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プレハブ飲み屋の常連客に ~大船渡復興屋台村にて(吉田 悌一郎)

 「先生、しばらくでした!」

 店ののれんをくぐると、女将がいつものように明るく声をかけてくれる。ここは大船渡復興屋台村。3・11の津波で大きな被害を受けた、JR大船渡駅の周辺に店を構えていた人々が集まった。彼らは津波被害の跡地にとどまってプレハブの仮設店舗をいくつか建設し、それぞれが小さな飲食店を営んでいる。復興屋台村とは、そうしたいくつかの仮設店舗が集まっている場所だ。

 大船渡市は、岩手県南部に位置する沿岸地域で、地震に続く津波で大きな被害を被った。震災法律相談活動のため、この地に足を踏み入れるのは今回で6回目になる。

 今年の初め、この地はまだ生々しい津波被害の傷跡を剥き出しにしていた。ここで一番最初の相談者は、学校の教員をしているという女性だった。相談場所は4畳ほどの狭く薄暗い和室。小さなちゃぶ台を挟んで、お互いに挨拶をして相談を受け始めるなり、彼女の目は真っ赤になり、涙が溢れた。津波で家族を亡くし、自分1人だけが生き残った。その家族が残した財産の処理をめぐる相談だった。震災後、たった1人で気丈に生きてきた彼女の気持ちを思うと、改めて、3.11の被害の深刻さに胸が痛んだ。

 今年の初夏の頃になると、瓦礫が片付けられただけの津波跡地に雑草が生い茂るようになり、自然のたくましさを感じた。青々と茂る雑草が、徐々に傷跡を癒してくれているように感じられた。だが、被災者たちを巡る現状は、依然として厳しいものであった。

 震災から時間が経過し、収入の道も途絶え、義援金や支援金を使い果たして生活に困窮する被災者、自宅が津波で流されたにもかかわらず、残った住宅ローンを律儀に払い続けた挙げ句、もうこれ以上は払えないと相談に来る被災者、震災とそれに続く困難な生活がっきっかけとなって生じる離婚などの家族間のトラブル等々。現地の被災者たちは今もまだ、もがき、苦しみ続けている。

 いつしか、大船渡復興屋台村に出かけるのが、この地に来たときの楽しみの1つとなった。店では、脂ののった新鮮なさんまを焼いてくれる。旬の魚だ。かつて漁業が盛んだったこの地ならではの絶品。東京ではまず食べることができない。

 酒を飲みながら、店の人や他のお客と談笑するのもまた楽しみの1つ。週末はささやかだが屋台村も賑わっている。親子で20年以上もやっていた店を失った人、自宅を失い、仮設住宅から飲みに来る人、家族を亡くした人。ここでもみんな、何かを抱えている。ここは被災者たちの傷を癒し合う場でもある。

 復興などとはおよそほど遠いこの地の被災者たちの現状。来る度、相談を受ける度に暗澹(あんたん)たる気持ちにもなる。しかし、ここで飲んでいるとなぜかフッと気持ちが軽くなる。それは一時のものかも知れないが、とても気分が癒される。

 そう、被災者たちはそれでも一生懸命に今を生きている。いつ復興するのか、そんなことはわからない。でもゆっくり歩いて行けばいい。そして、ほんの少しではあるが、今後もそんな被災者たちに寄り添って行きたい。

 これからもこの地を訪れよう。そしてこのプレハブの屋台村にも。

(弁護士・吉田 悌一郎)

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