アクセス
JP EN
憲法問題対策センター

憲法問題対策センター

 

第24回 「坂本龍一さんと日本国憲法」(2023年6月号)

弁護士 石原 修(東京弁護士会憲法問題対策センター委員長代行)
「坂本龍一さんと日本国憲法」

偉大な音楽家、そして社会問題に積極的に発言を続けてきた坂本龍一さんが今年3月28日に亡くなりました。私は坂本さんと一度だけ話したことがあります。45年前の1978年5月14日、私が通う教会の礼拝堂(ルーテル市ヶ谷センター)で坂本さん(当時26歳)は「個展」と題するコンサートを行い、シンセサイザーとコンピュータによる実験的な即興演奏を披露(※)。そのリハーサルの場で、隅に置いてあった古い足踏みオルガンに興味を持たれ、どうぞ使ってくださいと声をかけました。その後、坂本さんを観に、今は無きライブハウス「六本木PIT INN」に何度か通いました。

坂本さんは、平和、人権、環境などの社会問題について自らの意見を積極的に公にしています。「相手が心を開くような伝え方を、僕はいつもこころがけています。」と、ビラの内容やデモの方法についても提言しています(「坂本龍一✕東京新聞 脱原発とメディアを考える」38頁(東京新聞2014年))。
集団的自衛権を法制化する安全保障法案が問題となった2015年、私は関東弁護士会連合会副理事長として各弁護士会の集会や街宣等に参加し、8月30日に行われた国会前10万人集会にも参加しましたが、坂本さんは壇上で約3分間、スピーチをされました。

「SEALDsの若者たち、そして主に女性たちが発言してくれてるのを見てですね、日本にもまだ希望があるんだなと思っているところです。」と若者たちへの希望の言葉から始まり、「ここまで政治状況が崖っぷちになって初めて、私たち日本人の中に憲法の精神、9条の精神がここまで根付いていることをはっきり皆さんが示してくれて、とても勇気づけられています。」とおっしゃいました。押し付け憲法論について、「今の日本国憲法は、アメリカにいただいたという思いもありますけれども、今、この状況で民主主義が壊されそうでして、憲法が壊されそうでして、ここに来て民主主義を、憲法の精神を取り戻すということは、まさに憲法を自分たちの血肉化することだと思うんです。(日本国憲法は)命を懸けて日本人が闘い取ってきたものではなかったかもしれないけれども、今、まさに、そこでやろうとしているのは、僕たちにとっては、イギリス人にとってのマグナカルタ、フランス人にとってのフランス革命に近いことが、今、ここで起こっているんじゃないかと僕は強く思っております。」とされ、「ぜひこれを一過性のものにしないで、あるいは仮に安保法案が通ってもそこで終わりにしないで、ぜひ守り通していって、行動を続けていってほしいと思いますし、僕も皆さんと一緒に行動してまいります。」と力強く締めくくりました。まさに心を開くような伝え方です。インターネット上にその映像が残っています。

坂本さんは、自ら監修した「非戦」(幻冬舎2002年)で、9.11テロについて「もし日本の首相が憲法に基づいて戦争反対を表明し、平和的解決のための何らかの仲介的役割を引き受ければ、世界に対して大きなメッセージを発し、日本の存在を大きく示すことができたはずだ。その絶好の機会を逸してしまったが、まだ遅くはない。これは日本のためだけではなく、二一世紀の国際社会への大きな貢献になるはずだ。」(20頁)と述べ、「私にとっての憲法」(岩波書店2017年)では「理念は力を持っている」との文章を寄せています(2頁)。多数の著作やメディアに彼の想いは遺っています。戦争ではなく対話が求められる今こそ、亡くなる直前まで発信を続けた坂本さんの想いを、相手が心を開くような伝え方で広めることができたらと考えています。

※このときの演奏は「Ryuichi Sakamoto Year Book 1971-1979(commmons)」に収録されています。

憲法問題対策センターメニュー