東京弁護士会

座談会「共に生きること自体に価値がある」

2017年3月6日,障害当事者4名による座談会が,手話通訳者2名が交替で常時手話通訳する形で実施された。弁護士も障害当事者のリアルな声を聴く機会は少ないのではないか。当事者の声を聴くことなく人権は考えられない。
出 席:海老原 宏美 さん、藤井 克徳 さん、大胡田 誠 弁護士、田門 浩 会員
司 会:藤岡 毅 会員

Ⅰ 自己紹介

司会:自己紹介を簡単に。
藤井:藤井克徳です。目が見えません。養護学校(現在の特別支援学校)に勤務したあと,障害者政策の前進のため民間の立場から運動団体を作り取り組んでいます。
海老原:海老原宏美です。自立生活センター東大和で,権利擁護,相談支援などしています。神経筋疾患の難病で,車いすと人工呼吸器ユーザーです。人工呼吸器ユーザーの地域生活支援を目的として「呼ネット」という団体を立ち上げています。
大胡田:弁護士の大胡田誠です。弁護士になって10年目です。普段は,町医者みたいな弁護士,いわゆる町弁ですね。市民に身近な法律トラブルを取り扱っています。
 先天性緑内障を持って生まれて,12歳で失明して全盲です。私も実は妻が1人おりまして。普通は1人か(笑)。妻も全盲です。全盲のお父ちゃんとお母ちゃんが目の見える子供2人を育てているという家庭の父親です。
田門:田門浩です。弁護士になり4月で20年目です。生まれつき耳が聞こえません。小さいときから中学部までろう学校に通っていました。高校から地域の学校に通い,その後大学を卒業し,5年間千葉市役所で公務員として働きました。その後1998年から今の仕事に就いています。
 2004年アメリカのギャローデット大学に1年間留学しADA法*4を学びました。大胡田弁護士と同じく町弁です。障害者関連の相談は全体の20%ぐらいです。
司会:司会の藤岡です。東京弁護士会の高齢者・障害者委員会福祉制度部会の委員で,19歳の次男が自閉症,重度知的障害がある親でもあります。

座談会出席の皆さん
左から
大胡田 誠 弁護士
田門 浩 会員
海老原 宏美 さん
藤岡 毅会員 (司会)
藤井 克徳 さん
小峯 健介 LIBRA編集長

Ⅱ 障害当事者として差別を受けた体験談

司会:次に障害当事者としての経験談等をお願いします。

1 耳の聞こえない弁護士として

田門:ろう学校に通っていた中学2年生の時耳が聞こえない人が司法試験に受かったと報道で知り,弁護士を目指しました。
高校から地域の一般の学校に入りました。いくつかの高校の受験を希望しましたが,ほとんどの高校から受験自体を断られました。受験を認めた高校は一つだけでした。社会の壁は厚いなあと思いました。
 東京大学に出願しましたが,初めは受験も拒否されました。「聞こえない人が大学に入っても学べない!?」との理由でした。大学とさんざん交渉して受験ができて,入学できました。入学後も通訳がおらず当初は友達にノートテイクしてもらいましたが,手話通訳無しでは講義内容は理解できません。最初はボランティアの手話通訳者を頼みました。交渉して4年生の時大学から手話通訳費用を出してもらえました。司法試験はマークシート・論文・口述の三段階あり8回目で論文試験に合格しました。口述試験のとき筆談を法務省に求めました。ですが当初法務省から拒否され,何度も交渉した結果,やっと筆談での口述試験が実現しました。
 司法研修所も入所まで4カ月間交渉を続けた結果,通訳者を準備してもらえました。
 法律事務所に入る際も数多く断られ,やっと1カ所だけ今いる事務所に入れました。
 最初の頃は「手話通訳者が一緒の私に依頼が来るか?」と心配でした。ですが依頼者のみなさんは普通に依頼してくれました。
司会:では一般の人に理解してもらいたいことは?
田門:社会は障害者に会うこともなく先入観で「門前払い」します。先入観をなくすためには,何よりもまず本人から話をよく聞く必要があります。
 耳が不自由な人々の中には,手話ができる人も,できない人もいます。手話・筆談・声を大きくする機械・自動音声認識ソフトを使う人などコミュニケーション方法も人それぞれです。
司会:聴覚障害者の相談に対応できないと思う弁護士もいるかもしれませんが。
田門:確かに筆談が難しい聴覚障害者は少なくありません。筆談がかみ合わない場合は手話通訳者を依頼する方法もあります。東京でいえば「東京手話通訳等派遣センター」*5などに派遣依頼できます。費用はそれほど高額でありません。とはいえ法律事務所の規模によっては費用を負担することが難しいかもしれません。また,本人から居住自治体へ通訳の派遣を申請する方法もあり,この場合は費用負担はありません。

