります。報道機関は往々にして商業主義的なセンショーナリズムに走りがちであり、そのような報道機関の自主的な判断に委ねてしまうと、少年やその家族のプライバシーを省みることなく報道されてしまうおそれが否定できません。報道により、ひとたび少年のプライバシーが侵害され、将来の更生の道が絶たれてしまうと、少年は社会的に抹殺されるのと同じ状態に追い込まれてしまいます。いったんプライバシーに関わる情報が報道されてしまったら、二度と回復できない甚大な損害を少年に与えてしまいます。非行を犯した少年であっても、いずれは大人になり、日本社会を構成する重要な一員となります。個人の尊厳に立脚した成熟した民主主義社会を実現するためにも、プライバシーなどを暴き立てることで少年の更生の道を封じてしまうことは、社会全体の大きな損失となります。少年事件の報道の問題を考えるにあたっては、このようなことを念頭に置かなければなりません。
最近も、週刊誌によって少年の実名と顔写真が公表されたことがありましたが、このようなマスメディアの対応を考えただけでも、報道機関によりその価値基準ないし掲載基準はまちまちです。また、自宅写真の掲載や学校名などの公表も、少年自身の特定につながりかねない危険性をはらんでいることを考えると、報道機関の独自の価値基準に委ねるべきではありません。したがって、報道機関の価値基準という曖昧な基準によって、少年一人一人の将来が左右される結果となることがないよう、現行法は、一律に少年のプライバシーを保護し、少年を特定する情報について報道することを禁止しているのです。

少年法61条の例外は認められるでしょうか?
もっとも、一切例外なく少年の特定情報を報道することが禁止されていると考えることは、表現の自由に対する規制としては行き過ぎの感が否めません。この点、新聞協会の準則(要旨)は、「(1)逃走中で、放火、殺人など凶悪な累犯が明白に予想される場合、(2)指名手配中の犯人捜査に協力する場合など、少年保護よりも社会的利益の擁護が強く優先する特殊な場合については、氏名、写真などの掲載を認める除外例とする」と定めており、公益上の利益が少年の利益を上回ると考えられる一定の場合には、少年の特定情報を報道することを例外的に認めています。
しかしながら、前述した少年の特定情報を禁止した少年法61条の趣旨からすると、このような例外準則でも、少年のプライバシー権や成長発達権を犠牲にするには、まだ緩やかに過ぎると考えられます。すなわち、(1)については、単に逃走中というだけでは足りず、少年が武器や凶器を携帯しており、しかもそれを使用して同種の凶悪な累犯を行う危険が高度でかつ切迫していることが明白であること等、要件を加重する必要があるでしょう。(2)についても、事件が重大な殺傷事件に限定されていない点で、例外基準としては緩やかに過ぎるとの批判が当てはまるでしょう。いずれにしても、氏名等の公表以外にその危険を防止する手段が見つからないという場合にのみ公表が許され、かつ、その公表の仕方についても、諸般の事情を考慮した上で必要最小限にとどめられるべきと考えられます。この問題についてはさらに検討が重ねられていくべきでしょうが、このような例外基準を設けることは少年法61条の趣旨を没却しかねないという重大な問題をはらんでいます。このような問題を十分に意識しながら議論を深めていく必要があります。

少年法61条
家庭裁判所の審判に付された少年又は少年のとき犯した罪により公訴を提起された者については、氏名、年齢、職業、住居、容ぼう等によりその者が当該事件の本人であることを推知することができるような記事又は写真を新聞紙その他の出版物に掲載してはならない。

4 少年は自分が重大な非行を犯しても名前や顔写真が掲載されないことを知っているので、自分自身にブレーキがかけられないのではないですか。ひいては少年法がこのように少年を甘やかしていることが少年事件の凶悪化の原因ではないですか。

少年法61条は重大な非行を招いているでしょうか?
少年事件、特に凶悪な犯罪を起こした少年に、弁護士として、「どうしてこんなことをしたのか。あのようなことをすれば、こういう結果になることは当然ではないか。」との問いをぶつけると、多くの少年は、「そこまで考えられなかった。」と答えます。少年たちの多くは、自分たちの行為によりどのような結果が生じるかについて想像力を働かせることができません。しかし、それは少年法61条があることで少年が自分自身にブレーキをかけられなくなっているわけでもなければ、少年法が少年を甘やかしているからでもありません。少年が生まれ育った家庭環境や少年自身の資質など、少年本人ではどうすることもできない要素が非行の原因となっているというのが、少年事件を担当する弁護士の率直な実感です。

少年法61条は少年を甘やかしてはいません。
また、少年法61条は決して少年を甘やかしてはいません。
以前、新潮45が少年を実名報道した事件について少年側から大阪地裁に損害賠償請求訴訟が提起され、大阪地裁で判決が出ました。この判決は、少年法61条は少年のプライバシー権を保障するとともに、「少年の健全な育成を期し、非行のある少年に対して性格の矯正及び環境の調整に関する保護処分を行う」(少年法1条)という少年法の精神を受け、少年の社会復帰に対する支障を最小限とし、個人の更生を図ると述べています(後記Ⅰ)。また、週刊文春が少年を実名類似の仮名で報道した事件について、名古屋高裁は少年法61条が少年の「成長発達権」を保障していることを正面から認めました(後記Ⅱ)。
このように、少年法61条が、少年のプライバシー権や成長発達権を保障して更生を図ると共に、再犯を予防するという刑事政策的効果を上げることに役立っていると考えることができます。
もっとも、新潮45事件の控訴審(大阪高裁)では、週刊文春事件の名古屋高裁とは逆の結論となっており(後記Ⅲ)、少年法61条について高裁段階で異なる判断が出される状態となりました。そのため、週刊文春の事件の上告審で最高裁がどのような判断をするか注目されていましたが、最高裁は週刊文春の事件は少年法61条の問題の射程外とし、同条についての最終的な判断を示しませんでした(後記Ⅳ)。
少年の顔写真や名前など、少年を特定できる事柄が世間に公表されてしまっては、その少年は社会にスムーズに戻っていくことができなくなります。社会に戻ることができない少年は、結局暴力団などの反社会的勢力しか受け入れるところがない、ということにもなりかねませんし、そうすると、また新たな犯罪者を作り出してしまうことにもなりかねません。そのことは、少年にとっても、社会にとっても大きな損失です。
このように、少年法61条は、プライバシー権及び成長発達権と報道機関が報道する権利あるいは国民の知る権利とを比較考量した場合において、非行を犯した少年のプライバシー権及び成長発達権の保障を優先していると考えられます。以上のとおり、少年法61条は、けっして「甘やかし」の規定ではないのです。

