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憲法問題対策センター

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第4回「公益と憲法~映画助成金裁判と表現の自由~」(2021年8月号)

弁護士 平 裕介(東京弁護士会憲法問題対策センター副委員長)

2021年(令和3年)6月21日、東京地方裁判所で、リベラルな判決が言い渡されました。東京地裁民事第51部は、数々の映画賞を受賞し、2019年のキネマ旬報ベスト・テン第3位に輝いた映画『宮本から君へ』(本件映画)の製作会社(原告)に対して「助成金」を交付しないこととした独立行政法人(被告)の理事長による行政処分は違法であると判断したのです。当日は多くの記者や市民の方々が傍聴席に座り判決の言渡しを聴き、筆者自身も原告訴訟代理人弁護士の一人としてそれを聴きました。

この裁判では、本件映画の出演俳優の1名が麻薬取締法違反で有罪判決を受け、それが確定したことを理由に、原告(交付内定を受けていました)に助成金を交付しない決定をすることは違法か?が原告・被告間で特に争われました。被告は、「公益性の観点から」交付は妥当ではないと主張していました。つまり、この裁判のポイントの1つは、映画助成に関する「公益」をどのように捉えるべきか?でした。

裁判所は、判決で、「公益」性は「多義的」であり、「具体的にどのような場合であれば公益性に反するのかの判断も個別の事案や価値観等によって分かれ得る」ことから、公益性を理由に内定者に対して不交付決定をすることは、その「運用次第では、特定の芸術団体等に不当な不利益を与え、あるいはその自主性を損ない、ひいては芸術団体等による自由な表現活動の妨げをもたらすおそれをはらむ」ものだと述べ、その上で、「公益」性を理由とする不交付決定の違法性を慎重に審査し、最終的に違法であると判断しました。

「公益」という言葉は、筆者の研究対象である行政法(公法)の世界では、「国民一般の利益」(仲野武志「行政法における公益・第三者の利益」芝池義一ほか編『行政法の争点』(有斐閣、2014年)14頁)を意味します。行政の活動は公益に適するように行われるべきものですが、公益がとても抽象的な用語なので、国家権力によって濫用されるおそれもあり、それが原因で、個人や団体の人権が侵害されたり事実上の制約を受けたりするおそれもあります。

裁判所は、このことを考慮し、行政機関(行政活動を担う組織)が「公益」性を理由に行政活動を恣意的に行った場合の危険性を指摘し、憲法の人権規定の趣旨を重視した法解釈(助成金交付に関連する法律の解釈)を行いました。すなわち、「芸術団体等が時に社会の無理解や政治的な圧力等によってその自由な表現活動を妨げられることがあったという歴史的経緯」に照らし、文化芸術表現の助成事業を行うには「芸術団体等の自主性について配慮」すべきであるなどと判決で明言することで、文化芸術表現の自由(憲法21条1項)を行使する市民や団体ができるだけ萎縮せずに人権を行使しやすくなるような法解釈を行ったものといえるでしょう。

憲法が表現の自由を規定した趣旨には、時の権力者が「情報の内容と情報の伝達過程をコントロールしようとした歴史」(渋谷秀樹『憲法を読み解く』(有斐閣、2021年)58頁)があります。現代では、露骨な表現規制は殆どみられないものの、芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」への補助金不交付決定問題にもみられるように、助成金や補助金等を駆使した間接的な「コントロール」の危険が高まっているといえます。

東京地裁は、「過去」の歴史的経緯という憲法21条1項の趣旨を「現在」の法律の解釈に活かすことによって「公益」という言葉の恣意的な運用(行政権の濫用)を防ぎ、権力の恣意的行使を統制するという「裁判所の役割」(芦部信喜(高橋和之補訂)『憲法 第七版』(岩波書店、2019年)14頁参照)を果たし、基本的人権の歴史を「将来」(憲法11条)につないだのです。

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