第33回受賞者
片山 徒有 さん
1997年、当時小学2年生の息子の隼さんを自宅付近の交差点での交通事故で亡くす。この際、捜査機関からの不起訴処分の理由さえも教えてもらえないといった理不尽な対応を機に、被害者支援と司法制度改革の必要性を感じる。そして、2000年に被害者支援団体「あひるの一会」、2007年に「被害者と司法を考える会」を設立。「あひるの一会」の被害者支援活動は、相談、助言、危機介入支援、司法手続の支援、心的外傷の軽減等の多方面に及ぶ。また、「被害者と司法を考える会」の活動は、前記団体の活動をさらに一歩進めたものとして、被害者の苦衷の軽減には司法制度の改革が必要と考えて、犯罪被害者等基本法、少年法、公訴時効等について、国会・政党・法務省法制審議会等の場で発言や提言を行う。これらの活動は、現在各地の被害者支援のさきがけであることもさることながら、現在の被害者等通知制度の制度改正に通じた意義は大きい。
また、被害者支援の枠に止まらず、再犯を防ぐことが新たな被害者を生まないことになるとして、加害者にも目を向けた活動のなかで、加害者の更生には被害者の苦しみを理解することが重要との思いに至る。そして、少年院在院者及び刑務所等の講演等で、自らの経験の中から被害者の苦しみを懸命に考えることを伝える。
隼さんの交通事故から20年が経過する現在も、自己資金を投じながら、被害者支援、司法制度の改革、あるいは犯罪や非行をした者に対する教育等に積極的に尽力し、修復的司法を実践したともいえる活動を続ける。
永山子ども基金
「永山子ども基金」は1991年9月1日に死刑執行された永山則夫の遺言「本の印税を日本と世界の貧しい子供たちへ、特にペルーの貧しい子どものために使ってほしい」を実現するために元弁護人らによって、1997年に設立。
翌年には、ペルーの子どもたちの自立を支援する組織「マントック」への支援金送付が開始され、さらにそこから生まれた、働く子ども・若者運動体「ナソップ」に対しても支援対象を広げる。「永山子ども基金」は、印税が先細りになる中、2004年以降、毎年チャリティーコンサートを企画して新たな財源を生み出し、「ナソップ」活動を地道に支え続け、活動拠点となる「ナソップの家」の建設を可能とした。また、同支援活動の中で、日本のフリースクール「東京シューレ」の子どもたちとの交流も実現させる。
「永山子ども基金」の長年の活動を支えた強い思いには、ペルーの子どもたちとの交流で生まれた彼らの活動に対する連帯感に加え、永山裁判・判決、そこでの少年犯罪に対する司法の対応、死刑制度そのものに対する疑念があった。犯罪に及ぶ原因・動機は様々であるが、置かれた社会・家庭環境を抜きに語れない犯罪も多く、犯罪者を極刑に処して何が解決されるのか、さらには冤罪もしばしば生まれる状況にあって死刑制度を存続させていいのか、「永山子ども基金」は市民に対しこうした問題提起を行ってきた。このように「永山子ども基金」の活動はそのこと自体意義のあるものである。