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ちょっこら、ちょっこら。(関 理秀)

あのときから1年が過ぎました。

子供のころから鉄道が好きだった私は、震災直後の報道に、言葉を失いました。津波にのみ込まれて大破してしまった車両、トンネルに閉じ込められ身動きが取れなくなった車両、橋ごと流されたり、大きくゆがんでしまった線路を目の当たりにし、とにかくも、そのときに鉄道を利用していた乗客の方々の、無事を祈っていました。私が好きだった美しい三陸沿岸の鉄路は、そのときを境に、寸断されたままになっています。

直後の混乱が徐々に収束し、私たちの中からも、被災地におもむき、支援、復興のための法制度の案内や法律相談をする輪が、徐々に広がってきました。

震災直後に福島県いわき市を訪れたきり、沿岸部に行くことができていなかった私も、何度も通った三陸の鉄道が今どうなっているのか、そこで暮らす方々は、日々どのような思いで過ごしておられるのか、この目できちんと見ておきたい、という思いを強くしていました。

この冬、機会を得て、2回、三陸沿岸、岩手県の大槌町に伺いました。

東北新幹線で新花巻駅へ、そこから河童のふるさと遠野、仙人峠をとおり、JR釜石線で釜石駅に向かいました。

釜石駅から北上するJR山田線は、津波によって、宮古までの区間のほとんどが流出、現在も復旧のために線路を通す場所すら、決まらない状況です。レンタカーを借り、線路と平行に走る国道を北上すると、正に山田線の現実が目に飛び込んできました。海や川の近くでは、線路があったはずの場所には、何もありません。駅があったはずの場所にも、何もありません。少しだけ小高く、言われればようやくホームとわかるふくらみがあるだけ。川を越える橋げたは流され、橋台だけが、そこに橋がかかっていたことを物語っています。

一転、リアス式海岸に寄り添い、起伏の多い山田線、山の上の駅は、それまでと変わらない情景。井上ひさしの小説、政府に愛想を尽かした東北地方の住民が日本からの独立を宣言する、「吉里吉里人」で話題になった、大槌駅の隣駅、吉里吉里(きりきり)駅は、震災前と何も変わっていませんでした。入口にベニヤ板が打ちつけられ、線路はひどく、錆びついている他は。

錆びついて、列車の来ない線路に立ち、私はただそれを呆然と眺めていました。

けれども、大槌の皆さんは、それぞれの立場で、必死に生きておられました。

お子さんのため、看護師に復帰して働きながら、工場の被災で単身都会に異動になったご主人を待つ方、町の復興のため、定年で町役場を退職されてもなお、町の復興のために尽力しようとする方、町のため、仮設の保育園を早急に立ち上げようとする元園長の方、建物ごと流されたにもかかわらず、これからも増えるであろうボランティアや復興に従事する宿泊客のため、夏までには再開させようとする旅館の経営者の方、皆さんが、町の復興のため、町の元気を再び取り戻すため、ひとりひとりができることを見つけ、努力されておられました。

前を向いて歩こうとされる皆さんを、さらに少しずつ、元気づけることの喜びを感じ、逆に私も元気をもらって、帰路につきました。

愛想をつかされ、独立されないうちに、交通インフラの整備も含め、復興計画を立てることは急務でしょう。復興に向けた取組みが徐々に進む一方、まだまだ被災者の方々の生活面、精神面のストレスは、並大抵のものではありません。

しかし、町の皆さんひとりひとりが、それぞれ、少しずつ、前を向いて動き始め、やがて大きな力になって、町が再び活気を取り戻す日を願い、そのお手伝いが少しでもできたらと、思いを強くした訪問でした。

山田線が復旧する前にも、まだ何度か、被災地に行くことになりそうです。

(弁護士・関 理秀)

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