東京弁護士会
刑事拘禁制度改革実現本部

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代用監獄Q&A

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「代用監獄」とは何ですか?

(1)世界でもまれ
日本の刑事訴訟法では、逮捕された被疑者は、3日以内に裁判官の面前に引致されなければならず、裁判官が勾留の決定をすると、被疑者は拘置所に移されて、最大10日間(更に10日間、特殊な犯罪の場合には15日間延長が可能)拘禁されることになっています。
しかし、実際には、監獄法(1908年)で「警察官署に付属する留置場は之を監獄に代用することを得」と定めているため(1条3項)、ごく例外的な場合を除き、全ての被疑者が勾留決定後、捜査を担当する警察の留置場(代用監獄)に連れもどされます。被疑者は、警察によって、逮捕後23日間も拘禁され、身柄を管理されるのです。この警察留置場に監獄の代用として被疑者を長期間拘禁し、取調べを行うことを認める日本独特の制度が、「代用監獄」制度です。

(2)えん罪の温床
日本の警察は被疑者の取調べに熱心で、自白を強要しがちです。自白を得るために、警察官が被疑者を拘禁している状況を不当に利用することがしばしばあります。深夜までの厳しい取調べによって無実の者が自白させられる等、代用監獄制度が深刻な人権侵害やえん罪の原因となっています。
警察庁は、「1980年から捜査部局と身柄管理部局(看守係)を分離したので、人権侵害はもう起こらない」と主張していますが、同じ警察の内部で係を分離しても無意昧です。現に、その後もえん罪事件は次々と発生しています。

(3)約束違反の存続
1908年に拘置所の不足から暫定的制度として発足し、政府自身その弊害を認めて、「将来は監獄として用いない」ことを約束した「代用監獄」が、捜査にとって非常に便利なために現在も維持、活用されているのです。

(1996年12月1日 日本弁護士連合会発行 「代用監獄の廃止を求めて」より)

被疑者は代用監獄でどのように扱われますか?

(1)代用監獄はどのようなところか?

まず被疑者は警察官が監視できるよう配置された部屋(房)に収容されます。 この狭い部屋(約100)に数人の被収容者と長期間生活をともにすることになります。婦人あるいは少年もこの部屋のひとつに収容されますので、成人男子の好奇心の対象となることは避けられません。
監視にあたる警察官は被疑者のあらゆる行動をチェックし、記録につけます。起床、洗面、食事、読書、就寝...など、およそ生活のすべてが監視されます。排泄行為も決して例外ではありません。

(2)きびしい行動規制
そのうえに警察のつくった内部的な規制が被疑者の生活や行動を厳しく制約しています。室内で立ち歩くこと、会話をすることは禁じられます。床に敷かれたゴザやじゅうたんのうえでの座り方あるいは就寝中の毛布のかけ方のような細かいことまでも厳しく命じられます。部屋の片隅にトイレがありますが、排泄物の水洗も被疑者は自由に出来ません。

(3)非人間的な環境
入浴は1週間に1回程度、運動は1日1回でそれぞれ10分から15分間の短時間が普通です。運動場がある場合もそれは建物の一角で、通常は非常に狭く、かつ過密です。そのため「喫煙所」がわりに使われることが多いというのが実情です。
外部との連絡はとりわけ厳しく制限されます。直接電話を外部にかけることは出来ませんし、弁護人への連絡も出来ません。弁護人の接見すら妨害されることは間4の答えのとおりです。食物や衣類の差入れや自費購入もさまざまな口実をつけられてしばしば妨害されます。

(4)自白などで左右される
こうして被疑者の生活は警察官の監視・規制の対象となり、その管理・支配に委ねられます。そして被疑者が自白をしない場合、おうおうにして被疑者に対する処遇は一層悪化します。逆に自白をすると、恩恵的によい処遇を受けることもある、ということになります。

(1996年12月1日 日本弁護士連合会発行 「代用監獄の廃止を求めて」より)

代用監獄では被疑者はどのような取調べをうけるのですか?