Ⅰ大阪地判平成11年6月9日判例時報1679号54頁
Ⅱ名古屋高判平成12年6月29日判例時報1736号35頁
Ⅲ大阪高判平成12年2月29日判例時報1710号121頁
Ⅳ最判平成15年3月14日判例時報1825号63頁

5 私は、顔も名前も公表すべきだと思います。どうして被害者の顔や名前が公表されるのに、少年の名前や顔を公開してはいけないのでしょう。国民の知る権利だと思います。

被害者報道と少年事件報道
Q3で述べたように、少年法61条は、事件を起こした少年の顔や名前を報道することを禁止しています。
この規定により事件を起こした少年の名前や顔が報道されないのに、被害者の顔や名前は報道によって公表されているということだけを見ると、こうした疑問が出てくるのももっとものようにも思えます。最近、国民の「知る権利」を理由に、一部週刊誌等で少年の顔や名前が報道されているのも、こうした疑問が背景にあると考えられます。
しかし、そもそも被害者の顔や名前が当然のように公表される現在の被害者報道のあり方に問題はないでしょうか。また、国民の「知る権利」を理由にすれば、何を報道してもよいのでしょうか。

被害者の顔や名前を報道するのは当たり前でしょうか?
まず、現在の被害者報道の在り方と国民の「知る権利」との関係を考えると、「知る権利」は憲法21条の表現の自由に含まれるとても重要な人権です。しかし、そうは言っても、「知る権利」を理由にすれば何を報道しても良いということにはなりません。「知る権利」といえども、憲法13条によって保障される個人の名誉・プライバシーなどの重要な人権との調整の関係で、制約されることがやむを得ない場合があることを忘れてはなりません。
こうした観点から、現在の犯罪被害者報道を考えると、被害を受けて傷ついた人の名前や顔を報道するのは、その人のプライバシー、また自分自身で自分の情報の流れをコントロールする自己情報コントロール権を侵害することもあると言わざるを得ません。被害者によっては、自分の受けた犯罪被害を誰にも知られたくない、そっとしておいてほしいという気持を抱くこともあります。集中豪雨的に、あるいは垂れ流し的に、長期間、被害者の名前や顔が報道されることによって、被害者は世間の好奇の眼にさらされ、それがさらに被害者を傷つけ、被害の一層の拡大を招くことになります。特に性犯罪の被害者や、残虐な方法で殺傷被害を受けた被害者やその遺族は、強い屈辱感を感じると同時に自責の念にかられることすらあります。そうした被害者の気持を無視して顔や名前を報道するのは被害者をさらに鞭打つものと言えます。もちろん、そうした気持を乗り越えて被害を社会に広く訴えて問題提起をしたい、そのために名前や顔を公表しても良い、という被害者もいるでしょう。しかし、それは被害者自身の意思によるもので、マスメディアがことわりなく勝手に名前や顔を報道するのとは全く別問題です。「誰が被害にあった」かは、被害者の個人情報ですから、被害者自身のプライバシー、自己情報コントロール権こそが尊重されるべきで、報道によって被害が拡大されるのを是非とも避けるべきです。最近、一部の報道機関の内部的な基準により、被害者に関する報道を自己規制しようとする動きはありますが、いまだ報道機関全体には及んでいないのが現状です。
このように考えると、設問の疑問は、問題のある被害者報道のあり方を無条件に受け入れているという誤った前提に立ったものであることがわかります。

「知る権利」と少年法61条
次に、国民の「知る権利」が個人の名誉・プライバシー等、重要なその他の人権との関係で制約される場合があるということは、被害者だけでなく、加害者にも当てはまります。
加害者にもプライバシー等の人権はあります。しかし、大人が身体拘束された後に、報道機関がその名前や顔写真を報道することを直接禁じる規定はありません。それにもかかわらず、少年に関する報道が少年法61条によって禁じられています。その理由はQ3で述べたとおりです。すなわち、少年を特定する報道を禁じた少年法61条は、少年の成長発達権やプライバシー権と国民の「知る権利」とを調整するものであり、少年の重要な人権との調整のための、「知る権利」の内在的制約なのです。また、別の観点から説明します。未成熟な子どもは、生育環境や様々な社会環境の影響を受けながら、いろいろな試行錯誤を重ねる過程で、時には成功し、時には失敗しつつ、それらを糧として成熟していきます。言いかえれば、子どもには試行錯誤ながら成長していく権利があると言えます。このような成長をする権利が、子どもが持つ成長発達権の内実だと考えられます。非行を犯した少年は、成長の過程で深刻な失敗をした少年ですが、そうした少年に対してこそ、失敗を教訓として反省と自覚を促し、更生するために必要な援助や、社会での受け入れが必要になります。ところが、いったん少年の名前や顔を特定した報道がなされれば、少年は生涯にわたって否定的な烙印を押されることになり、社会での受け入れも困難となります。そうなると、少年はいつまでも立ち直ることができず、その意欲さえなくしてしまいかねません。このような事態は、子どもの成長発達権の重大な侵害と言えます。
こうしたことも考慮して、少年法61条が規定されたと考えられますし、このように考えることは、日本国憲法や子どもの権利条約の理念とも整合します。また、こうした少年の成長発達権を保障して、立ち直りを支援し、立派な大人になってもらうことが、犯罪の少ない社会を作ることにもつながります。
さらに、翻って考えると、少年事件の情報が広く国民に公開されるべきだという主張の最も大きな目的は、悲惨な少年犯罪を二度と起こさないようにすること、言いかえると、そうした事件が起こってしまったという現実を社会に突きつけて警鐘を鳴らす、というところにあると考えられます。しかし、その目的のためには、「どんな事件があったか」、「なぜ、今の社会でこうした事件が起こったのか」等について国民一人一人が考える材料となるような情報の公開こそが重要で、少年を特定する情報を含む少年事件の情報の全てが一律に公開される必要はありません。その意味では、少年法61条は、国民の「知る権利」を本当に制約しているのかを正面から問い直す必要があると言えそうです。

