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第13回市民会議(2007年10月16日)

第13回東京弁護士会市民会議が2007年10月16日に行なわれた。今回のテーマは「法教育における弁護士会の役割について」である。

  • 岡田ヒロミ委員(消費生活専門相談員)
    私たち消費者センターの相談員としては、消費者に生きる力として法律を身につけてもらいたい、悪質商法にひっかからない消費者になってほしいと考えている。行政も何十年も消費者教育を実施しているが、全く消費者には身に付いていない。悪質商法そのものを教えることはできるが、何故「悪質」なのか、どうすればひっかからないのか、という根底の部分についての教育がなされていない。何故法律を守らなければならないのか、何故法律を知れば被害を受けないのか、被害があったらどのようなことを主張できるのか、という部分がこれまでの消費者教育ではストンと落ちているような気がするとともに、この部分は弁護士でないとできないと思う。弁護士には、私たちにはできない部分をカバーしてほしい。また、消費者教育が必要だとは言っても、すべての人に教育を行き届かせるためには自分たちで出向くしかない。弁護士会の企画もできるだけ出向いて行うことが大切だと思う。

  • 阿部一正委員(新日本製鐵(株)知的財産部長)
    これまで30年間以上、企業の法務部門の業務に携わっているが、その業務の一貫として、一般社員への法務教育は重要な項目の一つである。今日では、「コンプライアンス」ばやりで、その重要性はさらに高まっている。法務教育の業務を遂行するたびに感ずることは、当然社会人になる段階、すなわち学生時代において既に理解しているべき一般常識的な知識が、実はあまり身についていないことに愕然とすることがある。たとえば、民事責任と刑事責任の違い、法律と習慣の違いなど。なんでもかんでも法律によって解決できると思っている、あるいは、法律どおりでなければならない、と考える人が多い。多様な価値観を持っている沢山の人たちが、お互いに妥協しあうことで世の中が成り立っているけれど、どうしても折り合いがつかない時に、最後の手段として、法律というものがある、ということなのだが。
    高学歴の人が大勢いる大企業においてさえ、上記のごとくなのだから、一般社会においておや、である。法曹の方々は、法律問題を合理的に解決するだけではなく、一般国民の法教育についても役割が期待されている、ということを聞いて、大変感心した。感心するとともに、自分の経験から、これは容易なことではないと思った。

  • 藤村和夫委員(筑波大学法科大学院教授)
    多数の市民に悪質商法による被害が生じると、大規模な弁護団で対応するようになってきてはいるが、被害や紛争を発生させないという予防法学的な視点からすると、法教育は最も大きな手段になると思う。法教育の対象は主に中高生とのことだが、今日の学校教育においては、法に関わる以前の問題として、人間がどのように生活していくのか、社会はどのようにできているのか、というような問題を教え、かつ、生徒に考えさせることが必ずしも十分でない。何故自殺をしてはいけないのか、何故勉強するのか、何故身体を売ってはいけないのか、このような素朴な疑問に正面から答えることは難しいが、法を教えることと同時にこうしたことも一緒に考えてみるという視点があるともっといいのではないかと思う。「裁判傍聴ってな~に?」のパンフレットの感想だが、裁判官の表情がちょっと怖いという気がする。

  • 長友貴樹委員(調布市長)
    小中学校において、規範意識を教えるのは当然だが、それ以上に「法教育」と呼ばれるところまで手がけている学校はごく一部、それも試験的に行っているにすぎない。しかし、法教育への期待も大きい。小学生に教えるのであれば、言葉を易しく置き換えて理解を促進させていかないととっつきにくい印象を与えてしまうことになり、かえって逆効果だ。その点のノウハウを蓄積することについては是非協力してほしい。また、憲法のように政治的な意味合いが含まれるものは、大学生に教えることさえ難しいのに、まして、小中学生に教えることは非常に難しいと思うので、是非ノウハウを提供してほしい。学校においてどのように法教育を行うかであるが、学校が土・日曜日が休みのため、教師に非常に大きな負担がかかっており、新たに特別な時間を設けて行うことは難しい。しかし、意見交換やディベートはどの学校でも行っているので、そうした学校行事に組み込めれば可能であろうし、また、弁護士が教師のサポートとして関わることができれば、教師の負担も軽減されるだろう。

  • 紙谷雅子議長 (学習院大学法学部教授)
    「裁判傍聴ってな~に?」のパンフレットは刑事手続の流れがわかりやすく書かれ、全てを理解していれば刑事訴訟法は十分と思われるくらいに大変よくできている。しかし、何故、裁判傍聴のパンフレットが刑事事件に関するものなのか。市民にとっては刑事事件の方が入りやすいのかもしれないが、「法に関わることは悪い」「裁判所に行くということは悪いことをしたということだ」と人々が何となく持っている印象をますます強めてしまうことになりかねない。むしろ、何か紛争やトラブルにあったときに裁判所に行けばバランスのある結論を出してくれる、裁判所は便利でとても役に立つところだ、というように裁判制度をアピールをすることがとても大切だと思う。そのような視点から見れば、市民にとって知っているとプラスになる情報は民事に関することであろう。確かに、中高生に裁判傍聴をしてもらうとすれば、民事事件はわかりにくいかもしれない。しかし、何か困ったときに裁判所に行けばいいと人々が考えること、法的な解決の有用性に納得することが、法律家の多くなる社会には必要であると思う。また、市民にとって役に立つ情報を教えるとすれば、イベント的なものではなく、より継続的な法教育活動が望ましい。

  • 藤森研副議長(朝日新聞編集委員)
    「法教育」という言葉を聞いても、あまりピンとこない。弁護士会に期待されている法教育があるとすれば、そのコンセプトは、市民教育や社会教育というべきものではないだろうか。その一環として、法律、ルールも考えることではないか。単に法律、ルールを守りましょう、というのではなくて、時にはルールもおかしくなるということも含めて考えるのが、市民教育だと思う。例えば、「裁判傍聴ってな~に?」のパンフレット13頁に「警察などの捜査機関で逮捕・勾留されたまま起訴された被告人は、裁判期間中拘置所に勾留されます。」という記載があり、その後に説明もあるのだが、やはり読んだ時にギクッとした。これはまさに人質司法の問題であって、それが現在まかり通っているルールだとすれば、そのことこそおかしい。このような点をきちんとしないままにルールを守ろうというのは市民教育ではないし、むしろ逆だと思う。そんなことを考えるため、「法教育」という言葉がピンとこないのかもしれない。