(1)自白追求の取調べ
被疑者の取調べは事実上、自白をとることを最大の目的として行われています。取調べの方法あるいは時間を具体的に制約する法規は一切ありませんし、不当なやり方を迅速に是正する救済方法もありません。取調べは無制約に行われ、自白を強要するさまざまな方法が用いられます。憲法等には黙秘権が保障されていますが、警察官は被疑者が取調べを拒否する自由を認めていません。不当な自白強要を前にして黙秘権は無いに等しいというのが実態です。
起訴前に保釈制度がないこと、あるいは国選弁護人制度がないことも、このような取調べを許す結果となっています。特に代用監獄では警察官が被疑者の生活を全面的に管理・支配していますから、野放図に自白強要が行われています。

(2)取調べのさまざまな方法
例えば早朝から深夜におよぶ取調べを連続的に、しかも連日長期間にわたって続け、被疑者の心身を極度に疲弊させる、複数の警察官がこもごも殴ったりこづいたり、蹴ったり、指を締めつけたりする、テーブルを叩いたり被疑者の座っている椅子をひっくり返したりする、被疑者を直立不動に立たせたり、あるいは耳もとで「お前がやったんだ」と大声で怒鳴ったりする...などの拷問。自白すれば家に返してやると告げたり、自白した被疑者には差入れの自費購入の制限を緩和したり、あるいは配偶者や友人などとの「面会」を特に認めたりする利益誘導。血だらけの被害者の力ラー写真を食事中の被疑者に見せたり、あるいは就寝中1時間毎におこしたりするイヤガラセ。

(3)自白の強要
このように暴力、脅迫を伴ない、または決定能力や判断能力をそこなう方法で取調べが行われています。このような取調べに長期間耐えることは困難です。
しかも「自白」の証拠である「調書」には取調べの過程や状況は記述されません。被疑者が「自白」をしたあとになって「調書」が作られるのが実情です。この間、「取調中」を口実として弁護人の接見すら許されません。被疑者は孤立無援のまま(Q4参照)、自棄的な気分から警察官のいいなりに「自白」してしまうのです。

(1996年12月1日 日本弁護士連合会発行 「代用監獄の廃止を求めて」より)

弁護人は自由に被疑者に会えるのですか?

(1)捜査を理由とする接見制限
日本においても、憲法で弁護人依頼権を保障し、刑事訴訟法39条は、弁護人との面会の権利を定めています。しかし、同条3項は警察官と検察官という捜査官に「捜査のための必要」を理由とした面会の制限の権限を与えています。
すべての事件でというわけではありませんが重大な事件や被疑者が否認している事件などでは、この権限(接見指定権)が行使されています。この権限が行使されると、弁護人は被疑者と面会することは厳しく制約され、事前に捜査官(主として検察官)の許可がなければ面会できません。
面会を申し込んで2~3日待たされることは稀ではありませんし、1回の面会時問は15分程度と予め制限されます。

(2)接見の異常な慣行
また、その時間に面会が許可されていることを示す、検察官の許可書(具体的指定書)を、検察庁に出頭して受領し、これを持参して、被疑者の拘禁されている代用監獄(警察留置場)にいかなければ面会できないという異常な取扱いが長年にわたって続けられてきました。
このような取扱いは、弁護人依頼権そのものの否定にも等しいものであり、日弁連は、長年にわたってその状況の改善に取り組んできました。その結果、捜査官の運用には一定の改良が行われつつありますが、捜査官に「捜査のための必要」を理由とした面会制限を可能とする制度の基本的な枠組みについての改善のメドは立っていません。

(3)官庁執務時間外は会えないのが原則
また、夜間、休日の面会も官庁の執務時間外であるという理由で原則として禁止されています。夜間に逮浦された被疑者に面会するために、弁護人が訪ねた場合、警察官の取調べは深夜まで実施されるにもかかわらず、弁護人の面会はできないのが一般的です。政府はこのような取扱いを合法化する法案を三度も国会に提出しました。国民はこのことに強く反対して法案化だけは免がれていますが、現状をかえることはできません。

(1996年12月1日 日本弁護士連合会発行 「代用監獄の廃止を求めて」より)

被疑者は逮捕されてすぐ効果的な弁護をうけられますか?

