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- 第42回 第2次世界大戦の惨禍を博物館で振り返る(2025年7月号)
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- 第39回 日本学術会議法案の問題点(2025年5月号)
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「戒厳令・緊急事態と憲法~韓国の戒厳令発令と解除から学ぶ危険性~」(2024年12月号) - 第35回 古くて新しい憲法のはなし⑬
「冤罪と三権分立~政府は裁判所の「証拠をねつ造した」との判断を尊重しなければならない~」(2024年11月号) - 第34回「表現の自由の保障の意味を今一度考える」(2024年10月号)
- 第33回「古くて新しい憲法のはなし⑫ 外国人と人権~外国籍と日本国籍とで人権保障に差を設けてよいのか~」(2024年8月号)
- 第32回「『軍事化とジェンダー』を考える ~四会憲法記念シンポジウムの報告~」(2024年7月号)
- 第31回「古くて新しい憲法のはなし⑪ 死刑制度と憲法」(2024年3月号)
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- 第27回「古くて新しい憲法のはなし⑩ 労働者は団結することによって守られる~ストライキと憲法~」(2023年11月号)
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- 第25回「古くて新しい憲法のはなし⑨ 多数決と憲法」(2023年7月号)
- 第24回 「坂本龍一さんと日本国憲法」(2023年6月号)
- 第23回 「憲法とSDGs」(2023年2月号)
- 第22回2022年公開の映画で考える憲法と人権(国際編①)(2023年1月号)
- 第22回2022年公開の映画で考える憲法と人権(国際編②)(2023年1月号)
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- 第17回「古くて新しい憲法のはなし⑥ 憲法9条はお花畑か。」2022年5月号)
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- 第15回「グレーゾーン事態というグレーな領域でのグレーな試論」(2022年4月号)
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- 第6回「表現の不自由展かんさい」を訪れて①(2021年9月号)
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- 第4回「公益と憲法~映画助成金裁判と表現の自由~」(2021年8月号)
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- 第1回「憲法はあなたを守っているのか」(2021年5月号②)
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第42回 第2次世界大戦の惨禍を博物館で振り返る(2025年7月号)
眞珠 浩行(東京弁護士会憲法問題対策センター副委員長)
第2次世界大戦の惨禍を博物館で振り返る
今年は、第2次世界大戦の終結から80年になります。我が日本国憲法の制定及び内容は、アジア太平洋戦争・第2次世界大戦の敗戦がなければありえなかったもので、同大戦とは密接な関係があります。憲法改正が叫ばれ、世界各地で戦争や紛争が相次ぐ現在、同大戦に関連する場所を訪れて、先の大戦とは何だったのか、甚大な被害を避けることはできなかったのか考えるのは意味のあることと思われます。そこで、同大戦における惨禍を象徴するホロコースト及び原爆に関わる博物館をご案内したいと思います。
1 アウシュビッツ・ビルケナウ博物館
ナチス・ドイツによるホロコースト=ユダヤ人大量虐殺が行われたことで知られるアウシュビッツ・ビルケナウ強制絶滅収容所跡は博物館となっており、世界遺産と認定され、年間200万人以上、日本人も年間1万人以上が訪れています。博物館のあるオシフィエンチムとブジェジンカは、ポーランドの古都クラクフから車で約90分の場所にあり、クラクフ等の主要都市からツアーバスが出ていますので、訪れるのは難しくありません。
ナチス・ドイツは、1933年から各地に強制収容所を設立し、ナチス政権に反対する人やユダヤ人を収容しました。1940年に設立されたアウシュビッツでは、最初はポーランドの政治犯を、次に他の国の捕虜やロマの人等を収容しましたが、1942年以降はハンガリーやポーランド、その他ヨーロッパ各地から集めたユダヤ人を最も多く収容しました。ドイツ人でも同性愛や宗教を理由に収容された人もいました。収容されると、老人、子ども、病人、妊婦等労働に適さないと判断された人はガス室に送られ、100万人を超えるユダヤ人等の収容者が毒ガスや銃殺により虐殺されました。