6 凶悪な少年事件が起こった場合、私は事件の背景をすべて知りたいと思います。名前や顔はともかく、家族関係、学校での様子等、事件に関する事実のすべてがマスメディアの報道によって国民に公開されてこそ、社会が少年たちを取り巻く環境を整備できるのではないでしょうか。

少年を特定する情報は公開できません。
少年事件が発生すると、悲惨な被害の状況や犯行状況が明らかになることがあります。その時、どうして少年がそのような事件を起こしたのか、成育歴は、学校での様子はという疑問が生じ、これらを知りたいと思うことは当然のこととは思います。
しかし、Q2で述べたように、非行を犯した少年にも当然プライバシーの権利があり、また、成長発達権も保障されていますので、その妨げになるような情報を国民一般に公開することはできません。
ですから、名前や顔など当該少年が特定されるような情報は公開できません。

少年が特定されないことを条件に、一定の情報公開はあってよいと考えます。
では、質問にあるような少年の生活状況などの情報は公開できるのでしょうか。
少年の家庭環境、生活状況、学校での様子などは、少年や家族のプライバシーの内容ですから、その取扱は慎重になされなくてはなりません。
他方、少年非行には社会の問題点が反映されています。社会と隔絶した世界で少年たちが生活をしているわけではないからです。社会全体への警鐘としてその非行の本質を考えることが必要であることも事実でしょう。
そうだとすると、少年の家庭環境や生活状況、犯行動機、学校での様子などの情報は、それが一定程度公開されることにより、社会全体で問題を考えるきっかけになるとも考えられます。
ただし、現在の状況を前提とすると、これらの情報も、すべての事件について公開すべきとは言えません。それは、マスコミ報道されるような事件では、たとえ匿名報道であっても、その地域の中では、事実上少年やその家族が特定されていることが多いからです。少年は家庭裁判所の審判結果を受けて将来また家庭や地域に帰り、そこで再出発をすることになりますが、帰るべき地域において少年やその家族が特定されていると、少年はその地域に戻れなくなってしまい、少年の更生の妨げになるおそれがあります。したがって、家庭の状況などを公開することは、少年及び家族のプライバシー権を侵害し、ひいては少年の成長発達権を侵害することになりかねません。

7 最近、世間の耳目を集めた事件の犯人とされている少年の名前や写真が、インターネットで発信されることがありました。このように、個人が少年を特定する情報を公開することに問題はないのでしょうか。

インターネットの情報発信の表現の自由は無制限に保障されるわけではありません。
インターネットで情報や意見を公表することは、表現の自由という重要な人権の具体的行使という性質があります。しかしながら、権利の行使は無制限に認められるのではなく、他者の人権と衝突する場合には、おのずから制限されることがあるのはやむを得ません。

インターネットによる特定情報の発信は法的責任が問われることも。
近時、匿名の投稿などによって、少年の実名や少年を特定できる情報がインターネットで公表されることが増えています。しかし、たとえ匿名であっても、いわゆるプロバイダー責任法に基づき、少年やその保護者は、その情報の発信者が誰かについて突き止めることが可能です。無責任に少年の実名や少年を特定できる情報を公表したことに対しては、プライバシー侵害や名誉毀損を理由にして損害賠償などの法的責任を問われる可能性があることに注意が必要です。

インターネットによる情報発信は少年法61条との関係でも問題になります。
少年法61条が制定された当時は、インターネットのように、個人が手軽な方法で広範囲に情報を発信できる手段が登場することは予想されていませんでした。また、インターネットでの情報発信は、少年法61条とは無関係であると考える見解もありました。
しかし、同条の立法趣旨は、新聞その他の出版物を用いて少年の名前や顔などを報道することにより、少年に関する情報が社会に流布すると、それにより少年のプライバシーを侵害し、また、犯罪者としての社会的烙印を押されるなど、その更生を妨げる危険が大きいことから、それを防止しようとするところにあります。そして、インターネットの情報発信力・流通性の大きさは新聞その他の出版物と何ら異なりませんし、瞬時に全世界に向けて発信できるほどインターネットが高度に発達した現代にあっては、新聞や出版物以上に広範な情報発信力があると言えます。したがって、インターネットで少年の特定情報を流通させることも、新聞その他の媒体による場合と同程度の弊害があるということから、インターネットも少年法61条の「新聞その他の出版物」と同視できると考え、そこでの少年特定情報の報道は少年法61条に違反すると考える見解が、今日では有力に主張されています。
個人がインターネットを利用する場合に少年法61条に直接違反するか否かについては、未だ議論の途上にあると言えますが、前述した少年法61条の趣旨を考えると、個人であったとしても、インターネットにおいて少年の名前や顔写真を公表することがその趣旨に反することは明らかです。
また、少年法61条違反かどうかにかかわらず、前述したとおり、少年に対するプライバシー侵害・名誉毀損等の法的責任も問われることになることからすると、このようなことは自制すべきであると考えます。