2 生活のすべてで差別を受けてきた

司会:続いて海老原さんから当事者としての体験などから。
海老原:赤ちゃんが生まれたら,みんなから,おめでとうと祝福されます。でも障害があると言われません。親も「何でうちにこんな子が」と嘆き悲しんで障害ある子の存在自体を否定します。そこから人生が始まること自体差別と感じます。
 障害者はまず地域の保育園・学校等に入れません。地域で生活しようと思ってもアパートを貸してくれない,通勤ラッシュの時間帯や週末の居酒屋など「混む時間帯は邪魔だから来ないでくれ」と言われることなど日常茶飯事です。生活の全てで差別を受けているとの感覚が強いです。
私が小学校に入る条件は「常に親が付き添うこと」。小学校1年生の時,私の机の周りには半径1メートルの赤いビニールテープが床に張ってありました。ダルマストーブのように。生徒は立ち入り禁止,「転んで怪我でもされたら危ないから絶対にこの子に触ってはいけません」と先生は子供に注意しました。
でも子供って素直で純粋なので,休み時間とかに入ってきて「何で歩けないの?」とか言ってくるので「私はこういう理由でこれができないから手伝って」と言えば,「ああ,そうなんだ」と手伝ってくれるようになります。
 遠足は,みんなはバスで行きますが,私は「親が車で送りなさい」と学校から言われます。でも車で行くと「海老原さんだけ車に乗ってきてずるい!」なんて子供からは言われる。子供って意識は平等です。大人ばかりが差別して,排除して。
大学でも障害を持った学生第1号でした。エレベーターがなく,通りかかる学生に毎日,教室まで車いすごと抱えてもらいました。ある時運んでくれる女の子たちがみんな厚底ブーツで,足がもつれて階段から車いすごと落ちました。幸い無事でした。
 次の日学生課で「そういえば昨日落ちたんです。誰も怪我がなくてよかった」と話をしたら,あっという間にリフトが付きました。大学3年の時でしたが,「なんだ,もっと早く落ちておけばよかった」と思って(笑)。冗談ですけど。やはり事故でも起きないとバリアはなくならないんだなあとは思いました。
 大学で図書館の改修があった時,学校側が「車いすトイレの作り方をアドバイスして欲しい」とか色々聞いてくれたことが印象に残っています。障害者本人が不便なところにいるからこそ実現することです。「これは困る」と発信し,みんなも「困っている人から話を聞く必要がある」と判る。
便利な道ばかり選ばず,差別やバリアに飛び込むことも大事だと学んできました。
 私は24時間に近い介助が必要ですが,自治体によっては1日何時間という上限があるといいます。生きることに地域格差があることはすごく差別だなと思います。

3 「点字を打つ音はうるさい」か?

大胡田:私は中学2年生の時に全盲の竹下義樹弁護士(京都弁護士会)の手記を読んで弁護士を志しました。中学,高校と盲学校でしたので,外の社会と初めてリアルに接したのは大学時代でした。やはり現実を突きつけられました。大学受験用の参考書に点字版などありませんでした。大勢のボランティアに教材を作ってもらいました。
 そして多くの大学から受験自体を拒否されました。慶応大学は比較的スムーズに受験ができて,入学できました。でも入学してアパートを探しましたが,学生寮でも軒並み断られました。決まり文句は「安全が保証できない」「火が出たら危ない」です。結局,大学から電車2本を乗り継いで約1時間かかる場所で下宿が見つかりました。
 4月に大学で授業が始まりました。「ちょっと大胡田くん,荷物を持って前に出てきなさい」と教授が言うんです。どきどきしながら前に行くと「君の点字の音がうるさいと苦情が出ている。君は教室の端っこで授業を受けなさい」と言われました。大学に入って間もなくで結構ショックで思わず教室の前で涙ぐみました。
 ところがこの話には続きがありまして,他の学生が教室のいたるところから私を弁護してくれたんです。
 「君も同じ学生なんだから,好きなところで授業を受ける権利があるんだ!」と。
 大討論会になり結果として「好きなところで授業を受けていい。うるさいと思う人のほうが動けばいい」となったんです。
 辛い経験でしたが,摩擦を起こして互いを理解しないと社会は変わらないと身をもって経験しました。
5回司法試験を受けて合格しました。5回目に「パソコンの画面読み上げソフトを使って司法試験を受験する」ことを交渉しました。点字受験は可能でしたが,今の司法試験の問題は膨大でとても点字では対応できず,パソコン利用を求めました。当初法務省も否定的でしたが,最終的には認めました。これは後に続く人にも成果でした。
 妻は盲導犬を使っており,ものすごく差別を受けます。私が妻と外出するときは1匹の盲導犬が2人の視覚障害者を誘導します。飲食店の入店拒否はよくあります。カフェとかに一緒に入ろうとすると「お客さん,犬は入れません」と言われ,寒い冬の時期でも外のテラス席で震えながらコーヒーを飲むなんてね。タクシーの乗車拒否もよくあります。タクシー乗り場で待っていて,順番が来たので「あ,そろそろ我々だな」と思って行くと,止まらず行っちゃうんです。ナンバーとか会社名が分かれば苦情も言えますが,それもできずに「悔しいよね」と互いを慰め合います。
 不動産屋は「火が出たら危ない,段差があって危ないから物件を紹介できない」と言います。東京消防庁に聞きましたが,視覚障害者が火事を出しやすいというデータはなく,「視覚障害者は火事を出しやすい」は偏見です。
 視覚障害者はむしろ初めて行ったところの段差の場所を覚えて目印にします。だから段差が危ないから紹介できないなんて視覚障害者を知らない故の偏見です。
 障害のない人の側から積極的に質問してほしいんです。火はどうするんですか,段差が危なくないですかと。障害のある側からも,電磁調理器を使うから火の危険はないとか,生活訓練しているから段差は危なくないとか,相手を納得させる努力も必要かもしれません。お互いの『対話と摩擦』が必要と思います。

