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給与等債権の差押禁止等に関する意見書

2016(平成28)年3月25日
東京弁護士会 会長 伊藤 茂昭

当会は、2016年3月24日開催の常議員会の審議を経て、標記意見をとりまとめました。

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第1 意見の趣旨

1 民事執行法152条1項を改正し、「債務者が国及び地方公共団体以外の者から生計を維持するために支給を受ける継続的給付に係る債権」並びに「給料、賃金、俸給、退職年金及び賞与並びにこれらの性質を有する給与にかかる債権」(以下「給与等債権」という。)については、一定の金額までは差押禁止とすることを検討すべきである。
 ただし、同法151条の2第1項各号に規定する債権(扶養義務等にかかる定期金債権)が請求債権となる場合は、法改正の対象とせず、従前どおり、民事執行法152条3項の基準によることが相当である。

2 年金、給与、生活保護費などの差押禁止債権が、受給者の預金口座に振り込まれて、預金債権となった場合について、これら差押禁止債権を原資とする預金債権に対する差押を禁止することの立法化を検討すべきである。

第2 意見の理由

1 はじめに

 金銭債権についての強制執行の実効性を確保する観点から、勝訴判決等を得た債権者が債務者財産に関する情報を取得する制度の実効性を向上させるために、財産開示手続について所要の見直しをするとともに、その情報を債務者以外の第三者から取得しようとする手続を新たに創設することは、喫緊の課題である。
 この点については、現在、民事執行手続に関する研究会において、議論がされているところであり、その議論を踏まえて、2016年には、法制審議会への諮問がなされることが予定されている。
 もっとも、上記のような制度の検討をするに当たっては、併せて、債務者を過酷な状況に陥らせることのないようにするという観点からも、十分に議論を尽くすことが望まれるものである。
 民事執行手続は、権利の実現を求める債権者の利益を実現することを大原則としつつも、他方で、日常の生活を維持する債務者の利益をないがしろにすることはできないのであって、その相反する利益を衡量の上バランスを取るものでなければならない。
 したがって、債権者が時間とコストをかけて得た勝訴判決等が実効性を持つための法整備をすべきことは当然としても、その債権者の権利が正当に実現されていく中で、真に債務者の生活が破綻することのないように検討することは、極めて重要なことである。