8 以前、凶悪事件の少年の供述調書が雑誌に掲載されて公開されました。生の調書が公開されることによって、凶悪事件の少年がモンスターではなく、普通の少年であると理解できることもあるのですから、供述調書を公開するのはよいことではありませんか。

供述調書が公開されること自体、違法です。
捜査機関によって作られた供述調書は、すべて家庭裁判所へ送られ、少年審判の審理のための資料となります。これらの資料は、家庭裁判所の許可がなければ閲覧・謄写が許されません(少年審判規則7条)。閲覧・謄写の許可は少年審判の非公開原則にしたがって運用され、雑誌等に掲載する目的での許可はされませんから、掲載された供述調書は、違法な過程を経て入手・掲載されたものと考えられます。その意味で、すでに審判が終了した後でも、供述調書の公開は、少年審判の非公開原則に抵触する問題を含んでいることになります。

供述調書の作成目的から考えても、公開は許されません。
それとは別に、「供述調書」によって何がわかるのかについても考える必要があります。供述調書は、捜査機関が犯罪の立証に必要だと考える事項について、取り調べ対象者から捜査機関の観点で聞き出した内容を書面に「録取」(記録して書き取る)し、その内容を対象者に読む機会を与えたり読んで聞かせたりした上で、内容に誤りがないか確認して、取り調べ対象者が署名・押印したものです(刑訴法198条3~5項、223条2項)。
取り調べは捜査機関の観点で聞き取られたものであり、調書に書かれている文章を作るのも取り調べた捜査官です。取り調べ対象者が、供述調書の内容の確認を十分できないまま署名・押印し、後で供述調書に書いてあることが本当に話した内容だったのか問題となることが、大人の刑事事件でもしばしばあります。「読み聞かせ」の際に、書かれている内容が「自分が話したことと違う」といっても、捜査官に「結局こういうことだろう」と言われて説得されてしまい、訂正してもらえなかったという訴えを聞くこともとても多いのです。供述調書だけを読んだのでは、はたして自発的に話したのか、内容が信用できるのか、まったくわかりません。
子どもや外国人の事件では、言葉の意味の違いが理解されていない場合もあります。非行事実を認めていない場合や、重要な箇所について少年の供述内容をリアルなものにして、内容の信用性を高めるため、問いと答えを分ける「問答形式」の記載がされることもありますが、やはり捜査官が書き取っていることは変わりません。取り調べの際に少年が実際にそのとおり話した内容が記載されているわけではありません。
このように、供述調書だけから、事件全体を判断することは非常に危険なことです。
さらに、供述調書には、事件の被害者・加害者・関係者のプライバシーへの配慮は全くなく、公開されるとプライバシー侵害を起こし得るものを含んでいます。匿名にすればプライバシー侵害を回避できるというものではありません。
このように、非公開原則からだけでなく、成人の事件にも共通する「供述調書」の性質・問題点からいって、その公開には多くの問題があり、決して良いこととは言えません。

9 アメリカやイギリスでは10歳くらいの少年でも凶悪で残忍な事件を起こした場合は、顔も名前も公表されています。国際的動向から見ても日本の少年法は問題があるのではないでしょうか。

バルジャー事件と実名・顔写真報道
凶悪で残忍な事件を起こしたとされる少年の顔や名前が公表されたケースとして非常に有名になった事件としては、イギリスのいわゆるバルジャー事件があります。この事件は、1993年2月、イギリスのリバプールで2歳の幼児が白昼誘拐され、レンガ等で殴打されて死亡し、列車に切断された状態で2日後に発見されたという事件でした。被疑者として当時10歳の少年2名が逮捕されました。
この事件では、連日連夜にわたって少年や家族に関し膨大な量の報道がなされ、その結果、少年たちの家族は転居を余儀なくされています。イギリスにも、日本でいう少年法のような子どもの司法手続きを定めた法律(児童青少年法)が存在します。その法律によると、現在は、非行を犯した10歳から18歳未満の者は青少年裁判所(YouthCourt)で非公開で審理されるのが原則です。しかし、これらの年齢の子どもでも殺人を犯した場合等は、刑事法院(CrownCourt)で成人と同じ正式裁判(公開裁判・陪審裁判)を受けます。この場合は、裁判官の報道禁止命令をまって初めて報道規制が実施されますが、実際にはこれまで裁判官が報道禁止を命じなかったケースはないとのことです。
したがって、イギリスでも、「少年であっても、残忍で凶悪な事件を起こした容疑で逮捕されれば、直ちに氏名や顔写真が公表される」ことが認められているわけでは決してありません。
実際、バルジャー事件においても、当初は裁判所が報道を規制して少年たちの匿名報道が維持され、後に少年たちの氏名・顔写真が掲載されるようになったのですが、これは有罪評決が出された後、裁判所みずから報道規制を解き、少年の氏名・顔写真の公表を許可したからでした。また、この報道規制解除は無限定なものではなく、掲載される少年達の写真は過去に1回使われた写真だけで、裁判そのものや少年たちの居場所を報道することも禁じるとの条件つきのものでした。
この条件は少年たちが18歳になるまでと期間が限定されていましたが、終了直前の2000年7月、当時の少年たちの写真と成長ぶりについての報道を禁止する仮差し止め命令が出され、イギリス政府は、本案命令に先立ち、少年たちの社会保険番号、出生証明、パスポート等を変更するなどして全く新しいアイデンティティを与えました。そして、翌2001年1月9日、高等法院によって、新聞、ラジオ・テレビ放送、コンピュータネットワークがこの少年たちの新しいアイデンティティと居場所を報道することを終身禁止する命令が出され、実質的にみて終身の匿名性が保障されることになりました。バルジャー事件がこうした経緯を辿ったのは、氏名や顔写真が公表されたことの弊害を是正するための後始末と言えるでしょう。
アメリカでは、州によって制度に違いがあるものの、少年審判の公開が拡大され、本人を特定する事実の公開制限も大きく緩和される傾向がみられます。しかし、福祉・教育理念を尊重しつつ少年司法の運営に携わっている実務家のあいだには、少年審判の公開と並んで、少年の氏名、顔写真などを公表することに対し根強い批判があります。
ドイツでは、少年裁判所法という法律で、少年事件の審理及び裁判の言い渡しは、成人が一緒に起訴されていない限り非公開とされています。ドイツでは、少年に対し刑罰を科す場合でも非公開とされますから、日本以上に非公開原則が徹底されていると言えます。
このように、一概に「国際的動向から見て、日本の少年法に問題がある」などと言える状況にはありません。