4 「無関心」こそが一番の差別

藤井:最近ではパワーポイントですね。視覚障害者にとって,視覚情報に頼るパワーポイントでの説明では情報が入りません。また「待って下さい」は結構辛い言葉です。言う方は何の気なしですが,こっちは周りの状況を知りたいんです。それを抜きでは,ワンちゃんに『待て!お座り!』と言われるに近い屈辱感があります。
 そして私は「無知」こそ差別だと思うんです。とりわけ,精神障害・知的障害においては無知どころか「無関心」です。安永健太さん事件という知的障害の青年が不審者と間違われて警察官に後ろ両手錠を掛けられて突然死する事件が2007年に佐賀で起こりました*6。あの法廷を傍聴して驚いたのは,地域を守る警察官が「私は知的障害者と30年以上一度も接したことがありません」なんて平気で言うわけです。
 無知・無関心こそが差別を助長する。「無関心」は直接差別・間接差別とは別の類型の一番の差別行為ではないかと思うんです。

Ⅲ 障害のある人の歴史を振り返る

1 障害者制度の進展と課題

司会:障害者運動を牽引されてきた藤井さん,歴史を教えて下さい。
藤井:戦中,戦前,障害者は「穀潰し」「非国民」など当たり前に言われていました。
 戦後1949年,身体障害者福祉法が初めての障害者プロパーの法律です。
大きかったのは1981年国際障害者年で「一部の構成員を締め出す社会は弱くもろい」「障害者は特別なニーズを持つ普通の市民」など目からうろこの考えが示され「ノーマライゼーション」「リハビリテーション(全人間的復権)」等の理念も進展する。1984年,宇都宮病院事件*7を契機に精神衛生法が社会復帰を盛り込んだ精神保健福祉法に変わった。また障害者の所得保障を目的として1986年度から無拠出の障害基礎年金制度ができました。そこが大きな節目です。
 次の節目は2006年施行の障害者自立支援法です。「障害自己責任」と言われる考えが政策上公然と登場し,「障害は社会の責任で」と積み上げてきた成果が崩れかけました。同法違憲訴訟がそれを食い止めました。一方,国際的には障害者権利条約が2006年国連で採択されました。2006年は日本と世界で対照的な年でした。違憲訴訟の2010年基本合意により大半の障害者は応益負担から逃れられましたが,根本問題は残っています。
次に障害種別の視点で言うと,国際障害者年までは身体障害者中心の政策でした。1979年全ての障害児に教育の機会が与えられ,1980年代以降は知的障害者にも福祉制度が徐々に拡充し,1995年の精神保健福祉法で精神障害者にも福祉制度の一部を利用できるようにと進みます。
 最近は発達障害や難病も福祉制度対象に入り始め,内実はともかく方向性は「障害種別を越えた政策」が方向づけられています。
 他方,民間団体も変化を遂げてきました。戦後,障害種別ごとに様々な団体が誕生しました。その後,国際障害者年を契機に横断的に1980年に100団体余が集まり国際障害者年日本推進協議会ができて,次に2004年日本障害フォーラム(JDF)が種別を越え大同団結となったのです。
 しかし,発展する歴史にあって,まるで沈殿しているかのように動かない問題があります。一つは明治以来変わらない民法の扶養義務制度です。扶養の責任は家族にあると。社会保障の費用負担は原則世帯単位ですが,民法の扶養義務条項が根拠です。つま社会保障の公的責任を曖昧にする温床で障害者本人の自尊心を否定する根源です。
 もう一つが障害者の貧困問題。圧倒的多くの障害者は相対的貧困線以下です。本質の課題が残ったままということを法曹の皆さんに理解頂きたい。
司会:弁護士も障害者権利条約の重要概念を押さえる必要があります。『インクルージョン』を私なりに訳すと「社会の中に誰もが受け入れられてとけ込む社会になること」かと。もう一つが『合理的配慮』,藤井さん解説して下さい。 藤井:50条からなる権利条約に「他の者との平等を基礎として」が35回登場します。権利条約は障害者に新たな権利を与えるわけではなく,もっぱら障害のない市民との平等性の確保を目指しています。『インクルージョン』は,藤岡さん(司会)の訳は正しいですが,端的にいえば「分けない」の4文字です。
 『合理的配慮』はこれまでの国際人権条約にはない概念です。過度な負担でない限り合理的配慮を怠ったら差別ですと言い切ったことが権利条約の特徴です。合理的配慮は「一般的政策」ではありません。私は重箱の三段重ねにたとえます。1段目はユニバーサルデザイン政策。駅でいえばエレベーター。2段目は障害者に対する共通政策で,例えば券売機を車いす用に低くするなど。次にホームから車いすで電車に乗れない時に駅員さんが支援をしてくれる。これが重箱の3段目の合理的配慮です。
 合理的配慮は条約で「特定の場合においては」とあり「個人個人に応じた」という意味です。「過度な負担」はいわば発展途上国や零細な企業等への配慮であり,一般論で言えば先進国で過度の負担の抗弁を乱発するのは恥ずかしい。