(1)遅すぎる援助
まず第一に指摘しなければならないのは、日本においては、刑事訴訟法272条の定める国選弁護制度は、犯罪の嫌疑によって起訴された被告人に対してのみ存在し、捜査機関の苛酷な取調べを受けている期間の被疑者には国選弁護人選任の権利はありません。1989年1月に無罪判決の確定した元死刑囚の赤堀政夫氏も、はじめて弁護士に面会できたのは、起訴された後でした。このように、重大事件においても、弁護士の援助を受けられるのは、ほとんどの場合、起訴以後が現状です。このような取扱いは、国連の「あらゆる形の拘禁・受刑のための収容状態にある人を保護するための原則」の17.2項に明確に違反するものです。

(2)弁護人との手紙も検閲の対象
また、日本では、弁護人と被疑者・被告人との手紙のやり取りの内容が全て検閲されています。弁護人との秘密の信書授受を保障している国連の被拘禁者処遇最低基準規則93条の明確な違反といえます。日本では、弁護人が被告人に宛てて出した訴訟準備のための手紙が施設の検閲削除の対象となり、さらにその内容は検察官の知るところとなる例も報告されているのです。

(3)被疑者の保釈制度は存在しない
日本の刑事裁判制度のもうひとつの特徴は、被疑者段階での保釈の制度が存在しないということです。裁判官の勾留決定は、裁判への出頭確保を目的とするものですが、保釈制度が存在しないため、勾留の20日間は捜査機関の取調べのための持ち時間として運用されています。

(4)救済制度の欠如
日本では、弁護人が仮に面会等の機会に、捜査機関の被疑者に対する拷間的取扱いを知ったとしても、これを迅速に救済すべき実効的な法的手段がありません。
警察署長などに対する審査の申立てなどの制度には、審査機関の独立性がなく、実効性は全く期待できません。
勾留決定について、裁判官に対して準抗告を行う方法や人身保護法による救済はありますが、その理由は、いずれも勾留決定の合法性(嫌疑の存在と勾留の必要性)、手続の合法性に関するものに限定され、勾留中の非人道的取扱いをその理由とすることはできません(刑事訴訟法429条、人身保護法2条)。

(5)第三者委員会も存在しない
拘禁施設における人権侵害に対する実効的な救済手段として、第三者委員会が欧米諸国で採用されています。第三者委員会は、刑事施設に対する制度として発達してきましたが、捜査機関に対しても設置されるようになってきています。例えば、イギリスは1984年警察・刑事証拠法において「警察不服審査庁」の制度を設けていますが、警察官(経験者も含む)はこの委員には、なれないとされています。
日本には、行刑の場面においても、捜査の場面においても、第三者委員会は全く存在しておらず、政府が提案している法案の中でも、このような機関は設置されないことになっています。
結局、日本では、捜査機関の拷間的取扱いに対しては、刑事裁判での自白の任意性、信用性を争う手段と、事後的に民事裁判で、損害賠償を請求する以外には手段はない、といわなければなりません。

(1996年12月1日 日本弁護士連合会発行 「代用監獄の廃止を求めて」より)

無実の人が代用監獄での取り調べにより自白させられ、有罪となった事例がありますか?

