東日本大震災被災者相談活動に思う(吉田 悌一郎)
3月11日午後3時前、突然事務所内が激しい揺れに襲われた。ロッカーから事件記録がバサバサと音を立てて落ち、食器の割れる音が聞こえてくる。通常の地震と比べて揺れが異常に長い。事務所全体がパニックになり、もしかしたら事務所のビルが倒壊するのではないかとの恐怖感がみなぎった。
揺れが収まって、震源が東北地方だということがわかった。急いでテレビをつけてみると、ほどなくして恐ろしい津波の映像が流れた。避難している自動車を無情にも大波があっという間に飲み込んでいく。一体何が起こったというのか。人が亡くなる瞬間が、まさにリアルタイムで映像に映し出されているのだ。
多くの方々がそうであったように、私もあまりのショックにしばらく仕事が手につかなかった。しかし、何かできることをしたい、やきもきしているよりは行動したい、そんな思いが日増しに強くなっていった。そこで、3月18日に行われたさいたまスーパーアリーナでの避難者のニーズ調査を皮切りに、東京武道館や赤坂プリンスホテルなどの関東の避難所での相談活動に携わった。
5月28日には、弁護士会の被災者相談で福島県郡山市にある避難所、郡山ビッグパレットにも行ってきた。
私がこれまで受けたご相談は、いわゆる福島原発避難指定区域あるいはその近辺(とくにいわき市の30K圏外)の方々からのものが多かった。
原発関連の避難者に共通していると私が感じるのは、みな先の見えない不安に大きな憤りを感じていることだ。一体自宅に帰れる日がいつくるのか、永遠にだめなのか、だめならだめとはっきり言ってくれれば、まだこれからの人生の見通しを新しく考え直すこともできる。またいわき市の原発30K圏外の避難者の場合で言うと、果たしていわきにいて大丈夫なのか、放射能の影響がどのくらいあるのか、はっきりしたことが何もわからない不安である。仕事の関係上、夫だけが地元に残り、妻や子どもだけ他の地域に避難し、家族がバラバラになっているケースも多い。こうしたご相談に対して、現時点では何も有効な解決策を示すことができない。ただ、話を聞いてあげることしかできない。
正直に言って、私にとっての被災者相談は、そのように、自分の無力感を痛感する場でもある。この未曾有の災害に対して、法律家として一体何ができるのか、何の役にも立っていないのではないか、毎回そのような自問自答をすることにもなる。
郡山ビッグパレットでは、相談の合間に短時間、避難者の居住スペースにも立ち入らせていただいた。今までの経験上、避難所に相談ブースを設けて黙って座っていてもだめだ。こちらから出かけていって、「何かお困りのことはないですか。」と積極的に話しかけていかないと(もちろん生活者の迷惑にならない範囲でだが)中々重い口を開いてくれない。居住スペースでは、段ボールで仕切っただけの狭い空間に各自が毛布や最低限の生活用品を置いて生活している。被災者たちは、このようなプライバシーも満足に守られず、極めて不便な生活を、日々先の見えない不安に苛まれながら、長い人ではもう2ヶ月以上も強いられているのである。果たしてこれが健康で文化的な最低限度の生活、人間に値する生活と言えるであろうか。やはり何とかしなければならないという思いを改めて強くした。
今回の震災は、いわゆる長期的支援、おそらく10年単位の支援が今後必要となるであろう。私のような平凡な一弁護士ができることは少ないかも知れない。しかし、とにかく今の情熱を失うことなく今後も活動を継続していくことこそが大切なのだと思う。どこまでお役に立てるかわからないが、今後も迷惑にならない範囲で積極的に被災地や避難所を訪れて行きたい。
(弁護士・吉田 悌一郎)