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避難所相談に参加して(貞弘 貴史)

最初に某避難所にボランティアで入ったとき、「ここは戦場か」と思うほどの衝撃を受けました。

避難所の廊下に敷き詰められた段ボール。その上に毛布を敷き、うつろなまなざしで通りゆく人を見つめる人、ただ何もせずじっと横たわっている人・・・。無邪気な子供の笑い声すら痛ましく思えました。

私事ですが、岩手県の遠野市に4年半生活しました。東京生まれですが、遠野は私にとって、「第二」ではなく、「第一」のふるさとと思っています。そのような縁もあって、「何かしなければいけない」という思いが強くなり、その後多くの都内避難所相談に参加させていただき、被災地の避難所にも東京弁護士会として参加させていただくことになりました。

ところで、避難所相談と弁護士事務所で行われる相談の違いの一つに、「相談される方の法的需要を引き出す」というものがあります。

避難された方に「困りごとはありませんか」と尋ねると、「困っていることはたくさんあるんだけど・・・」と返されることが多いです。

法律事務所にいらっしゃる方は、弁護士に話したいことがあるから事務所に行きます。避難所の方は、本当は弁護士に話さなければいけないことがあるのですが、それが自分にもわかっていません。ただでさえ先行きの見えない生活に疲れているのに、避難所では情報が錯綜しています。「これとこれは弁護士に聞く話で、これとこれは別のところ」と理路整然する体力も気力もありません。

東京弁護士会の都市型公設事務所を経て、岩手県遠野市のひまわり基金の弁護士になり、さらにまた都市型公設事務所に戻ってきました。相談するほとんどの方は初めて弁護士に会う方です。そのような環境から、話の中からごく自然にその人の法的ニーズを見つけることができるようになりました。

そのノウハウは今、避難所相談でとても役に立っています。

とある避難所で、写真をアルバムに貼っている、70歳くらいのおばあちゃんがいました。お邪魔にならないようにおそるおそる話しかけると、おばあちゃんは段ボールでできた部屋の中に招いてくれ、写真を見せてくれました。写真には、ちょっと昔風の髪型をして紋付袴を着たお婿さんと、きれいな白無垢姿のお嫁さんが写っていました。聞けば、息子さんの結婚式の写真だということです。

「息子の家の写真は全部流されたの。私の家も流されたんだけど、写真はタンスの中に大事に入れていたの。だから何枚かはまだ何とかなったの。だからほれ、こうして息子にあげようと思って」

おばあちゃんは、水に浸かった写真をゆすいで陰干しして、乾いたものを丁寧にアルバムに貼る作業をしているところでした。

聞けば息子さんはもう40歳近くで、お子さん(おばあちゃんからみればお孫さん)も成人したとのことです。ですから、本当はもっともっとたくさん写真はあったのでしょう。ですが、手元に残ったのは本当にわずかなものばかりでした。

息子さんの40年間、おばあちゃんの70年間の思い出も津波は流してしまいました。

言葉を失いつつも、何かお役に立てることはないかと必死に考えながらお話を聞いているうちに、息子さんがいわゆる二重ローンで困っていることがわかりました。

考えうる限りのアドバイスをして、おばあちゃんに「ありがとう」と言っていただきました。お話が終わり、避難所を去る際、ふとおばあちゃんを見ると、おばあちゃんはまだ丁寧にアルバムを作っていました。

地震・津波の恐ろしさ、失うものの大きさ、それでも生きていく人間の強さ・・・大げさかもしれませんが、本当にいろいろなことを、避難所相談を通じて学ばせていただきました。

とある被災地では、1階部分がほとんど骨組だけになった家屋の2階に白いタオルが干してありました。家屋の掃除に使って洗濯して干しているのでしょうか。

「自分たちは負けない」

そう語っているような気がしました。

東北は負けません。

(弁護士・貞弘 貴史)

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