自白が代用監獄で強制されたことを裁判所が認めた最近の事例は数多くありますが、次の4件を紹介します。

旭川日通所長殺人事件

(1) 取り調べの経緯
1982年 8月17日 別件の容疑者として逮捕
8月19日 別件勾留(北海道旭川警察署)
9月 7日 別件起訴(旭川警察署に勾留継続)
9月11日 本件殺人事件についてポリグラフ検査
取調べ開始(12時問)
13時間5分取調べ(11:00a.m.~1:05a.m.)
9月13日 12時間5分取調べ(12:20p.m.~0:35a.m.)
9月14日 10時間39分取調べ(9:25a.m.~8:04p.m.)
本件殺害行為を自白
9月17日 本件逮捕
9月18日 本件勾留
10月 7日 本件起訴
(2) 裁判所の認定

裁判所は、次のとおり、本件殺人事件の取調べは、別件で身柄を拘束されている被告人に対して許される任意の取調べの限度を越えた違法なものであり、又、取調方法も、自白の強要に等しく、自白には任意性に疑いがある、として被告人の供述調書の証拠能力を否定し、無罪の判決を言い渡しました。 (旭川地裁1984年8月27日証拠決定、同1985年3月20日判決) 「被告人は、自白の前後を通じかなりの程度疲労し、健康状態も思わしくなかったものと認めることができる。被告人は、1982年9月11日から被告人が最初に殺人について自白する同月14日までの取調べにおいて、それまで吸うことができたタバコを吸うことも許されなくなり、取調べの警察官から大声で怒鳴られるなどして殺人事件について自白を迫られ、頭を小突くあるいは胸をたたくなどの暴行を受けたり、長時間不動の姿勢を保つことを強いられた疑いが極めて強いものといわざるをえない。」 「本件殺人事件による逮捕後起訴までの被告人に対する取調状況は別表三取調状況一覧表記載のとおりであり、前記のとおり被告人は疲労し、体調の悪い状態にあったにもかかわらず、取調べ終了時刻が午後10時を過ぎた日が13日《うち、午後11時を週ぎた日が6日、午前需時を過ぎた日が3日》あり、また、取調時間が1日10時闇を超えた日が13日《うち、12時間を超えた日が2日、13時間を超えた日が4日、14時間を超えた日が1日、15時間を超えた日が1日、16時間を超えた日が1日》あり、その取調べの方法は、前記本件殺人事件による逮捕前の取調べとともに、被疑者の人権を無視した極めて不当なものであったといわざるをえない。」

2.お茶の水女子大寮強盗強姦未遂事件

(1) 取り調べの経緯
1985年 5月28日 別件の被疑者として逮捕(東京板橋警察署に引致)
7月17日 別件判決(執行猶予)
7月17日 本件で逮捕
7月28日 連日9時ころまで取調べ
7月31日 本件自白

(2) 裁判所の認定
裁判所は、以下のとおり、被告人の自白について任意性を否定し、無罪の判決を言い渡しました。
(東京地裁判決1987年12月16日)
「警察官は勾留延長後の同年7月23日ころから急拠被告人の取調時間を長くするようになり、ほぼ夜間の9時ころまで語べるのは連日のことで遅い時は深夜にまで及ぶようになり、この間、しばしば大声で怒鳴りつげたり、また、取調用の机をしきりに手でたたくなど被告人を威嚇することなどもするに至った。そして、その後の同月30日における警察官の取調べに至っては、右同様の方法に加えてしばしば被告人の座っている椅子の下部を足蹴りするものともなり、その時間も午後6時10分ころから翌31日午前零時30分ころの遅きに及んだほか、さらに同31日にも午後1時30分ころから約3時間にわたって同様の取調べを行い、同31日夜の取調べも午後6時10分ころから開始され、その取調方法は前同様であったが激しさを増し、午後9時過ぎになると、警察官は『この靴はお前のだろ。』などと言って被告人に本件デッキシューズを初めて示し、これに対して被告人がこのような靴は知らない旨を述べると、警察官は口々に『お前のだ。』と大声で怒鳴ったり、前記係長を含めた警察官が指で被告人の頭を小突くなどした。」