国際準則まで視野に入れた、より広範な議論が必要です。
今後、日本において少年事件報道のあり方が議論される場合、諸外国の制度や実情についても議論されると思います。その際、重要なことは、子どもの権利条約やその他の国際準則(少年司法運営に関する国連最低基準規則(北京ルールズ)、自由を奪われた少年の保護のための国連規則(自由規則)、少年非行の予防のための国連ガイドライン(リヤドガイドライン))についても視野に入れて検討することだと思います。特に、子どもの権利条約は、司法手続のすべての段階において子どものプライバシーは十分に尊重されなければならないと規定しています(40条2項(b)(VII))。Q1で述べたように、この条約は日本でも1994年に批准されています。一般に条約は、憲法に次ぐ、法律よりも上位の法規範とされていますので、わが国でも子どもの権利条約が尊重されなければならないのは当然のことです。このような国際条約や国際準則に照らして考えてみれば、わが国の少年法61条は「国際的動向から見て問題はない」どころか、国際水準を十分に満たす内容であると言えます。

10 最近、凶悪事件の審判要旨が家庭裁判所により公開されていますが、どういう基準に基づいて公開しているのですか。

審判要旨の公開とは?その根拠は?
審判要旨とは、審判(保護処分決定)の要旨、つまり少年審判の結論である家庭裁判所の決定の重要な内容をまとめたものです。
近年、世間の耳目を集めた事件で、家庭裁判所により審判要旨がマスコミ向けに公開されています。では、どのような根拠に基づいて審判要旨の公開が認められるのでしょうか。
少年法は、「審判はこれを公開しない」と定め(22条2項)、また、事件を起こした少年の名前、住所など、当該少年が事件の本人であることを推知することができるような報道を禁止しています(61条)。また、少年審判規則7条1項は、少年事件の記録等を見たりコピーしたりするためには家庭裁判所の許可が必要と定めています。
これらの規定は、Q2やQ3で述べたように、少年審判に関する秘密保持・非公開の原則の一環として理解されています。すなわち、傷つきやすく、可塑性に富み、将来のある少年に対し、少年及びその家族の名誉・プライバシーを保護するとともに、少年の成長発達権を保障し、過ちを犯した少年の更生を図ろうとするものです。
このような審判非公開の原則からすれば、審判の決定書も公開しないというのが、少年法の解釈上の帰結です。したがって、決定書の全文公開は、現行法上認められないと考えられます。事実、決定書そのものが公開されたという例は聞きません。
ところが、現在では、マスコミなどで大きく報道された少年事件については、その審判要旨がマスコミ向けに公開されています。この審判要旨の公開は、審判を行った裁判官ではなく、その事件の審判が行われた家庭裁判所の所長が持つ司法行政上の権限と責任で行うという運用になっているようです。
ただ、裁判所がどのような根拠に基づいて公開を行っているのかは明らかではありませんし、審判要旨を公開する事件かどうかを判断する基準や、要旨としてどの程度のまとめ方をするかの基準も、明らかではありません。

審判要旨の公開の可否については、どう考えるべきでしょうか?
ところで、上記のような「審判要旨」が公開されるようになったのは、ごく最近のことのようですが、その法的根拠については、次の二通りの考え方があります。
第1は、決定書の公開が認められない以上、「審判要旨」の公開も現行法上は認められない。これを行うためには新たな立法が必要であるという考え方です。
第2は、審判の非公開などの趣旨は、「少年及びその家族の名誉・プライバシーを保護し、それを通じて過ちを犯した少年の更生を図る」という点にあるから、少年本人や家族が特定できないように配慮すれば、現行法上も、「審判要旨」の公開を行うことができるという考え方です。
現在の裁判所の運用は、第2の立場を前提とするものと考えられます。しかし、審判非公開の規定が、少年のプライバシー権、成長発達権の保障という、憲法や子どもの権利条約の要請に基づいて定められていることを考えると、仮に審判要旨の公開を制度化するのであれば、立法によるべきであると言えます。

審判要旨の公開の問題を考えるにあたって
現在の裁判所の運用は、表現の自由ないし国民の「知る権利」、あるいは被害者の権利を旗印にしたマスコミの求めに応じての受動的なものという印象が拭えません。たしかに、表現の自由は重要な人権ですから、安易にその規制に与するわけにはいきません。また、被害者の権利を保障することもとても重要なことです。
しかし、現在の少年犯罪報道は、あらかじめマスコミが想定した読者・視聴者の「反響」をリードし、その自ら吹かせた追い風を受けて少年や家族のプライバシーを暴いています。また、マスコミの作った「少年像」がきちんとした検証もないまま一人歩きしています。
審判要旨の公開を論ずるにあたっては、こうしたマスコミによる少年犯罪報道の功罪や、市民にとって必要十分な情報は何なのかといった点も、十分に議論をする必要があるのではないでしょうか。

