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憲法問題対策センター

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第12回 武蔵野市住民投票条例案について(2022年2月号)

弁護士 殷 勇基(東京弁護士会憲法問題対策センター副委員長)

東京都武蔵野市(人口約15万人)の「武蔵野市住民投票条例案」が武蔵野市議会で審議されましたが、2021年12月、同市議会は条例案を否決しました。同じ12月、アメリカのニューヨーク市(人口約880万人。アメリカ最多)の市議会が、外国籍住民(約80万人規模とのこと。約1万人超の日本人を含む)に選挙権を認めた、との報道がありました。

武蔵野市の条例案に対してはかなり激しい反対運動がありました。このような条例案が通れば、外国籍者に市が乗っ取られてしまう、というような言動、さらにはヘイトスピーチ(人種差別的言動。ヘイトスピーチ解消法2条)に該当するような言動もありました。

条例案は、武蔵野市の行う「住民投票」の投票権を外国籍の武蔵野市民に認める、というものでした。住民投票ですので、外国籍の市民が武蔵野市長や市議会議員、さらには国会議員の選挙で投票できる、とするものではありませんでした。また、同市の住民投票制度は投票結果に法的拘束力を持たず、「意見を表明するため」の制度とされていました。同条例案は外国籍住民の政治参加を認めるものではありましたが、その範囲は大幅に限定されていたということができるでしょう。

報道によれば、ニューヨーク市の場合、外国籍のニューヨーク市民に市長選や市議会選などへの投票権(選挙権)を認めるもので、投票権が認められたのは、ニューヨーク市への30日の居住を条件として、永住者と労働許可保持者、ということです。ここには、親に連れられてアメリカへ不法入国したが、入国時に18歳以下だった人(「ドリーマー」)も含みます。なお、日本の報道ではいまでも「不法滞在」「不法残留」という用語が一般ですが、国連などでは、人の存在自体について「不法」という言い方をするべきではないという考えから、「非正規滞在者」とか、「Undocumented Immigrants」(書類に記載されていない移民)というような用語を用いています。

さらに、外国籍住民の参政権を考えるときには、その国の国籍が「開いて」いるか、「閉じて」いるか、も一緒に考える必要があるのではないかと思います。「開いて」いるか、「閉じて」いるかは、たとえば3つの点、つまり、(1)生地主義(出生地主義)か、血統主義か、(2)複数国籍を認めているか、(3)国籍の取得権(「帰化」の権利)を認めているか、という点から考察することができます。例えば(1)について、生地主義にもいくつか種類がありますが、アメリカでは、両親が非正規滞在(アメリカの在留資格がない)でも赤ちゃんがアメリカで生まれさえすれば赤ちゃんにはアメリカ国籍を認める、という生地主義を採用しています。アメリカの国籍は日本の国籍よりも「開かれて」いて、それなのに、さらにアメリカの国籍(さらにはアメリカへの在留資格)がない人にも政治参加を認めたのが今回のニューヨーク市の決定、ということができるでしょう。

日本国憲法が、「人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くもの」として引用しているのは、「国政・・・の権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」という民主主義の原理で(前文)、これは「人民の、人民による、人民のための政治」(リンカーン)に由来しているとされています。民主主義の原理とは、あえて約(つづ)めていうなら、「私たちのことを私たち抜きで決めないで(Nothing about us without us)」とか、「代表なくして課税なし(No taxation without representation)」などということができるでしょう。そこからいうと、「私たち」⇒「人民」や「国民」(両方とも英語では「the people」です)は本来、そこに住んでいる人すべてを広く含むべきはずで、その範囲を狭く理解してしまうと民主主義の原理が損なわれてしまいます。「人民」や「国民」がまずは自国籍の保有者の意味だとしても、ただ、その国籍自体が「閉じて」いるのなら、せめて外国籍のままでの権利を、もう少し広く認めていくのが、上記の人類普遍の原理にかなう方向ではないかと思います。

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