2 給与等債権の差押禁止について

(1) 現行制度の問題点
ア 現行の民事執行法152条1項は、括弧書きにより、給与等債権の額が標準的な世帯の必要生計費を勘案して政令で定める額(民事執行法施行令2条により、支払期が毎月と定められているときは、33万円)を超えるときは、政令で定める額に相当する部分のみ差押が禁止されるものとし、差押禁止の最大限度を定めているが、逆に、この金額まではすべて差押禁止になるという、差押禁止の最小限度の定めは置かれていない。
イ したがって、給与等債権の額がどれほど低額であっても(どれほどの低所得世帯に対しても)、4分の1に相当する金額の差押は可能となる。例えば、債務者の有する給与等債権が月額10万円の場合でも、2万5000円の差押が可能である。
 そのため、低所得世帯の生計を支える債務者に対し、給与等債権の差押がされることによって、債務者の世帯が生活保護基準をも下回る生活を強いられることがある。また、すでに生活保護基準を下回る生活をしている世帯の債務者に対してさえ、給与等債権の差押がされることがある。
 そうすると、債務者の世帯に対し、「健康で文化的な最低限度の生活」(憲法25条)を下回る生活を強いることになり、債務者の世帯を過酷な状況に陥らせることにならざるを得ない。
ウ この点、時間とコストをかけて得た勝訴判決等によって執行する債権者の立場からすれば、少額でも給与等債権を差し押さえることにより、幾分かの満足を受けることはできるし、そのことで、債務者が真摯に債務の返済に向き合うことができるとの見方もないわけではない。
 しかし、債務者が、それまで以上の給与等の金額を獲得できるような社会的・経済的環境があればともかく、非正規雇用の増大、賃金や資産格差の増幅といった社会事情をふまえると、債務者の生活状況を厳しく追い込むことだけで、債務を返済できる状況になるわけではない。
 また、たとえ少額であっても債権回収が図れることも事実であるとしても、差押の対象となる給与等債権の額が債務者の生活を困窮させるようなレベルのときは、当該債権は経済的に回収困難な資産価値の乏しい権利となっているとも評価できるのであって、その債権回収のために債務者の生活を困窮させるのは、やはり酷であると考えられる。
(2) 一定金額まで給与等債権の差押を禁止すべきこと
 もっとも、現行制度の下でも、給与等債権の差押を受けた債務者の救済手段として、債務者から、民事執行153条1項の差押禁止債権の範囲変更の申立をし、「生活の状況その他の事情」を疎明することにより、差押禁止債権の範囲を拡張してもらうことはあり得る。
 とはいえ、差押禁止債権の範囲の変更は、債権者がその債権の取り立てをした後では無意味であるから、この場合、債務者は、差押命令が送達された日から1週間を経過するとき(民事執行法155条1項により債権者の取立が可能となるとき)までに、「生活の状況その他の事情」の疎明資料を準備し、同法153条1項の申立をするとともに、執行裁判所から第三債務者に対し、支払その他の給付の禁止を命じてもらう(同条3項)必要がある。
 しかし、給与等債権の差押を受け、当面の生活の糧を失っている状態に置かれた債務者が、上記のような短期間に、自ら又は弁護士を依頼して疎明資料を準備し、適切に申立をすることは、容易なことではない。
 そして、給与等債権の額がどれほど低額であっても(どれほどの低所得世帯に対しても)、債務者が自ら差押禁止債権の範囲変更の申立をしない限り、生活の糧となる給与等債権のうち、4分の1に相当する金額の差押を甘受せざるを得ないというのは、酷である。
 今後、上記のような点に配慮しないまま、財産開示制度の見直しや財産照会制度の創設をすると、債務者に対し、深刻な問題を生じさせることにもなりかねない。
 そこで、民事執行法152条1項を改正し、債務者の生活の糧となる給与等債権については、一定の金額まで差押禁止とすることを検討すべきである。
(3) 検討に当たっての留意事項等
ア ただし、このような法改正を検討するに当たっては、債権執行の実効性を不当に弱めることのないようにという観点から、債権者の権利の保護の点についても考慮する必要がある。
 そして、上記の「一定の金額」をいくらにするかについては、例えば、動産執行において差押禁止動産とされる金銭(民事執行法131条3号、同法施行令2条)のように一律の金額を定めるのか、あるいは、国税徴収法による給与の差押禁止規定(国税徴収法76条4号、同法施行令34条)のように生計を一にする親族の数に応じた金額とするのか等を含め、慎重に検討しなければならない。
イ また、民事執行法151条の2第1項各号に規定する債権(扶養義務等にかかる定期金債権)は、債権者の生活保持を図ることを目的とするものであり、このような債権についても、上記のような法改正の対象とすることは、適切でない。
 上記のような扶養義務等にかかる定期金債権については、従前どおり、同法152条3項の基準によるべきである。
(4) 結論
 以上より、民事執行法152条1項を改正し、給与等債権については、一定の金額(その具体的な金額については、なお検討を要する。)まで、差押を禁止することを検討すべきである。
 ただし、同法151条の2第1項各号に規定する債権(扶養義務等に係る定期金債権)が請求債権となる場合は、法改正の対象としない(従前どおり、同法152条3項の基準による)ことが適切である。