2 自立生活運動を通して感じていること

司会:続いて海老原さん,自立生活運動について教えて下さい。
海老原:自立生活運動は障害当事者中心の運動で,アメリカのバークレーで始まりました。それまで障害者は保護の対象で,身体的自立と経済的自立が重視されました。身体的自立とは一生懸命リハビリをして一人で着替えができるようになることなど。経済的な自立は,パソコンを習って仕事をしてお金を稼げるようになりましょうなど。しかしそれだけが自立だと重度障害者の自立は難しい。そのためアメリカで障害者自身が経験・知識を体系化して障害を持つ仲間の相談(ピアカウンセリング)・アドボカシー(権利擁護)をしようとの考えが生まれ,自立生活運動の基礎となります。
 日本でも施設でなく地域の中で自立しようという運動が1980年代頃から始まります。アメリカ留学した障害当事者が持ち帰ったり,それ以前からの青い芝の会(日本脳性まひ者協会)などの流れがあります。1970年代に障害を持った重度の脳性まひのお子さんの将来や介護の大変さを悲観して母親が子供を殺した事件が起きて,ご近所からはお母さんに共感し,刑の減軽運動が起きました。それに対して,「私たち脳性まひ者は殺されても当然の存在なのか」と脳性まひ当事者が刑の減軽反対運動を展開しました。そのような障害当事者の声もやがて自立生活運動につながります。自立生活運動のスローガンは「自己選択・自己決定・自己責任」とされています。家族や施設職員から自己決定を取り戻すことは正しい。けれど運動をここまでやってきて,私は自己責任を強調することに疑問を感じています。とりわけ重度の知的障害者・精神障害者などに,あなたが選んだのだからすべて自己責任ですとする姿勢は支援放棄にもなりかねないと思います。また,自己決定の代わりにやたらと成年後見が使われることは疑問で,医療が必要な重度の障害者や難病者は地域で暮らすのは無理と後見人に判断され病院や施設に入れられているのが現実です。

3 点字の読める視覚障害者は全体の2%程度

司会:大胡田さんに視覚障害のポイントがあればお願いします。
大胡田:日本の視覚障害者は約164万人だそうです*8。一般の方がイメージする視覚障害者は,白い杖をついて,点字が読める人でしょうか。
 まず164万人のうち全盲者は約18万人で全体の約1割です。9割は視覚機能の弱い人でロービジョン*9と呼ばれます。視力がゼロではないが社会的にとても不便を感じながら暮らしている。18万人の全盲者のうち点字を使う人は,3万人とも言われます。全盲者18万人のうち約2割,視覚障害者164万人のうち2%に過ぎません。ロービジョンの方には,視野が極端に狭い障害など多様な障害状態があります。「視覚障害者の合理的配慮は点字」と短絡しないため「対話」が必要です。
 視覚障害者の障害内容の多くは情報障害です。IT技術がこれを変えつつあります。多くの視覚障害者が最近はパソコンが使えます。点字はできなくてもパソコンデータさえあれば様々な情報にアクセスできます。
 制度的な課題として欠格条項があります。公務員試験の多くは「活字に対応できること」が受験や採用の条件です。採用条件に「単独で職務遂行できること」も多く,介助者を必要とする障害者は排除されています。これらは差別だと思います。