3.大阪南港殺人事件

(1)取調べの経過
1981年 2月22日 殺人の被疑者として逮捕 大阪住吉警察署に引致
殺害の事実を否認
2月24日 勾留 (住吉警察署)
3月 2日 殺害行為を自白 自白調書の作成 起訴
4月27日 大阪拘置所に移監

(2) 裁判所の認定

裁判所は、次のとおり、自白の任意性に疑いがあるとして、被告人の供述調書の証拠能力を否定しました。
(大阪地裁証拠決定1984年3月9日)

「被告人は、留置中の住吉警察署において、本件殺人被疑事件の取調べを担当した警察官らから、概要次のとおり被告人が述べるような暴行(拷問)、脅迫ないし利益誘導を受け、その影響下で右自白をした疑いが濃厚である。
被告人の供述調書は、供述の任意性に疑いがあり、証拠能力を認めることができない。」

警察官による暴行等に関する被告人の供述の概要

「警察官の暴行は逮捕の翌日である1981年2月23日から始まった。角材で殴ったことを認めさせようとする警察官からいろいろな暴行を受けたが、それらは南港での殺害行為を自白した同年3月2日まで毎日続いた。まず2人の警察官が両側からそれぞれ耳を引っ張り耳もとに口を寄せて『返事せい』とか『何でしゃべらんのだ』『ばかもん』などと大声でどなったりした。またA刑事はジャンパーの前えりをつかみ吊り上げるようにして首を締め上げ取調室の壁に頭を打ち当てさせ、同時にみぞおちを殴ったりしてきたが、そのようなときB刑事もいっしょになってみぞおちを殴ったりした。」

「3月2日は朝の9時から10時の間に取調に入り、H、A、Bの3人の刑事に午後2時過ぎまで調べられたが、その間髪の毛をつかんで振り回したり、いすの脚の上に座らせたり、板の間に正座させられたり、前えりを締め上げて頭を取調室の壁にぶつけたり(3回くらい脳震盪をおこした)拷問の連続であった。」

「午後9時ころ○○班長が取調室に入ってきて他の刑事は取調室を出て行った。○○班長からは、殺人事件以来自分の家の近辺に毎日浮浪者がうろついていること、暴力団の△△が借用書を持って取り立てにきていること、被害者が金を借りていた貝塚の金融機関か極道からも大阪府警に電話があり、被害者が死んだ以上被害者を殺した犯人であるお前のところへ慰謝料や金融の取り立てに行くと言っている(それを大阪府警が今とめている)ことなどを告げられたうえ、『お前も警察に頼みたいことようけあるやろうけど、殴ったと認めたら、恐喝の△△やら、浮浪者が来とるのやら、貝塚の極道来とるのは大阪府警と地元の上野署でちゃんと家族の面倒見てやるから。』などと1時間ぐらいそのような話があった。」

その後、裁判所は、殺人について無罪の判決を言い渡しました。
(大阪地裁判決1985年6月19日)

4.鹿児島夫婦殺人事件

(1) 取り調べの経緯
1969年 4月12日 別件の詐欺等の容疑で逮捕
4月13日 九州鹿屋警察署に引致
本件殺人事件取調べ開始(連日朝8時~夜11時頃まで)
4月15日 別件勾留(鹿屋警察署)
4月24日 別件起訴
5月16日 別件追起訴
7月 2日 本件自白
7月 4日 別件判決 (執行猶予)
7月 4日 本件逮捕
7月 7日 本件勾留 (鹿児島警察署)
7月25日 本件起訴
8月26日 鹿児島刑務所拘置監へ移監

(2)裁判所の認定
裁判所は、以下のとおり、違法な別件逮捕により得られた自白は、違法収集証拠として証拠能力がないとし、無罪の判決を言い渡しました。
(福岡高裁判決、1986年4月28日)

