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道徳の「教科化」等についての意見書

2014(平成26)年7月11日
東京弁護士会  会長 髙中 正彦

当会は、2014年7月7日開催の常議員会の審議を経て、標記意見をとりまとめました。

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第1 意見の趣旨

 文部科学省に設置された「道徳教育の充実に関する懇談会」は、「今後の道徳教育の改善・充実方策について(報告)」と題する報告書を取りまとめ、道徳教育の改善・充実方策として、
 1)道徳を「特別の教科」として位置づけ、学校教育法施行規則や学習指導要領の改訂等に取り組むべきものとしていること
 2)道徳教育の評価の方法について検討すべきものとしていること
 3)道徳教育に検定教科書を導入することが適当であるとしていること
 4)道徳教育に関し教員研修の抜本的強化や教員養成課程の充実化を図るべきものとしていること
との提案をしているが、これらは、子どもに対し、国家が公定する特定の価値の受け入れを強制することとなる点で、憲法及び子どもの権利条約が保障する個人の尊厳、幸福追求権、思想良心の自由、信教の自由、学習権、成長発達権及び意見表明権を侵害するおそれがあり、見直されるべきである。

第2 意見の理由

1 「今後の道徳教育の改善・充実方策について(報告)」の内容
 第二次安倍内閣が設置した教育再生実行会議は、2013(平成25)年2月の第一次提言において、道徳教育の重要性を改めて認識し、その抜本的な充実を図るとともに、新たな枠組みによって道徳を教科化することを提言した。
 これを踏まえ、同年3月26日、文部科学省は、「道徳教育の充実に関する懇談会」を設置した。この懇談会は、文部科学省が小中学校の道徳の授業の副読本として作成した「心のノート」の改訂作業を行うとともに(改訂された「心のノート」は、「私たちの道徳」と名称を変えて、2014(平成26)年度から全国の小中学校に配布されることになった。)、現行の道徳教育の改善方策について審議し、同年12月26日、審議の結果を、「今後の道徳教育の改善・充実方策について(報告)」と題する報告書(以下「報告書」という。)にまとめ、公表した(なお、文部科学大臣は、報告書を踏まえ、2014(平成26)年2月17日、中央教育審議会に、「道徳に係る教育課程の改善等について」という諮問を行った。これにより、現在、中央教育審議会の初等中等教育分科会に設けられている教育課程部会道徳教育専門部会で審議が開始され、同専門部会では、本年秋を目途に、専門部会としての答申案をとりまとめ、教育課程部会に報告する予定で作業が進んでいる。)。
 報告書が指摘する事項は多岐にわたるが、現行の道徳教育を肯定的に評価した上で、さらに充実を図るべきものとし、その方策として、「道徳の新たな枠組みによる教科化」と、これを実現するための学校教育法施行規則の改正及び学習指導要領の改訂を行うべきことを提言している。
 また、道徳の「教科化」に伴い、道徳教育の評価の方法について検討すべきであること、道徳教育に検定教科書を導入することが適当であること、教員研修の抜本的強化や、教員養成課程におけるカリキュラムの改善、履修単位の増加、教育実習において道徳の授業を担当させること等の方策も提言している。
 本意見書は、これら報告書の提言の是非について検討するものであるが、それにあたり、まず、現行の道徳教育の目標及び位置づけについて概観する。

2 現行の道徳教育の目標及び位置づけ
 わが国の道徳教育は、1958(昭和33)年改訂の学習指導要領において、小学校及び中学校において各学年週1時間の「道徳の時間」が設置されることにより開始された。
 その後、2006(平成18)年の教育基本法「改正」により、「教育の目標」として、「豊かな情操と道徳心を培う」こと(2条1号)、及び、「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」こと(2条5号)が規定された。
 教育基本法「改正」に伴い、2008(平成20)年に学習指導要領が改訂された。改訂学習指導要領は、「総則」において、「道徳教育は、教育基本法及び学校教育法に定められた教育の基本精神に基づき、人間尊重の精神と生命に対する畏敬の念を家庭、学校、その他社会における具体的な生活の中に生かし、豊かな心を持ち、伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛し、個性豊かな文化の創造を図るとともに、公共の精神を尊び、民主的な社会及び国家の発展に努め、他国を尊重し、国際社会の平和と発展や環境の保全に貢献し未来を拓く主体性のある日本人を育成するため、その基盤としての道徳性を養うことを目標とする」と定められた。
 また、この目標を達成するために、「学校における道徳教育は、道徳の時間を要として学校の教育活動全体を通じて行う」ものと学習指導要領に明記されるとともに、各学校において校長の方針の下に道徳教育推進の中心となる「道徳教育推進教師」が新たに置かれることとなった。

