震災から3ヶ月、顕在化しつつある問題と今後の支援(吉田 悌一郎)
震災からちょうど3ヶ月が経った6月11日、私は弁護士会の福島県相馬市の相談に参加させていただいた。相馬は、本来であれば上野から常磐線で一本で行ける場所にあるが、今回の震災により、福島第一原発避難指示区域を通るルートであるため一部運休となっている。そのため今回は、東北新幹線で福島まで行き、そこからレンタカーを借りて相馬まで向かうことになった。
相馬市に入り、相談会の前に、松川浦や相馬港といった沿岸部を視察した。私はその前の週の6月5日に、個人的に福島県いわき市を訪れる機会があり、その際四ツ倉や久ノ浜といった浜通りを見てきた。いわき市浜通りの津波被害も甚大であったが、相馬の沿岸部も相当な津波被害があったことが伺えた。たた、いわきの場合はまだ瓦礫がほとんど片付けられずに放置されていたのに比べて、こちらは瓦礫の撤去作業がとりあえず開始されているようであった。
その後、相馬市内の2箇所の避難所を訪問させていただいた。いずれも相馬市内の被災者が多く、津波で自宅や田畑を流されたという方々もいた。
最近、被災者のご相談をお受けしていて感じるのは、震災から3ヶ月が経過し、親族間のトラブルや紛争が今回の被災を機に顕在化しつつあるケースが増えていることだ。震災後、夫は地元に残り、妻が子どもを連れて他地域に避難し、長引く避難生活のすれ違いや夫婦の考え方の違い(よく聞くのは、夫は地元に残ることを希望し、妻は子どもを連れて他地域に移住することを希望するようなケース)などで離婚に至ってしまうケース。あるいは、震災によって亡くなった方の遺族同士の相続がらみの争い。被災者でない親族から、受領した義援金まで引き渡せと要求されるケースなど。
これらはいずれも、今回の震災前には問題のなかった(いや、問題はあったかもしれないが、少なくともここまで紛争が顕在化していなかった)ケースであり、震災に伴う様々な困難に直面し、家族や親族の絆が断ち切られてしまった悲しいケースだ。生活の再建が遅れれば遅れるほど、今後もこうした紛争は増えていくだろう。この意味でも被災者は二重、三重の苦しみを背負っているのだと痛感させられた。
相馬市は現在、郊外に600戸規模の仮設住宅を建設している。それに伴い、相馬市内の各避難所は近く閉鎖予定であり、今後被災者の多くはこの仮設住宅に移ることになる。しかし、当然のことながら、仮設住宅に移っても、被災者の問題がそれですべて解決することはあり得ない。多くの被災者が自宅と仕事を突然失い、これからどのように生活を再建していくのかを探り、その過程で様々な困難やトラブルにも遭遇するはずである。それだけでなく、そもそも仮設住宅の住環境にも心配な点が多い。仮設住宅は暑さに弱く、現時点でも仮設住宅に移られた方が暑さに耐えきれずに避難所に一時的に戻ってくるケースもあるという。これから7月、8月の猛暑の時期を迎えるに当たって、熱中症の危険など、被災者の健康管理にも目を配らなければなるまい。
避難所を出て仮設住宅に移られた被災者の方々を今後どのようにフォローしていくか。組織的・継続的な支援の体勢を今後もどのように構築していくか。これらが被災者問題に取り組む弁護士に課せられた今後の課題であろう。
(弁護士・吉田 悌一郎)