「被告人は別件で逮捕されて鹿屋警察署に引致された日(1969年4月13日)から本件の取調べを受け、そのころから本件で起訴(同年7月25日)されるまで3月以上にわたりその間4日位を除いて毎日、平均して朝8時ころから夜11時ころまで、同年 1月15日夜(犯行当夜)の行動を中心として嘘を言うなと怒鳴られるなど厳しく取調べられ、そのなかで4月いっぱいは朝から晩まで12時ころまで警察署長官舎で、5月に入ってからは2、3日ずつ間をおいて10日位警察官宿舎で、いずれも片手錠を施し、腰紐を警察官が握り、数人の警察官に取り囲まれた状態で怒鳴られるなどしながら厳しく追及され、5月中句以降心臓病(左室肥大症、冠不全症)、低血圧症で不眠症となり微熱が続き、それが6月以降不眠・発熱はひどくなり足にむくみもでてくる状態で、取調官はこれらのことを知りながら依然として厳しい取調べを続けた旨を述べている。」

再審で死刑から解放された人が4人もいるのですか?

取調中の自白が有罪の決め手となって死刑判決をうけ、死刑の執行におびえながらつづけた再審で自白が信用できないと認定されて無罪となった人が4人も続いてでています。4人とも代用監獄に収容されている間、厳しい取調べをうけ、虚偽の自白を強制されたのです。

(1)免田事件(免田栄氏)
1950年3月23日一審判決・死刑-1951年12月25日上告棄却判決・確定。 その後6回にわたる再審講求を重ね、ようやく1983年7月15日再審判決で明白なアリバイが認められ、無罪となりました。拘禁期間は12,599日でした。
事案は、1943年12月29日深夜、熊本県人吉市で発生した夫婦殺害、娘2人に重傷を負わせた強盗殺人事件です。免田氏は、留置場の施設もない人吉署の仮庁舎で丸4日間睡眠を与えられずに過酷な取調べをうけ、心ならずも取調官の意にそった自白調書を作成されました。
免田氏は、再審によって死刑台から生還した第1号です。
(2)財田川事件(谷口繁義氏) 1952年2月20日一審判決・死刑-1957年1月22日上告棄却判決・確定。  その後2回の再審手続で自白が虚偽と認められ、1984年3月12日無罪判決が出ました。 拘禁期間は10、412日です。 事案は、1950年8月23日末明、香川県財田村で発生した闇米ブロー力ーを殺害した強盗殺人事件。
谷口氏は、別件の軽い強盗事件や窃盗事件の捜査に名をかりて逮浦・勾留をむしかえされ、代用監獄で約4ケ月間上記事件を追及され、ついに自白させられました。

(3)松山事件(斎藤幸夫氏)
1957年10月29日一審判決・死刑-1960年11月1日上告棄却判決・確定。  2度に及ぶ再審請求が通り、1984年7月11日無罪判決が出ました。拘禁期間は10,450日でした。
事案は、1955年、宮城県松山町でおこった一家4人殺人放火事件。
斎藤氏が、連日長時間取調べられて疲労し、絶望しているとき、同じ房に送り込まれた警察の協力者高橋勘市が、「裁判でひっくり返せばよい」と自白を強くすすめました。このことが大きく影響されて彼は自白するに至ったのです。

(4)島田事件(赤堀政夫氏)
1953年5月23日一審判決・死刑-1960年12月15日上告棄却判決・確定。
その後4回に及ぶ再審請求で再審開始となり、1989年1月31日自白の信用性が否定されて無罪となりました。拘禁期間は12,668日です。
事案は、1954年3月10日白昼、静岡県島田市の幼稚園から女児が何者かに連れ出され、近くの山中で強姦殺害された事件。
警察は取調室では厳しい取調べが外部に知られることを恐れて、署長公舎の一室で赤堀氏を連日追及しました。赤堀氏は誘導に乗って変転する自白調書を作成されたのです。

(1996年12月1日 日本弁護士連合会発行 「代用監獄の廃止を求めて」より)

代用監獄や弁護人との面会制限は国際人権規約等に違反しないのですか?