3 憲法及び子どもの権利条約のもとにおける道徳教育のあり方
 以上の道徳教育の目標及び位置づけについては、多くの問題があると考えられるが、この点について検討する前に、日本国憲法及び子どもの権利条約のもとにおける道徳教育はいかにあるべきかについて検討する。なぜなら、公教育は国家が行う作用の1つであり、かつ、その対象が子どもであることに鑑みれば、公教育としての道徳教育は、わが国の法令、なかんずく、立憲主義の原理のもと、国家作用を規制し、国民の基本的人権を保障することを目的とする憲法と、子どもの人権を保障するための施策を取ることを条約の締約国に義務づけている子どもの権利条約に適合したものでなければならないからである。
 日本国憲法は、「個人の尊厳」を中核的価値と位置づけ(13条)、幸福追求権を保障している。また、思想良心の自由(19条)、信教の自由(20条)、学習権(26条)を保障し、これらの精神的自由権に対し、優越的地位を与えている。
 また、子どもの権利条約は、成長発達権(6条)及び意見表明権(12条)を同条約の中核となる権利として保障するとともに、思想良心及び宗教の自由(14条)を保障し、さらに、「子どもの人格、才能並びに精神的及び身体的な能力をその可能な最大限まで発達させること」を、子どもに対する教育が指向すべきこととしている(29条1項(a))。
 ところで、何を「善」とするか、いかなる生き方を「善い生き方」とするかは、個々人によって異なるものである。憲法及び子どもの権利条約は、個々人の価値観や生き方が異なることを当然の前提とし、何を「善」とするか、いかなる生き方が「善い生き方」なのかについては、個々人が自らの判断で選び取るものであり、そこに国家が介入することを禁じている。上記の憲法及び子どもの権利条約が保障している人権(精神的自由権)は、いずれも、個人の内心、個人が有する価値観や生き方に対し、国家が望ましいと考える一定の価値観をもって介入することを防止しようとするものである。
 これら憲法及び子どもの権利条約の原理に照らすと、公教育としての道徳教育は、あくまで、子どもたち一人一人が、多様な生き方や人生のあり方が存在することを前提とし、自らの生き方や考え方を探求して自分なりの価値観を確立することにより成長発達し、その確立した価値観に従い自らの幸福を追求していくことができるようになることを目標とすべきである。道徳教育の内容は、そのために子どもたちが思索を自ら深めていくための素材の提供の場であるべきである。
 したがって、国家が、公教育の名のもと、一定の価値観を公定し、それを国民が身につけるべき道徳内容として、子どもに指導することを内容とする道徳教育は、子どもに特定の価値観を強制する危険を有しており、憲法及び子どもの権利条約が保障する権利を侵害するおそれがあると言うべきである。
 最高裁判所も、いわゆる旭川学テ事件において、「もとより、政党政治の下で多数決原理によってされる国政上の意思決定は、さまざまな政治的要因によって左右されるものであるから、本来人間の内面的価値に関する文化的な営みとして、党派的な政治的観念や利害によって支配されるべきでない教育にそのような政治的影響が深く入り込む危険があることを考えるときは、教育内容に対する右のごとき国家的介入についてはできるだけ抑制的であることが要請されるし、殊に個人の基本的自由を認め、その人格の独立を国政上尊重すべきものとしている憲法の下においては、子どもが自由かつ独立の人格として成長することを妨げるような国家的介入、例えば、誤った知識や一方的な観念を子どもに植えつけるような内容の教育を施すことを強制するようなことは、憲法26条、13条の規定上からも許されないと解することができる」と判示している(最高裁昭和51年5月21日大法廷判決・刑集第30巻5号615頁)。
 この判例に照らしても、特定の価値観を公定し、それを身につけるべき道徳内容として指導する道徳教育は、国家が「一方的な観念を子どもに植えつけるような内容の教育を施すことを強制する」ものとなる危険を有しており、憲法や子どもの権利条約が保障する権利を侵害するおそれがあると言うべきである。

