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憲法問題対策センター

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第1回「憲法はあなたを守っているのか」(2021年5月号②)

弁護士 津田二郎(東京弁護士会憲法問題対策センター事務局長)

労働の分野における女性差別克服の歴史を紐解いてみましょう。
日本で最初の女性差別克服のための裁判は、結婚したら会社を辞めなければならないという「結婚退職制」が争われた裁判でした(住友セメント事件)。女性が結婚したら退職しなければならないという不合理を訴えたこの事件は、1963年に提訴され、一審原告勝利判決が1966年にありました。実に日本国憲法が施行されて約20年にして初めて職場の中の男女差別に光が当たったのです。

この事件の勝利判決に励まされて、1967年、男性が55歳定年なのに女性が30歳で退職しなければならない「若年定年制」について不合理だという裁判が提訴されました(東急機関工業事件)。その後、1960年代から70年代にかけて出産したら退職しなければならない「出産退職制」や「第二子出産退職制」、「男子55歳女子50歳退職制」、「女性であることを理由にした整理解雇基準」などについて次々に裁判が起こされました。裁判は、必ずしも原告の勝利判決だけではありませんでした。裁判官もそれまでの古い考え方にとらわれていたのです。
しかし、全体としてはこれらの差別が是正される方向で事件は解決していき、1980年ころまでには、女性であることを理由とした早期退職制度は認められないことがほぼ確立しました。

1980年以降は、女性が男性同様の賃金を得ることが不可能な賃金制度や手当の支給基準が裁判で争われるようになりました。さらには1985年に男女雇用機会均等法が施行されて、職場の採用において男女を分けることが禁じられるようになりました。総合職・一般職を口実にした、男女別採用も禁じられました。

1990年代には、これらの差別に加えて、女性が事実上昇進・昇格できないようになっている制度の不合理の是正を求めた裁判が次々に行われるようになりました。また、現在では当然の「セクシャルハラスメント」も、1992年に初めて裁判で認められたのです。

このように労働の分野での女性差別は、少しずつ是正される方向で変化してきました。この変化の力になったのは、先に紹介した、日本国憲法の個人の尊重や男女の平等を定めた各規定だったことは間違いありません。

ところで、個人の尊厳や男女の平等を定めた日本国憲法が施行されたのに、どうして何十年にもわたって男性と女性とが別に取り扱われる制度が残っていたのでしょうか。
それは現実に生活している私達自身の問題でもあるのではないでしょうか。
憲法が変わっても、そこに生活している私たちがそれまでと変わらずにいたら、差別や不合理な取り扱いは、現実社会に温存されてしまうのです。
大多数が何も思っていなくとも、たった一人が「生きづらい」「なんかおかしい」と感じたときに、それを解決するための武器になってくれるのが憲法であり、その味方になるのが弁護士だと思っています。

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