11 審判の要旨だけでは事件の全貌がよくわかりません。家庭裁判所は、少年の氏名や住所を除いた上で、審判全文の公開をはじめ、審判の進行状況、審判記録、処遇先の情報など少年審判の全ての情報を公開すべきではないでしょうか。

審判情報は、原則として公開できません。
仮に、氏名や住所等を除いて少年本人を特定できないようにしたとしても、少年審判に関する情報は公開されるべきではありません。 その理由について、以下でもう少し詳しく考えていきます。

審判情報が公開できない理由は何でしょうか?
Q10でも述べたように、少年法22条2項、同法61条、少年審判規則7条は、「審判そのもの」を公開するかどうかの基本原則ですが、同時に「審判情報」を公開するかどうかの基本原則でもあると考えられます。なぜなら、これらの規定は、少年審判が発達途上にある少年の立ち直りを目指して行われるので、少年を社会の目にさらすことなく、その情操を保護し、社会復帰を妨げないようにする必要があること(成長発達権の保障)、また、少年審判の場では少年の要保護性と改善方法を探るために少年や家族のプライバシーに関わる事項も詳細に明らかにする必要があり、そのため手続の秘密性が必要不可欠となること(プライバシー権の保障)から定められたものであり、そのことは「審判情報」についてもあてはまるからです。
中でも、少年審判の記録については、以下に述べるような問題があるため、原則非公開とされています。
少年審判の記録は、成人の刑事事件とほぼ同じ内容の「法律記録」と、少年事件特有の「社会記録」に分けられます。社会記録は、少年の要保護性を判断するために作成される記録であり、少年鑑別所や家裁調査官の調査結果や、関係教育機関・福祉機関への照会文書などがつづられています。その中には、少年の成育歴をはじめ、関係機関が把握している医療や教育に関する情報や、少年に対する評価など、少年自身やその家族に対してさえ直接に開示されないことを前提に提供される情報も含まれています。こうした情報を公開すると、少年のプライバシー権や成長発達権を侵害してしまうことになりますが、それだけでなく、関係機関が公開をおそれて必要な情報を裁判所に提供しないことになりかねません。そうなると、科学的調査により非行原因を究明してそれを取り除くという、少年審判の目的に反するという弊害が生じてしまいます。
このような規定からすれば、決定書の全文公開が現行法上認められないのと同様に、審判の進行状況、事件の記録、処遇先の情報その他の審判情報も原則非公開となります。

氏名や住所を公開しなければ公開してもよいのでしょうか?
ところで、設問の趣旨は、公開する際に氏名や住所等を除けば、少年個人を特定することはできなくなるから、審判情報を広く公開してもよいのではないか、ということだと思われます。
たしかに、公開する際に氏名や住所等を公開しないとすれば、一般市民にとっては少年が誰なのかを特定することは困難になります。しかし、近時の犯罪報道の中には、事件を起こした少年が通学している学校の生徒に対し、登下校中にインタビューして放送するなど、少年の居住する地域や通学している学校などが容易につきとめられるようなものも見られます。少年が将来更生して帰って行くべき地域社会において、少年が特定されてしまうことの問題はQ6で述べたとおりですが、これに加え、家庭裁判所が持つ審判情報が全て公開された場合、少年の特定がさらに容易になってしまいます。しかも、非公開(秘密保持)を前提として記録中に詳細に記載されている少年や家族のプライバシーに関わる事項も明らかになってしまいます。不特定多数の市民にこのような情報を知られることは、少年をさらしものにせず、その情操を保護し、社会復帰を妨げないという少年法の理念に反する大きな危険性があります。
また、少年審判の情報が公開されることになってしまうと、少年審判手続において本来必要とされる情報が、公開されることのデメリットをおそれるがあまり家庭裁判所に提供されなかったり、記録に残されなかったりし、少年審判手続が有効に機能しなくなるということにもなりかねません。さらに、前述したように、少年事件の記録には、少年自身あるいは家族に対しても直接の開示がなされないことを前提に提供される情報も含まれています。そのような情報が公開されることと、当然に少年自身や家族の目に触れることとなり、その結果、やはり必要な情報が提供されなくなり、適切な処遇判断が困難となるなど、少年の立ち直りやそれを支える家族その他の少年の環境をよい方向に変えることを阻害することになりかねません。

今後の課題は?
ところで、事件の全貌を把握した上で、審判手続が適正に行われたか、保護処分の基礎となる非行事実の認定や要保護性(その少年の環境や資質にてらして将来再び非行に及ぶおそれの有無のこと)の判断が的確になされたか、言い渡された保護処分は少年にとって適切なものだったか、といった点は、事後的に十分に検証されなければなりません。しかし、このような検証は、審判情報をすべて公開することによってではなく、Q2で述べたように、国選付添人制度の対象範囲を拡大して、家庭裁判所の審判を受ける少年に付添人をつけられるようにするなどの方法により解決していくべき問題でしょう。また、たとえば、ある少年事件の原因のうち、社会的影響が濃厚であったものは何かなど、今後の子どもたちの成長発達権を保障していくために社会がくみ取り、いわば社会の共有財産としていくべき情報をいかにして確保していくべきかも真剣に検討されるべきでしょう。
この点、いわゆる神戸連続児童殺傷事件の加害者である元少年について、更生保護委員会が少年の仮退院を認める決定を行い、法務省が元少年の仮退院について被害者遺族に通知するとともに、仮退院決定とこれに至った経過を報道機関に向けて公表するということがありました。このような法務省の対応は、被害者遺族に対する通知にとどまらず、社会一般に公表するものであって、仮退院決定に至った元少年のプライバシー侵害にあたる可能性が極めて高いものと言わざるを得ません。このような通知及び公表が漫然と先例化することのないよう慎重な対応が強く望まれます。