4 「手話は『言語』」とは,どういう意味か

司会:田門さんに聴覚障害者の歴史などについて簡単に説明お願いします。
田門:厚生労働省によると,日本で聴覚障害を持っている人は約34万人*10です。このうち日常で手話を使っている人は4~5万人,1割程度でしょう。
1878年ろう学校ができました。実は明治の間は手話を使って教えていたんですよ。ところが大正時代からろう学校で手話が禁止されました。平成に入りいくつかのろう学校で少しずつ手話が使われ始めました。
司会:なぜ聴覚障害の人の学校なのに手話が禁止されたのですか。
田門:昔のろう学校の教育目的は,障害のない人とそっくり同じになるための「同化教育」でした。障害のない人は身振り手振りの手話はせず,口で話します。ろう者もそうすべきと教えられました。手話は発音習得の妨げと誤解され大正時代からろう学校で手話は禁止されました。手話と発語,日本語力が両立可能と分かり,学校で手話が解禁されたのはごく最近のことです。
 でも聞こえない子供は学校に禁止されても,先輩からこっそり手話を習って自然と身に付けました。今こうして手話を使う私も学校では手話は禁止でした。手話を使った姿が先生に見つかれば手をパチンと叩かれました。
 手話禁止時代のろう学校では,生徒は先生の口の形を必死に読もうとしても上手くいかず日本語力も育たない人も多いわけです。この世代の人はろう者同士では手話で不自由なく会話しますが筆談が苦手な人は多い。他方手話ができないろう者も多くいます。
司会:障害者基本法で手話が言語だと規定されましたが,ネイティブな手話の使い手である田門さんにお聞きします。英語など外国語と異なり手話は日本語を伝えるツールに過ぎず日本語の一種ではないのでしょうか。
田門:日本手話は例えば「てにをは」等の助詞は,表情など使って表します。手話の文法は日本語と様々な面で違い日本語と日本手話は別言語です。
 バイリンガルの人も夢の中では母語でしょう。私たちは手話で夢を観ます。寝言も手話です。手話で思考します。頭の中から手が生えて動いている感じです。
 手話は「日本語対応手話」と,「日本手話」の2つに分かれます。生来のろう者が使うのが「日本手話」です。日本語対応手話は,日本語に合わせて手話をします。

Ⅳ 読者に伝えたいこと

司会:では今までで言い切れなかったことなどお願いします。

1 「共に育ち,共に過ごすこと」の価値

海老原:母は「地域で生まれたんだから地域の学校に行くのが当たり前」と本当にシンプルな理由で地域の普通小学校への進学を強力に進めました。
学校からは親の付き添いが入学条件とされましたが,母は仮病を使って休み,やむなく先生が車いすを押すと「なんだたいしたことない」と。ついには「行事の時だけ来て下さい」となりました。
 でもやっぱり差別は強く記憶しています。小学校の修学旅行の山登りで,学校側は「途中転落したら困るから海老原親子は山のふもとにいなさい」と。3時間以上山のふもとで二人きりで待たされました。
 中学になってからは,思春期に親がいつもそばなんて嫌ですから,私は「親の付き添いが条件ならば行事に参加しない!」と学校側に宣言しました。
そしたら緊急職員会議が開かれて「どうしよう,海老原がこう言っている」と大騒ぎで「仕方ない,女性教員が介助しよう」と大きく変わりました。
高校でも大きな変化がありました。トイレや教室移動で教員が介助すると,せっかく友達とおしゃべりしている時に雰囲気を壊しちゃうし,周囲の生徒にも「この子は自分たちとは違う」とインプットされるのも嫌でした。
 そのため高校からはトイレ介助を含め生活介助を友達に全部頼んだんです。日常生活の介助を通して「自分たちと同じようにトイレに行きお腹もすく普通の人なんだ」と知ってもらえたと思います。
 高校時代の友人たちも子を産む年代になり,当然障害児が産まれることもあります。すると「学生時代海老原さんと一緒に過ごしたからか周囲や親がいうほど別に自分はショックじゃなかった」というんです。「大変かもしれないけれど,その子の存在を否定せずに,一緒に生きていこう」とすぐ切り替えられたというんです。
「障害を持った人と共に過ごす」,これは世代を超えて影響することが今になり分かってきて「自分がやってきた日々はむだじゃなかったかな」と。
15年間自立生活センター運動をやってきて,障害者差別をなくすための根本はインクルーシブ教育だと,地域の学校に障害を持った子が存在していること自体が重要なんだと気づきました。勉強なんていつでもできます。でも,人と人が共にいて,葛藤が生まれてぶつかって乗り越えてというのは,小さい頃の経験でしかできないんです。
特別支援学校がそこにある限り「定員割れしないようにそこに生徒を入れよう」とします。今「うちの子は特別支援学校へ」と希望する親が増えています。摩擦を避けて安全な場所にと。でも社会に出たら当然摩擦は起きます。起きた摩擦をコントロールする力を身に付けるためにも地域の学校に行きましょうと当事者として伝えていきたい。