博物館では、犠牲者の写真、収容者の大量の頭髪、カバン、メガネ、義肢・義足、殺害に使われた毒ガス「チクロンB」の空缶等に加えて、ガス室の様子や死体の焼却炉を見学することができますが、筆者はとりわけ、その前で数千人が銃殺されたとされる「死の壁」の前で戦慄を感じました。なお、入口の門の上に掲げられたARBEIT MACHT FREI(働けば自由になれる)の文字のうち、ARBEITのBは上下逆になっていますが、これは作業をした収容者が収容への抵抗を示したものとの見方があります。
同博物館は、このような人類史上最悪の虐殺を記憶し、二度と繰り返さないため、全世界の人が一度は訪れる価値のある場所だと思います。日本は第二次大戦において、ナチス・ドイツと同盟関係にあったことからも、日本人にとって他人事ではありません。
この悲劇の犠牲者たるユダヤ人は、人間の尊厳と人権の大切さを最も理解していて然るべきと思われますが、そのユダヤ人により設立された国家イスラエルが、国際法に反して、パレスチナにおいて多数の無辜の市民を殺害したり飢えさせるだけでなく、イランにおいても先制攻撃を行い、多数の死を作り出したのは、何という不条理でしょうか。国際社会は、世界から非人道的な事態が一層されるよう、最大の努力を尽くさねばなりません。
2 ハリー・S・トルーマン図書館&博物館
1945年8月6日及び9日に広島と長崎へ投下された原子爆弾については、広島平和記念資料館と長崎原爆資料館が代表的な博物館として知られていますが、原爆を投下したアメリカでは、どのように紹介されているでしょうか?その決定を下したのは、アメリカの第33代大統領のトルーマンでした。そのトルーマン大統領が退任後1950年~1966年の間執務した部屋がある建物が、アメリカ中西部のミズーリ州カンザスシティ近くのインディペンデンス市にあり、図書館と博物館として一般に公開されています。
ここでは、トルーマンの生涯、業績等を紹介することに加えて、原爆についての展示があります。筆者は、訪れる前は、原爆投下を決断した大統領の施設である以上、原爆投下を正当化する展示ばかりだろうとの先入観がありましたが、実際に訪れてみると、むしろ、公平な観点から賛否両論を紹介しようとする姿勢を感じました。
例えば、展示物の中には、原爆によって破壊された当時の広島の風景や現在の広島の平和記念公園と長崎の平和祈念像の写真等に加えて、2歳で被爆し12歳の時に白血病で亡くなった佐々木禎子さんの折り鶴があります。また、映像のコーナーでは、LIVES SAVED(救われた命)とLIVES LOST(失われた命)という2つの立場からの証言を収録した音声と当時の写真を組み合わせた映像を視聴できるようになっており、前者においては、原爆のお陰で戦争を終わらせて故郷に帰ることができた等のアメリカ人の証言が、後者においては、原爆の影響で顔がサッカーボールのように腫れあがったこと、数日のうちに数百、数千の人が亡くなったこと、兄弟の足の皮がはがれて敷物のように引きずって歩いていたこと等の日本人被爆者の証言を聞くことができます。後者においては、原爆投下の責任はアメリカだけでなく、アメリカを侵略し、無条件降伏の申し出を無視した日本政府にもあるとの被爆者の証言や、日本が当時核爆弾を持っていれば躊躇なく使っただろうとの別の被爆者の証言も含まれており、日本では紹介されることが少ない被爆者の声として重要と思われます。
その他、原爆開発のマンハッタン計画に参加した約70名の科学者がトルーマンに対し、原爆使用を考える前に、日本に降伏の条件を伝え、その条件を受け入れるか拒むかの機会を与えることを求めた手紙(当時ポツダムにいたトルーマンは、この手紙を受領することはありませんでした)やトルーマンの1945年7月25日の日記「私は、陸軍長官スティムソンに対し、ターゲットは軍事目標や兵士、水兵とし、女性や子どもとすることが無いように告げた。たとえ日本人が野蛮人で、冷酷で無慈悲、狂信的であっても、共通の福祉のための世界のリーダーである我々は、この恐るべき爆弾を過去の又は新しい首都に投下することはできない。」「ヒトラーやスターリンの仲間がこの原爆を発見しなかったことは、確かに良いことだ。それはかつて発見された最も恐ろしいものだが、最も役に立つものにもなりうる」が展示されているのも興味深いところです。この日記によると、トルーマンは、女性や子どもを含む民間人の犠牲は抑えられると考えたのかもしれませんが、両都市において膨大な民間人が犠牲になったことは周知のとおりです。
原爆に関する展示の最後には、SHARE YOUR THOUGHTS(あなたの考えを共有してください)という表示の下にノートが置かれていて、ヒロシマ・ナガサキにおける原爆投下は日本の降伏をもたらすために必要だったか、その決定は奪った以上の人命を救ったか、戦争を終わらせるために他の選択肢があったと思うか等について、来館者が意見を書き込めるようになっていました。
核兵器使用の危機がかつてなく高まっていると言われる現在、ヒロシマ・ナガサキの原爆をもたらしたアメリカの視点も踏まえた上で、原爆投下は避けられなかったのか、日本やアメリカ、その他の国はどうすれば良かったのかを考えてみるのも、意味のあることではないでしょうか。