3 差押禁止債権を原資とする預金の差押禁止について

(1) 現行制度の問題点
 現行制度の下では、一部差押が禁止されている給与等債権も、それが受給者の預金口座に振り込まれて預金債権となった場合には、給与等債権の差押禁止債権の範囲(民事執行法152条)を超えて、全額が差押可能となる。
 また、年金や生活保護費のように、その全額が差押禁止とされている債権(国民年金法24条、厚生年金保険法41条、生活保護法58条)も、それらが受給者の預金口座に振り込まれて預金債権となった場合には、差押が可能となる。
 しかし、もともと差押禁止の対象であったものが、銀行振込の方法により支給され、預金債権となることによって、差押禁止の対象から外れるというのは、あまりに観念的であり、上記のような差押禁止債権を原資とする預金債権の差押が行われると、受給者及びその家族の生計を維持し、その生活の保障を確保するという見地から定められた差押禁止債権の趣旨は、没却されてしまう。
(2) 差押禁止債権を原資とする預金の差押を禁止すべきこと
 この点、現行制度の下でも、差押禁止債権を原資とする預金債権の差押を受けた債務者の救済手段として、民事執行法153条1項の差押禁止債権の範囲変更の申立により、当該預金の差押を禁止することは、考えられる。
 とはいえ、差押禁止債権の範囲の変更は、債権者がその債権の取り立てをした後では無意味であるから、この場合、債務者は、差押命令が送達された日から1週間を経過するとき(民事執行法155条1項により債権者の取立が可能となるとき)までに、当該預金債権の原資が差押禁止債権であることに加えて、「生活の状況その他の事情」の疎明資料を準備し、同法153条1項の申立をするとともに、執行裁判所から第三債務者に対し、支払その他の給付の禁止を命じてもらう(同条3項)必要がある。
 しかし、差押禁止債権が振込入金された預金の差押を受け、当面の生活の糧を失っている状態に置かれた債務者が、上記のような短期間に、自ら又は弁護士を依頼して疎明資料を準備し、適切に申立をすることは、容易なことではない。
 こうした点に配慮しないまま、今後、財産開示制度の見直しや財産照会制度の創設を検討すると、債務者を過酷な状況に陥らせ、深刻な問題を生じさせることにもなりかねない。
 そこで、債務者の生活保持という差押禁止債権の趣旨にかんがみ、立法により、差押禁止債権を原資とする預金の差押を禁止することを検討すべきである。
(3) 下級審裁判例
 なお、東京地裁平成15年5月28日判決(金融法務事情1687号44頁)は、「年金受給権者が受給した年金を金融機関・郵便局に預け入れている場合にも、当該預貯金の原資が年金であることの識別・特定が可能であるときは、年金それ自体に対する差押と同視すべきものであって、当該預貯金債権に対する差押は禁止されるべきものというべきである。」と判示している。
 また、広島高裁松江支部平成25年11月27日判決(金融商事判例1432号8頁)は、「処分行政庁において本件児童手当が本件口座に振り込まれる日であることを認識した上で、本件児童手当が本件口座に振り込まれた9分後に、本件児童手当によって大部分が形成されている本件預金債権を差し押さえた本件差押処分は、本件児童手当相当額の部分に関しては、実質的には本件児童手当を受ける権利自体を差し押さえたのと変わりがないと認められるから、児童手当法15条の趣旨に反するものとして違法であると認めざるを得ない。」として、差押をした県に不当利得返還義務を認めている。
 これらの下級審裁判例は、まさに、差押禁止債権が預金債権になった場合でも、差押を禁止する必要のある場合があることを判示したものである。
(4) 検討に当たっての留意事項等
ア このような法改正を検討するに当たっては、債権執行の実効性を不当に弱めることのないようにという観点から、債権者の権利の保護の点についても考慮する必要がある。
 しかし、差押禁止債権としている趣旨からすると、債権者としても、差押禁止債権を原資とする預金債権であるとして特定ができるのであれば、その範囲での強制執行ができなくなることは、やむを得ないと考えられる。
イ もっとも、差押禁止債権が振り込まれた預金のうち、差押禁止の範囲を、具体的にどのようにして特定するかについては、なお検討を要する。
 この点、例えば、民事執行法制定当時の議論(第二次試案)では、「給料等の弁済として当該債権につき債務者の預金口座に払い込まれた場合においては、その預金債権のうち差押の日から次期の給料等の支払の日までの日数に応じて計算した金額に相当するもの」は、差し押さえることができないものとすることが検討されていた。
 このような方法のほか、差押禁止債権の振込入金専用の特別な口座を設定し、金融機関において、当該口座へは、それ以外の入金(振込・預入)はできないものとした上で、当該口座の預金債権の差押を禁止するという方法によることも考えられる。
 妥当な制度としての立法化(どの範囲を差押禁止とするか、また、第三債務者となる預金機関における差押禁止範囲の判別方法等)の具体的内容については、慎重に検討する必要がある。
(5) 結論
 以上より、年金、給与、生活保護費などの差押禁止債権が、受給者の預金口座に振り込まれて、預金債権となった場合について、これら差押禁止債権を原資とする預金債権(その差押禁止の範囲・特定方法については、なお検討を要する。)に対する差押を禁止することの立法化を検討すべきである。