2 障害者ってかっこいい

司会:『全盲の僕が弁護士になった理由─あきらめない心の鍛え方─』(日経BP社)がTBSでテレビドラマ化*11されて松坂桃李さんが大胡田さんを演じました。
大胡田:あのドラマが良かったのは「可哀そうな障害者が健気に頑張るドラマ」じゃないことです。かっこいい松坂さんがすぱっと事件を解決しアシスタントと二人三脚でかっこよく仕事をする。
 去年試しにネット検索すると,障害者差別解消法だと20万件ですが,リオパラリンピックだと1000万件ヒットします。障害者に関心のない人に正義とかをいくらいっても通じにくい。障害者ってかっこいいとポジティブなメッセージの方が伝わりやすいと感じます。海老原さんみたいにきらきらしている障害者が町の中に溢れればすごくいいメッセージと思うんです。
 ただ,誤解もあって,松坂さん演じる私が香水の匂いで浮気が分かるシーンがあるんです。あれから「私の彼の匂いをかいで」なんて言われます。みんなそんなに浮気をしているのか知りませんけど,僕は匂いで浮気は分かりません(笑)。

Ⅴ やまゆり園事件を考える

1 価値のない人などいない,価値を感じられる社会に

司会:次に津久井やまゆり園事件*12から障害者の尊厳など考えてみます。まず海老原さん,主演映画『風は生きよという』*13も織り交ぜてお話しいただければ。
海老原:「障害者は社会に必要がない存在」かですが,人の価値はどこで決まるのでしょう。『風は生きよという』という映画は,尊厳死法制化反対の思いを込めています。
 「呼吸器や胃瘻を付けてまで生きたくない」という風潮もある中で,目の悪い人が眼鏡を掛け,歩けない人が車いすを使うように,呼吸ができない人が呼吸器を使うのは,必要なサポートを受けながら地域で自分らしく生きていく選択肢の一つに過ぎないことの情報提供です。
上映会でのアフタートークでは屋久島の縄文杉と富士山の話をします。屋久島に大勢の人が山を登って杉を見に行きます。「自分の悩みなんてちっぽけだった!」とか感動して帰ります。富士山なんて電車からチラリと見えただけで「今日はいいことあるぞ」なんて思います。でも縄文杉は木に過ぎないし,富士山もただの盛り上がった土に過ぎません。それに感動するのは見ている側の人間の心です。ただの木や土に価値を感じられる人間なのだから,生きている人間に価値を見出せない訳がない。世の中に価値のある人間とない人間という区別などなく価値を感じられる社会になればいいわけです。
 そのためには様々な価値観を持った人が常に分けられずに同じ地域にいることです。
重度知的障害者の役割は何なんだろう,あの人はどんなことをしたら悲しいのかなとか,出会うことで疑問に持つ,そして対話が生まれお互い言いたいことを言い合う過程が必要です。その対話を妨げるのが「分ける教育」で,差別の根源です。
 重度障害者は差別を無くすために不可欠な存在です。そういう人も社会に出て議論を巻き起こすことが必要です。そのための上映会だと思っています。

2 人類の障害者虐殺の歴史は私たちに何を教えるのか

司会:続いて藤井さん,ナチスドイツでの障害者虐殺*14も含めてお話し下さい。
藤井:事件の特異な部分は,法廷で明らかにして欲しい。問題は特異な側面だけでは片付けられない問題です。社会に蔓延する優生思想的な考えに後押しされたのではないか。優生思想的言動は日本の政治・行政のリーダーが繰り返してきました。ある県は8年間「不幸な子どもを産まない県民運動」をやりました。最近もある県の教育委員が「(障害児は)妊娠初期に減らしていける方向に」等。同様の発言は有力な政治家からも繰り返されています。社会の土壌にこのような考えがあり,地続きとして不寛容社会などの今の社会がある。障害者問題は社会の縮図です。
 2015年からNHKとナチスドイツの『T4作戦』*15を共同取材しています。アウシュビッツなどのユダヤ人大虐殺は有名ですが,その前に精神障害者や知的障害者が社会に「価値なきもの」とみなされて20万人以上虐殺された人類の恥ずべき歴史です。価値なきものとは,兵力にならない者,働けない者です。
 日本でも優生保護法により断種を強制された障害者は多数いますが日本政府はこれを未だに謝罪していません。この結びつきを考えないといけない。
 権利条約は優生思想に対峙するがごとく,一番短い第17条で「その心身がそのままの状態で尊重される権利を有する」とします。そのままでいいよと含蓄ある条項です。
 ナチスのヒトラーの精神障害者虐殺命令は1939年9月1日,第二次世界大戦開始日に発令されました。人類はこの象徴的な意味を検証する必要があります。でもこれはヒトラー独自の発案ではなく,翻ること約20年前の1920年に精神科医と法律家による「価値なき生命の抹殺を容認する書」という提言書が出ています。
 障害者虐殺はユダヤ人大虐殺の予行演習に過ぎませんでした。ガスでの大量殺りくの方法や焼却炉などのインフラやノウハウは絶滅収容所に受け継がれました。
この前には何が起きていたか。1933年断種法・遺伝性子孫予防法をヒトラーは政権奪取直後に施行し,遺伝性のろう者,盲人ら約40万人が断種手術を強制され,うち約5000人は死亡します。
 まず断種があり,T4で障害者20万人虐殺,ユダヤ人約600万人の虐殺に至る流れです。実は今回の報道前,障害者虐殺とユダヤ人虐殺は無関係という説もありました。しかし今回の取材で段階的・連続的に実施されたものと決着したと確信しました。
 すると問題は初期段階,断種段階でなぜ食い止められなかったのかです。もっといえばそれ以前に障害者らの断種を許す空気・兆候があったはずです。この歴史から,今の社会をどう評価し,何をなすべきか考えるべきです。