日本弁護士連合会(問11参照)のこの間題についての意見は次のとおりです。

(1)国際人権規約と新原則
1966年に国連総会で採択されて1976年に発効した国際人権規約は、日本も1973年に批准しました。日本政府はこれを条約として遵守しなくてはなりません。また、1980年12月に国連総会で「あらゆる形の拘禁・受刑のための収容状態にある人を保護するための原則」が、日本政府代表を含む全会一致で採択されました。この新しい原則は39条からなり、加盟国がこれらの原則に違反することを禁止しています(原則7)。代用監獄や被拘禁者の弁護人との面会制限はこれらの国際法規に違反していますので、日本政府はこれらの制度を、すぐにも廃止しなくてはならないのです。

(2)代用監獄は許されない
国際人権(自由権)規約(市民的及び政治的権利に関する国際規約)9条3項には「刑事上の罪に間われて逮捕され又は抑留された者は、裁判官又は司法権を行使することが法律によって認められている他の官憲の面前に速やかに連れて行かれるものとする」と定められています。この規約は逮捕、抑留された者が裁判官の面前に連れて行かれた後は再び警察の元には戻らないことを前提にしており、被逮捕者らをすみやかに警察の手から離すことを保障したものです。裁判官の面前に連れて行った後も被逮捕者らをひき続き警察の手元に置く代用監獄はこの規約上許されないはずのものです。
国際人権(自由権)規約委員会は、1993年10月、規約に基づき日本政府から提出された報告書を審査しました。委員会において多くの委員が、代用監獄を廃止すべきであるとの意見を述べ、委員会のコメントにおいて、「公判前の手続及び代用監獄制度が、規約のすべての要件に適合するようにされなければならない」と、日本政府に勧告しました。国連の拷問特別報告官も1995年1月12日、国連人権委員会に提出した報告書で日本の代用監獄に言及しています。
また、IBA(国際法曹協会)は、委員を日本に派遣し「代用監獄」について調査を行い、1995年6月に、レポートを纏めましたが、その中で「代用監獄は廃止すべきである」と提言しています。さらに、1998年9月19日の理事会で、代用監獄の存続は望ましくないとして、日本政府に対して「代用監獄の制度を改革するための具体的プランを作成するよう」勧告しました。
著名なNGOであるヒューマンライツ・ウォッチは、1995年3月にレポート「監獄における人権/日本」を発表し、日本の監獄について国際人権法から見た分析と勧告を行いましたが、日本の監獄システムは全面的な改革が必要であると勧告しています。
アムネスティ・インターナショナルや国際人権連盟も調査の上、日本政府に代用監獄の廃止を勧告するなど(1991年、1989年)、国際的にも日本の代用監獄に対する非難が高まっています。

(3)弁護人の面会制限は許されない
新原則18は「拘禁された者又は受刑者は、自己の弁護人と相談するため、十分な時間と便宜を与えられる」「拘禁された者又は受刑者が、遅滞なく、また検閲されることなく完全に秘密を保障されて、自己の弁護人の訪問を受け、弁護人と相談又は通信する権利は、停止されたり、制限されたりしてはならない」と定め、例外を裁判官が安全と秩序を維持するために不可決だと判断した場合に限定しています。ところが日本の刑事訴訟法39条3項は検察官や警察官が「捜査のため必要があるとき」には被拘禁者の弁護人との面会を制限できることになっています。この制度はこの新原則に明らかに違反します。
さらに、国会に提案された後述の法案(間10参照)では、被拘禁者の弁護人との面会を施設の執務時間内に限り、それ以外は施設の「管理運営上支障があるとき」には制限できることにして面会の制限を一層拡大しょうとしています。このような立法が許されないことはいうまでもありません。

なぜ日本の警察は代用監獄の廃止に反対するのでしょうか?

