聴覚障がいのある人にとっての合理的配慮とはなにか 弁護士 若林 亮 (東京弁護士会所属) 生い立ち 1976年生まれ 幼少時から聴こえず(両耳100デジベル超) 聴こえないとはどのような状態か   音声日本語が耳から入ってこない   自然には日本語を習得できない   どうやって日本語を身につけたか ろう学校(現在では聴覚特別支援学校)  日本語習得がとにかくすべてだった  (聴こえない⇒日本語覚えられない⇒教えよう,使えるようにしようという発想) どうやって日本語を身につけたか  例:「あ」,「か」,「な」,「は」等の覚えさせ方     唇の読み方     日記等 しかし 耳から音声として日本語が入らない おのずから限界がある  発音発声ができるようにならない人もいる  「てにをはが」等の文法が不得手な人も  唇を読むにも限界がある 転校してからは 小学校4年生から聴こえる人が通う学校に転校 なによりも授業が分からない  教科書のどこをやっているか周りをみて判断  板書が頼り  先生の唇が読めない 大学でも なにがあればよかったか 情報獲得手段で配慮があれば  例:ノートのコピー?    ノートテイク?    手話通訳?    教師や友人が手話を覚える? すべての授業でそれらを達成するのは人的,経済的には難しい面がある しかし,なんらかの情報獲得手段についての配慮がないと,聴覚障がいのある人は不便から解放されない 会社では 面接では? 部会では?  ただ,仕事のコツや職場の人間関係を知るには,「耳学問」が不可欠であったりする  教えてくれるときもあればそうでないときもあり情報は偏ってしまいがち(会社だけでなく日常のいろいろな場面でも同様) 法科大学院では 受験自体できなかったところも どのように受け入れてくれたか  授業では  ノートをくれた友人  ゼミ仲間が考案したゼミ参加方法 司法修習では  聴覚障がいのある弁護士として 手話通訳と一緒に仕事をしている 同時通訳  法律相談,打ち合わせ,ケース会議  接見,関係者との面会   法廷活動  電話 聴覚障がいのある人が困る場面とは たくさんある(下記はほんの一例) たとえば,  @ 電車が止まったら(災害が起きたら)  A 電話しか問い合わせ窓口がないとき  B 聴こえる人の飲み会で一人ぼっち 困っていることを解消するには ほんのちょっとしたことでも  @ 電車が止まったら(災害が起きたら)  A 電話しか問い合わせ窓口がないとき  B 聴こえる人の飲み会で一人ぼっち 究極的には 聴覚障がいのある人の感じる不便  ⇒ 耳から情報が入らない  ⇒ 情報を補えば不便は解消に向かう 情報の伝え方は?  ⇒ 文字,文章,絵,図  ⇒ 手話 手話とは 身振り手まねでは決してない 指,手,腕,顔の表情等を用いて表現する 日本語とはまったく別個の言語  ⇒ 障害者権利条約  ⇒ 障害者基本法 手話で育った人は,手話で物を考え,手話で話し,手話で夢を見る 手話は,聴覚障がいのある人の人格的生存に必要不可欠な存在 ろう学校では 当時,ろう学校では手話教育は禁止  手話を覚え始めたのは大学に入ってから  日本語を見て,読んで,書いて覚える日々 いまは手話も取り入れる学校が現れている  ただし,文部省の学習指導要領は日本語教育の一手段として手話があるにすぎない 手話通訳は利用しやすくなったか 聴覚障がいのある人が  ・電話したいとき   ・込み入った相談をしたいとき(法律相談含む) ・学校の説明会,入学式等に参加したいとき   ・地域の行事や講演会に参加したいとき 手話通訳者を地元の自治体に頼めると便利 進まない通訳者の設置状況 手話言語法への動き 手話通訳の育成,設置,手話教育等が広まれば聴覚障がいのある人に対する合理的配慮も広がる 手話言語条例(平成25年鳥取県,以後,各地に広がりつつある) 手話言語法 ただし 合理的配慮の中身が明らかになることが先決 ほかの障がいのある人に必要な合理的配慮も条約,国内法で具体的に明確になっていない とくに聴覚障がいは「見えない障がい」といわれる  ⇒どういうことか? 互いの想像力と理解が必要 相手がどういうことで不便を感じているか,互いに想像,理解することで,合理的配慮の中身が明らかになってくる 聴覚障がいのある人の飲み会でただ一人聴こえる人が参加  ⇒ どのようにして互いに楽しめたか 合理的配慮は普段の日常生活の中でも互いにできること   互いの想像力と理解が必要 聴覚障がいのある人の側からもどのような場面で不便なのか,はっきり伝える必要 互いにどのような合理的配慮が必要なのか一緒に考えていくことが大事 ほかの障がいについても同様