3 大規模入所施設の存在自体に問題があるのでは

司会:では大胡田さん。
大胡田:事件の背景に大規模入所施設の抱える問題を無視できません。津久井やまゆり園は3万㎡に約150名の障害者が入所していました。人間ってたくさん集まると物に見えてきちゃうようなところがあります。そして重度の知的と身体の重複障害など,語弊を恐れずに言えばスタッフからは手間が掛かり精神的ストレスも大きい。無意識にせよ人が物に見えるような心理構造があったのではないか。
 あとは匿名報道の問題です。大勢亡くなった殺人事件で被害者が匿名という例はほぼありませんが,重度知的障害施設だと何故許されるのか。これは障害者を見て見ぬふりをする風潮に繋がります。「あの家には障害者がいる」と言われることを恐れるのは,隠さなければと家族に思わせる社会の問題です。願わくば実名が公表され,顔と名前をもって生きてきた歴史ある一人ひとりと向き合って一緒に考えていきたい。

4 障害のある人が地域の一員でないことが不幸

司会:では田門さん。
田門:加害者は障害者を仲間として見ていなかった。もし,彼らが同じ地域のメンバーと見ているのであれば殺すのではなく,仲間として共に生きることを選ぶはずです。施設に入ると地域から切り離されてしまい,同じ仲間と感じてもらえなくなったことが不幸なことと思います。

Ⅵ 弁護士・弁護士会への変革の必要性や希望

司会:最後に,社会変革の必要性,弁護士・弁護士会に期待することをお願いします。

1 「お店の混雑時に車いすは来るな !」を気軽に相談できる弁護士会に

海老原:弁護士ってものすごくハードルが高くて,相談するのにも相当勇気がいります。日常ちょっと困ったことでも相談できるようにして欲しい。居酒屋に電動車いすで行って「混んでる時は来ないで!」と入店拒否されることはわれわれには日常ですが「これって法的にはどうなんですか?」と気軽に聞けるシステムがあったらいい。弁護士のハードルを下げて門戸を広げたら,助かる人が増えるんじゃないでしょうか。
司会:貴重なご意見ありがとうございます。では,大胡田さん。

2 妄想を抱えるような相談者を支えることこそが弁護士と弁護士会の役割

大胡田:アメリカのある社会学者は,クリエーティブな活動が盛んな都市には「多様性に対する寛容さ」という共通点があるといいます。シリコンバレーなど活発に活動する地域は同性愛者も多くて,多様性に対する寛容さが顕著だと言います。多様な人を包摂(インクルーシブ)するには手間とお金が掛かると思われがちです。でも色んな人の存在で想像力が刺激され,回り回って社会全体の活力になると私は思います。
 また,統合失調症のような妄想を抱える相談者を露骨に嫌悪する弁護士も誠に恥ずかしながら存在します。
しかし,人権の守り手としては,そういう方にこそ弁護士の支援が最も必要と考えるべきです。そういう人の声を聴いて,どうやってみんな一緒に生活できるかを考えてサポートするのが弁護士と弁護士会の役割と思います。

3 障害のある法曹がもっと増えて欲しい

司会:田門さん,お願いします。
田門:障害のある弁護士が増えると障害のある方々も司法にアクセスしやすくなります。今,日本では聴覚障害のある弁護士が約10人,視力障害のある弁護士は8人ほどでしょうか。車いすの弁護士も増えています。でもアメリカなら聴覚障害のある弁護士は300人以上います。視覚障害のある弁護士は何人いるんでしょうか。
大胡田:アメリカでは「そんなの数えられないくらいいるよ」と言われました。
田門:検察官と裁判官も障害のある人がたくさん出ればいいなと思います。

4 弁護士法をちゃんと実行して欲しい!