4 現行の道徳教育の問題点
 このような憲法及び子どもの権利条約の原理に照らすと、以下に述べるとおり、現行の道徳教育は、国家が学習指導要領により特定の価値観を「正しいもの」として設定し、子どもたちに提示するという内実を有している。こうした道徳教育は、「正しい」とされた特定の価値観を受け入れない子どもへの事実上の不利益評価をもたらすおそれがあり、国家による子どもたちに対する特定の価値観の受け入れを強制するものとなりかねない。
 すなわち、現行の小中学校の学習指導要領では、道徳教育の内容につき「4つの視点」を定め、それらの視点に基づき、小学校低学年で16、中学年で18、高学年では22、中学校では24の内容項目を摘示している。「4つの視点」の内容は、以下のとおりである。
 1)主として自分自身に関すること
 2)主として他の人とのかかわりに関すること
 3)主として自然や崇高なものとのかかわりに関すること
 4)主として集団や社会とのかかわりに関すること
 以上の項目のうち、例えば上記4)について見ると、中学校の学習指導要領は、「日本人としての自覚をもって国を愛し」としている。しかし、自国を愛するかどうか、どのような内容の愛国心を有し、それをどのように表現するかは、個人の価値観に委ねられるべき事柄であり、愛国心を持つか否か、一定の内容の愛国心やその表し方について、国家により押し付けられるものであってはならない。「国を愛」することを単純に「善いこと・正しいこと」として公定する道徳教育は、個人の価値観に介入し、特定の価値観の受け入れを強制するものとなりかねない。
以上のとおり、現行の道徳教育は、子どもたちが自己の価値観を確立することにより成長発達し、幸福を追求していくことができるようになるために、子どもたちに対し自ら思索を深めていくための素材を提供する場にはなっておらず、国家が、子どもに対し一定の価値観を公定し、身につけるべき価値観として明示するものとなっている。このような道徳教育は、国家が、子どもたちに対し特定の価値観を受け入れることを強制するおそれがあると言わざるを得ない。
 日本弁護士連合会の「新しい学習指導要領の問題点に対する意見書」(2010(平成22)年3月18日)においても、2008(平成20)年に改訂された学習指導要領が定める道徳教育について、「『道徳』を学習指導要領において著しく強調する形で具体化し、教育現場において、これらの目標を達成するよう教育を行うべきものとすることは、一方的な観念を子どもに植え付けるものとなりかねず、思想・良心の自由との抵触を生じさせることになるおそれがあり、教育に対する『不当な支配』にあたることにもなろう」、「新しい学習指導要領により、思想・良心の自由の侵害がさらにもたらされる可能性があるものといわざるを得ない」、「文部科学大臣は、各都道府県及び各政令指定都市教育委員会に対し、新しい学習指導要領の実施にあたっては児童生徒の思想・良心の自由を侵害することのないよう、上記憲法上の趣旨を徹底すべきである」と述べられており、現行の学習指導要領に基づく道徳教育が、国家が一方的な観念を子どもに植え付けるものとなりかねず、子どもの思想・良心の自由との抵触を生じさせ、教育に対する「不当な支配」にあたるおそれがあることが指摘されている。