12 少年非行の被害者や遺族が、犯人についての全てを知りたいという願いは当然で、被害者の権利として保護されるべきではありませんか。

被害者の「知る権利」と「自己情報コントロール権」
被害者やその遺族が犯人について知りたいという気持ちは、「知る権利」や「自己情報コントロール権」として保障されるべき重要な権利です。「知る権利」は、一人一人の国民が「知りたい」という欲求を満たして人間らしく生きるためにも、最大限尊重されなければならない憲法上の人権(憲法21条)であるということは言うまでもありません。それに加えて、事件に関する情報の中には、被害者に関する情報でもある部分が含まれているため、被害者としては、事件に関する情報を自分自身の情報として、自由に見たり公表したりしたいという欲求もあるでしょう。そのような欲求を、憲法上の人権と位置づけることができるかどうかについては、従来あまり議論されてきませんでしたが、幸福追求権(憲法13条)の一内容として「自己情報コントロール権」という人権と構成することができると思います。そうであれば、この「自己情報コントロール権」も個人の尊厳にかかわる人権として、最大限尊重されなければならないということになります。「知る権利」と言うか「自己情報コントロール権」と言うかは別にして、被害者やその遺族が民事上の損害賠償請求など適切な権利行使を行うため、あるいは、大切な人を失ったという心の傷を癒し、悲しみから立ち直るためには、犯罪に関する情報が遺族に適切な手段で伝達されなければならないのは当然のことです。

人権は無制限に保障されるものではありません。
しかし、被害者側の「知る権利」や「自己情報コントロール権」もまったく無制限に保障されるというものではありません。憲法で保障された人権といえども、他者の人権との衝突が生じる場合や、他の優越的な利益が存在する場合には、一定の制約を受けることはやむを得ないのです。
少年審判は、少年に保護を必要とする事情があるかどうかを判断する場であるため、少年審判を行うために家庭裁判所が収集する情報には、少年の成育歴、少年と家族との関係、少年と友人など周囲の人との関係、少年による他の非行行為の有無及びその内容、保護者の職業など、多岐にわたる情報が含まれています。それらの中には、問題となっている犯罪行為には直接の関連がない情報も含まれています。これらの情報すべてを他人に知られることは、少年の家族や友人のプライバシーが暴露されることになり、ひいては少年の更生や健全な育成を阻害することにもなるなど、重大な人権侵害が生じる危険があります。
したがって、被害者やその遺族の「知る権利」や「自己情報コントロール権」も一定の譲歩を迫られ、「事件や加害者についてのすべてを知る権利」が保障されるということにはなりません。

被害者に対する配慮の制度
こうしたことを背景に、2000年に少年法が「改正」され、民事訴訟を提起するためなどの正当な目的がある場合には、被害者等による記録の閲覧及び謄写が認められ(第5条の2)、同時に、被害者等に家庭裁判所の決定の主文と理由の要旨などを通知する制度が創設されました(第31条の2)。また、2008年の少年法「改正」では、被害者等による記録の閲覧及び謄写の範囲が拡大されるとともに、被害者等からの申し出があった場合、裁判所が、「少年の健全な育成を妨げるおそれがなく相当と認めるとき」に、「審判期日における状況」を説明する制度が創設されました(第22条の6第1項)。
また、2008年の少年法「改正」では、一定の重大な犯罪または触法事件において、要件を満たす場合に、被害者等からの申し出があった場合、裁判所が被害者等による審判の傍聴を許すことができる制度も創設されました(第22条の4)。この審判傍聴制度により、一定の重大事件の被害者や遺族は少年審判を傍聴することが可能となりましたが、一方で、審判傍聴が行われる場合、被害者や遺族の存在に少年が萎縮したり、裁判官が被害者の存在を意識するあまり少年に対して糾問的となり、「懇切を旨として、和やかに」(第22条1項)行われるはずの少年審判の雰囲気が変容したりしてしまうなどの弊害が生じることが懸念されています。

13 被害者及び家族は、少年非行の加害者についての情報は早い段階で捜査機関から入手したいと思います。しかし現在、被害者に対する情報開示の有無及び範囲については、はっきりした規定がないようです。すべての捜査機関が、被害者及びその家族に対して加害少年についての情報を開示すべきではありませんか。

少年法には、捜査段階の情報の開示について直接規定した条文はありません。ただ、少年法22条2項(審判の非公開)や61条(少年事件報道の制限)に照らせば、捜査機関も、少年の未成熟な心を傷つけ、社会的な不利益を与えることはできる限り避けなければいけません。したがって、捜査機関が、少年を特定するような形で一般市民や報道機関に捜査情報を公表することは許されないと言うべきです。
しかし、被害者は事件の当事者であり、事件がどのように捜査され処理されるかについて、自分の情報としてアクセスする権利があります。こうした観点に立てば、被害者は、事件の捜査情報の入手について特別の配慮が必要な地位にあると言えます。
しかし、被害者が事件の当事者であるならば、加害者である少年もまた事件の当事者です。そして、現在のところ、捜査段階で捜査機関が捜査に関する情報を少年やその弁護人に明らかにすることはほとんどありません。情報開示の根拠を事件の当事者であることに求めるのであれば、それは等しく加害者側にも適用されなければなりません。
さらに、捜査情報は被疑者である少年自身の情報でもあり、かつ、捜査段階の情報が流動的で一方的な内容となる傾向にあることにも充分注意する必要があります。被疑者・被告人には無罪推定の原則が適用されることも忘れてはなりません。
したがって、捜査段階での捜査に関する情報を被害者に開示することについては、様々な困難な問題があると言えます。この点、設問にあるように、これまで捜査機関における捜査情報の取扱いは明確な規定がありませんでした。被害者としては、捜査機関の裁量次第で、捜査情報を知ることができたり、できなかったりしていたわけです。最近では、警察や検察が被害者に対する情報提供の制度を設け、捜査状況や事件処理の結果などを被害者に知らせる運用を開始しましたが、これもきちんと法律で定められた制度ではありません。その意味で、被害者に対する捜査情報の開示は、まだまだ捜査機関まかせと言えます。したがって、被疑者である少年側の権利利益や、少年側が自分の情報でもある捜査情報を知る権利も十分に保障しつつ、全ての捜査機関に共通な基準を作り、被害者がどんな方法で、どの範囲の捜査情報を得られるのかを、より明確にしていくべきでしょう。