日本の警察は代用監獄の廃止に反対する理由として、第一に、捜査を迅速かつ適正に進める上で代用監獄が必要だといい、第二に、被疑者を収容するのに十分な拘置所を増設するには膨大な費用(約4000億円)がいるので財政上困難だといっており、法務省もこれに同調しています。

(1)捜査の便宜を優先する制度
代用監獄が捜査上必要だという第一の理由は、被疑者を取調べるのに便利だということにほかなりません。警察庁の説明では被疑者の身柄は捜査を担当する警察署に近接する場所に置く必要があり、取調室が完備していなくてはならないというのですが、これは警察署の近くに取調室の完備した拘置所を設置すればよいのですから反対の理由になりません。被疑者を手元に置いておけば、いつでも取調べができるというのが本音です。日本の警察は嫌疑をかけた者をまず逮捕し、取調べて自白させ、その上で裏付け証拠を集めるという捜査方法をとっています。捜査の重点は被疑者の取調べにおかれ、そのためには代用監獄は便利な制度です。しかし、世界の先進諸国はすべて捜査上の便宜を犠牲にして人権の擁護を図っているのです。日本だけが、この制度に固執する理由はありません。しかも代用監獄による自白中心の捜査は科学的捜査の発展を妨げています。

(2)政治的ビジョンの確立こそ急務
財政上困難だという第二の理由も根拠がありません。法務省が試算した拘置所増設費用には土地の購入費が大部分を占めていますが、実際には既存の法務省の建物や敷地を利用すればよいのです。現在でも拘置所の中には遊休施設が多いので、これを利用すると共に、必要な場所を選んで効率よく増設すれば、必要な拘置所の増設は10年以内には十分可能です。また、近代国家として当然あるべき施設なのですから必要な費用はかけるべきであり、経済大国日本の国家財政から見れば拘置所の増設費用など僅かなものです。
代用監獄を廃止するという政治的ビジョンをたてることが大事なのです。

(1996年12月1日 日本弁護士連合会発行 「代用監獄の廃止を求めて」より)

日弁連とは何ですか?代用監獄についてどのような態度をとってきましたか?

(1)日弁連のあらまし
日本弁護土連合会(日弁連)は、弁護士法(1949年)に基づいて、弁護士及び弁護土会の指導、監督を行うために設立された特別法人です。日本全国の約16,000名(1996年12月現在)の弁護士全員と地方弁護土会は、当然に日弁連の会員になっています。弁護土法で、弁護士の職責として「基本的人権の擁護」と「社会正義の実現」を掲げていますが、その見地から日弁連は、人権侵害のおそれのある法案や事案について具体的な取組みをしています。
日弁連は、東京都千代田区霞が関1-1-3にあり、全国の弁護士から選出された会長の外に12名の副会長、約70名の理事が業務執行にあたっています。

(2)「代用監獄」の廃止は宿願
日弁連は、虚偽の自白とえん罪の温床である「代用監獄」の廃止のために、戦後一貫して活動してきました。日弁連は、1992年2月、被拘禁者に関する国際的人権保障の基準に合致した「刑事被拘禁者の処遇に関する法律案」をまとめ、公表しました。この法案では、代月監獄の2000年末までの廃止を明記しています。
また、日弁連は、1990年4月、刑事弁護センターを設立し、逮捕直後から弁護士会が弁護人を派遣する当番弁護士制度を、弁護士会の費用負担によって全国でスタートさせました。この試みは、政府に、被疑者のための国公選弁護人制度を一刻も早く新設させることを目的にしています。
今後も、日弁連は、日本の刑事手続全体の改革に取組んでいきます。

(1996年12月1日 日本弁護士連合会発行 「代用監獄の廃止を求めて」より)

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