5 報告書の提言の問題点
(1)報告書が提言する道徳の「教科」化等の内容
 前記1で述べたとおり、報告書は、前述した現行の道徳教育について、「道徳教育の内容として現行の学習指導要領に示されている項目については、「基本的に適切なもの」と述べ、肯定的な評価を加えている。その上で、「道徳教育の要」である道徳の時間を、「特別の教科道徳」(仮称)」として位置付け、そのために学校教育法施行規則の改正及び学習指導要領の改訂を提言している。
 また、道徳の時間の「教科」化を前提として、道徳教育の評価の方法について検討すべきとしていること、道徳教育に検定教科書を導入することが適当としていること、道徳教育に関し教員研修の抜本的強化や教員養成課程の充実化を図るべきこと等を提言している。
(2)道徳教育の「教科化の」問題点
 報告書は、道徳を「特別の教科」として位置づけ、学校教育法施行規則や学習指導要領の改訂等に取り組む必要について、「その目標・内容をより構造的で明確なものとするとともに、学校の教育活動全体を通じて行う道徳教育の要としての性格を強化し、それ以外の各教科等における指導との役割分担や連携の在り方等を改善する」ことを挙げている。
 上記提言は、現行の道徳教育に対する肯定的な評価を前提にしている。しかし、前記4で指摘したとおり、現行の道徳教育には、国家が特定の価値観を「善きもの」と評価することで、子どもの内心に介入するおそれや、国家が子どもに対し、一定の価値観を公定し、身につけるべき価値観として受け入れることの強制となるおそれがある。
 現行の道徳教育が有するこのような根本的な問題点を改善しないまま、学校教育法や学習指導要領による教科内容の拘束力を生じさせる「教科化」を行うことは、よりいっそう国家による統制を強めるものとして、憲法及び子どもの権利条約が保障している子どもの人権を侵害する危険性を高めるものである。
(3)道徳教育に「評価」を加えることの問題点
 報告書は、「児童生徒の成長の振り返りや指導計画・指導方法の改善のためにも評価は重要であ」り、「道徳教育の目標や内容を踏まえながら、その特性を生かした多様な評価の方法について検討すべきである」として、道徳教育に教師による「評価」を導入することを提言する。
 しかしながら、前述したとおり、現行の道徳教育の内容そのものが、子どもの内心に介入するおそれや、国家が子どもに対し、一定の価値観を公定し、身につけるべき価値観として受け入れることを強制するおそれがある。このような状況のもとで、教師による「評価」が実施されることとなれば、学習指導要領に定められた目標や価値観を受け入れない子どもへの不利な評価をもたらすものにならざるを得ない。そうすると、道徳教育によって国家が「善きもの」とした特定の価値観や思想が子どもたちに強制される結果となり、子どもの思想良心の自由、信教の自由、学習権等が侵害されるおそれは極めて高いものとなる。
 なるほど、報告書では、道徳の「評価」方法について、「道徳性はきわめて多様な心情、価値、態度等を前提としていることにかんがみえれば、数値による評価を行うことは不適切」、「児童生徒の内面そのものを評価の対象としたり、入学者選抜等の他の判断の基礎としたりすることについても厳に慎むべき」とし、また、「指導要録の中に、例えば、児童生徒の学習の様子を記録し、その意欲や可能性をより引き出したり、励まし勇気付けたりするような記述式の欄を設けることや、指導要録の「行動の記録」の欄をより効果的に活用する方策など」の評価方法を考えるべきとして、教師による「評価」がもたらす危険性について一定の配慮をしている。
 しかしながら、子どもの内面そのものを「評価」の対象にしたり、入学者選抜などの他の判断の基礎としたりすることが許されないことは多言を要しない。道徳教育の「評価」方法につき、このような注意を明記しなければならないことこそが、道徳を「評価」の対象にすることに潜んでいる危険性を示しているといえる。子どもの内心に立ち入らないで評価を加えるとすれば、子どもの外見的な意欲や態度を評価せざるを得ないが、そうであれば、いかなる評価基準で評価するのかが全く不明であり、教師による主観的、恣意的な評価を排除することはできなくなる。また、そのような主観的、恣意的な評価のもとでは、子どもが「正解」とされるべき言動を取ったか否かが「評価」内容になってしまうであろうし、子どもが、進学等に影響することを慮るあまり、教科化された道徳の内容に迎合的にふるまうおそれもある。報告書が述べる上記の配慮によったとしても、道徳教育に「評価」を加えることの根本的な問題は何ら払拭されていないと言わざるを得ない。