14 現行の少年法では被害者及び家族の少年審判の傍聴には大きな制限があり、どんな事件でも傍聴できるわけではありません。一方、犯人が成人の場合は、被害者や家族は制限なく傍聴することができます。少年審判でも、刑事裁判と同じように被害者や家族は制限なく傍聴できるようにすべきではありませんか。

被害者等の審判傍聴制度
Q12で説明しましたが、2008年の少年法「改正」により、一定の重大な犯罪または触法事件において、被害者等からの申し出があった場合、裁判所が被害者等による審判の傍聴を許すことができる制度が創設されました(第22条の4)。 具体的には、①故意の犯罪行為により被害者を死傷させた罪(被害者を傷害した事件の場合は傷害により被害者の「生命に重大な危険を生じさせたとき」に限ります)、②刑法211条(業務上過失致死傷等)の罪の事件について、これらの事件の犯罪少年及び12歳以上の触法少年の審判につき、「少年の年齢及び心身の状態、事件の性質、審判の状況その他の事情を考慮して、少年の健全な育成を妨げるおそれがなく相当と認める」場合に、裁判所は被害者等の傍聴を許可することができるとされています。

刑事裁判の公開と少年審判の非公開
このように、被害者等の少年審判の傍聴は認められるようになったものの、多くの制限があり、成人の刑事裁判の場合に、被害者やその家族が公判を傍聴することができることと比較すると、バランスを欠いているようにも思えます。
しかし、成人の刑事事件において裁判が公開されているのは、憲法82条1項で「裁判の対審及び判決は、公開法廷でこれを行う」と定められ、また、裁判の内容と手続の公正の確保のために、憲法37条1項で、刑事事件において被告人は公開裁判を受ける権利を有しているからです。このように、裁判の公開は、第一に被告人自身の権利であり、また、国民の知る権利の保障の一環でもあります。
それに対し、少年法は、少年審判は、懇切を旨として、なごやかにこれを行わなければならず(22条1項)、かつ非公開を原則としています(22条2項)。これはQ1、Q2で述べたように、少年審判の教育的・福祉的役割を重視し、外部の目にさらされることのないなごやかな審判廷において少年がみずから率直に話をすることで、内省を深め、更生することを期待したからであり、そうすることが少年の成長発達に役立つと考えられたからなのです。
また、少年が被害者やその家族に対面できるようになるまでには、それだけの精神的な準備期間が必要であり、重大な事件を起こした少年であればあるほど時間を要します。そのような準備なく審判廷において被害者と直接対面することは、かえって少年を困惑させたり、萎縮させたり、あるいは過度に防御的にさせたりして、少年の心を閉ざしてしまうことになりかねず、少年の立ち直りにとって決してプラスにはなりません。
さらには、審判を主宰する裁判官自身が、被害者の存在を意識するあまり、少年に対して糾問的となり、少年審判の雰囲気が変容してしまうなどの弊害が生じるおそれもあります。実際にもそのような糾問的な審判が行われたという報告が、被害者が傍聴した審判を経験した付添人からなされています。
このように考えると、被害者等による少年審判の傍聴は、傍聴の必要性が大きく、かつ、上記のような弊害が生じるおそれがない場合にのみ認められなければなりません。そこで、被害者等の少年審判の傍聴については、対象事件による限定のほか、「少年の年齢及び心身の状態、事件の性質、審判の状況その他の事情を考慮して、少年の健全な育成を妨げるおそれがなく相当と認める」場合という制限がついているのです。

被害者の気持ちをどのように反映させるべきでしょうか?
もちろん、このような制限を審判の傍聴に課す以上、被害者やその家族には、審判の傍聴以外の方法で、事件の真相を知る機会を保障する必要があるでしょう。また、少年の保護・育成という少年法の理念に反しないかぎり、被害者に 意見を表明する機会を与えることが必要な場合もあるでしょう。
2000年に少年法が「改正」され、裁判官や調査官が、被害者や遺族の「被害に関する心情その他の事件に関する意見」を聴取することができるようになり、被害者や遺族には意見聴取される機会が認められました。そして、2008年の少年法「改正」でその範囲が拡大されました(第9条の2)。
また、Q11で説明しましたが、 2000年「改正」では、被害者等に決定の主文及び理由の要旨などを通知する制度が創設され(第31条の2)、2008年の「改正」により、「審判期日における状況」を説明する制度が創設されました(第22条の6)。このような制度により、被害者等は、一定の範囲で審判の状況や処分の内容を知る機会を得られるようになりました。
このように、被害者の知る権利を保障したり、その意見や気持ちを反映させたりする制度は、現在の少年法においても存在するのです。
将来的には、「修復的司法」と呼ばれる方法を用いること、たとえば、試験観察期間中や保護処分のプログラムの一内容、あるいは、保護処分の終了後に、少年と被害者の対話の機会を設けたりすることも検討する必要があります。

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