藤井:弁護士法第1条は「弁護士は,基本的人権を擁護し,社会正義を実現することを使命とする」です。基本的人権と社会正義に最も遠い存在の一つが障害分野です。
 弁護士や弁護士会が,弁護士法をまともに遂行するならば,障害問題にもっと対峙してもらえるはずです。ぜひじかに障害者と接して下さい。無知・無関心は差別と通底します。実態を知って下さい。例えば,精神科病院には医療上必要でない社会的入院患者が10万人以上いて人権侵害です。これらのことにもっと力を発揮して欲しい。
司会:ぜひ気軽にご相談いただける弁護士,弁護士会でありたいと思います。今日は本当に素晴らしい座談会をありがとうございました。

(構成:藤岡 毅)

*4:「Americans with Disabilities Act of 1990」障害を持つアメリカ人法。公民権法の一つとしての障害者差別禁止法。「ADAの衝撃」としてその後の日本や世界の障害者運動に大きな影響を与えた。当会の得重貴史会員による「アメリカにおける障がい者差別禁止法制と運用状況~ADAを学んで~」(「自由と正義」2017年4月号39頁~)が近年のADAの状況を伝えている。

*5:社会福祉法人東京聴覚障害者福祉事業協会が運営。http://www.tokyo-shuwacenter.or.jp/about/

*6:2016年7月1日最高裁決定(「賃金と社会保障」No.1665),2015年12月21日福岡高裁判決,2014年2月28日佐賀地裁判決(「賃金と社会保障」No.1658)。『健太さんはなぜ死んだか─警官たちの「正義」と障害者の命』(斎藤貴男・山吹書店・2017年)

*7:1983年宇都宮市の精神科病院報徳会宇都宮病院で職員らの虐待により患者2名が死亡するなどした事件。日本の精神科病院での人権状況が国際的にも批判を浴びるきっかけとなった。

*8:日本眼科医会の2009年9月17日発表

*9:low vision

*10:厚生労働省「平成18年身体障害児・者実態調査結果」の推計値

*11:http://ec.nikkeibp.co.jp/item/books/197410.html(日経BP社),http://www.tbs.co.jp/tbs-ch/item/d2559/(TBS)

*12:2016年7月26日,神奈川県相模原市にある知的障害者入所施設神奈川県立「津久井やまゆり園」において,2月19日まで常勤職員として勤務していた26歳の男性元スタッフが,19人の利用者を殺害し,27名(職員含む)を負傷させた事件。「事件を起こしたのは不幸を減らすため」等の動機も報道されている。

*13:http://kazewaikiyotoiu.jp/

*14:NHKハートネットTV 2015年8月25日等 障害者と戦争 ナチスから迫害された障害者たち (1)20万人の大虐殺はなぜ起きたのか。

*15:ナチスドイツで行われた障害者安楽死政策。「T4」は安楽死管理局があったベルリンのティーアガルテン通り4番地に由来する。

海老原 宏美〈えびはら・ひろみ〉さん
1977年生。脊髄性筋萎縮症2型。小学校から大学まで普通校に進学。2002年人工呼吸器導入。2001年11月東京都東大和市で自立生活開始。NPO法人自立生活センター東大和理事長,「呼ネット」副代表。DPI日本会議理事,著書『まぁ,空気でも吸って』(現代書館・2015年),出演映画『風は生きよという』。

藤井 克徳〈ふじい・かつのり〉さん
1949年生。1982年1月都立小平養護学校(現小平特別支援学校)教諭を退職し「あさやけ作業所」(日本初の精神障害者作業所)所長。1977年に共同作業所全国連絡会(現きょうされん)結成に参加。NPO法人日本障害者協議会代表,きょうされん専務理事,日本障害フォーラム副代表。著書『生きたかった』(共著・大月書店・2016年),『えほん障害者権利条約』(汐文社・2015年)。

大胡田 誠〈おおごだ・まこと〉弁護士(60期)
1977年生。先天性緑内障により12歳で失明。2006年慶應義塾大学法科大学院修了,同年司法試験合格。著書『全盲の僕が弁護士になった理由~あきらめない心の鍛え方』(日経BP社・2012年)は2014年松坂桃李主演でテレビドラマ化。近著『今日からできる障害者雇用』(弘文堂・関哉直人弁護士らとの共著・2016年)。趣味はマラソン。2009年ニューヨーク・シティマラソンを5時間16分で完走。第一東京弁護士会所属。

田門 浩〈たもん・ひろし〉会員(50期)
1967年生。生まれつき耳が聞こえない。1990年3月東京大学法学部卒業。1991年~1996年千葉市役所勤務。1995年司法試験合格。1998年4月弁護士登録。2003~2004年米国留学。『手話と法律・裁判ハンドブック』(生活書院・2008年)監修。東京弁護士会会員。

司会
藤岡 毅〈ふじおか・つよし〉会員(47期)

東京弁護士会高齢者・障害者の権利に関する特別委員会福祉制度部会長。元・内閣府障がい者制度改革推進会議総合福祉部会委員(2010年4月~2012年7月)。障害者自立支援法違憲訴訟全国弁護団事務局長。介護保障を考える弁護士と障害者の会全国ネット共同代表。

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