 さらに、道徳教育の「評価」については、教育実務的な観点からも問題がある。報告書が述べるような記述式の「評価」を行うとすれば、現在も行われている通知票の「所見」欄のような記載となることが想定される。現在も、教師は、通知票の「所見」欄を記載する際、児童生徒や保護者によるクレームを避けるために、相当な注意を払い、言葉を選んで慎重に記載しているとのことである。このような実情に鑑みれば、道徳教育について、教師が率直に記述式の「評価」を行うことは、実際には困難であるといわざるを得ず、実際に記述式「評価」を導入したとしても、次第に形骸化し、意味をなさなくなってしまうことが容易に予想される。
(4)道徳教育に検定教科書を導入することの問題点
 さらに、報告書では、道徳を「教科化」した場合の教材として、学習指導要領の基準を満たした「検定教科書を用いることが適当と考える」と提言している。
 この提言に対しては、教科書検定制度自体、表現の自由、学問の自由、子どもの学習権を侵害するものであり、憲法に適合しないという問題があるが、教科書検定制度自体の問題はひとまず措くとしても、道徳教育において検定教科書が導入されることは、検定制度を通じて、国家が推奨する特定の道徳的価値が、「善い」もの、「正しい」ものとして、明確に提示されることになることを意味する。これは、道徳教育を担当する教師の創意工夫を凝らした教育を行う余地を奪うことになる点で、教師の教育の自由を侵害する危険があり、さらに教師を通じて子どもへの受け入れを強制するものとなるおそれが大きく、子どもの思想良心の自由や学習権を侵害する危険が大きい。
 報告書は、「善悪の問題も立場によって見方が異なる場合もあることや、自分の思うようにならない複雑で困難な状況に遭遇したときにどのように対応すべきかなどについて、多角的・批判的に考えさせたり、議論・討論させたりする授業を重視することが必要」であると指摘しており、この点は評価できる。
 しかし、前述したとおり、報告書は、学習指導要領の道徳教育の内容について、「道徳教育の内容として現行の学習指導要領に示されている項目については、基本的に適切なものと考えられる」としている。このような現行の道徳教育に対する評価のもとで、上記のような指導方法を導入するのは事実上困難ではないのかという疑問が払拭できない。逆に、この報告が提言する指導方法からすれば、現行の道徳教育内容を変更するよう提言すべきではないかと思われる。この点で、報告書の上記提言部分は、学習指導要領とも、報告書自身の現行の道徳教育に対する肯定的評価とも矛盾していると言わざるを得ない。
(5)道徳教育に関し、教員研修の抜本的強化や教員養成課程の充実化を図ることの問題点
 報告書は、「学級担任が、『特別の教科 道徳(仮称)』の指導を行うことを原則」とし、教師の指導力強化のために、教育委員会の「道徳担当指導主事等が、各学校を訪問し、道徳教育の全体計画や年間指導計画などの指導計画の作成について指導・助言を行」うこと、道徳教育に関する「研修の抜本的強化」、「教員免許更新講習についても、道徳教育に係る一層の充実」を図ること、「大学の教員養成課程の充実」等を提言している。
 しかし、教育委員会の指導主事が、教師に対し道徳教育の指導計画の作成について指導することや、道徳教育に関する研修や教育課程を充実・強化することは、教師の自主性や自律性を制約し、これまで個々の子どもの実情や学校の状況に即して、教師の創意工夫によりなされてきた様々な取組みを阻害することになりかねず、教師の教育の自由が侵害、ひいては子どもへの受け入れが強制される結果、学習権自体の侵害につながることになる。

6 結論
 以上のとおり、報告書は、道徳という、個人の内心に密接に関わる領域に関する教育につき、国家が特定の価値観、倫理観、思想を公定し、「善いこと」、「正しいこと」とし、それらを子どもへの受け入れの強制となるおそれがある現行の道徳教育を肯定的に評価し、そのような評価を前提としつつ、その強化・充実化の方策として、道徳の「教科化」と、道徳教育の「評価」、検定教科書の導入、及び教員研修の抜本的強化や教員養成課程の充実化等の方策を提案するものである。
 これらの報告書の提案は、国家が子どもの内心に介入するおそれのある現行の道徳教育をいっそう強化し、子どもに対し、いっそう国家が公定する特定の価値の受け入れの強制をすることとなる点で、憲法及び子どもの権利条約が保障する個人の尊厳、幸福追求権、思想良心の自由、信教の自由、学習権、成長発達権及び意見表明権を侵害するおそれがあるものと言わざるを得ない。
 したがって、当会は、報告書の提言につき、見直すべきであるとの意見を述べる。