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- コラム「憲法の小窓」
- 第36回 古くて新しい憲法のはなし⑭
「戒厳令・緊急事態と憲法~韓国の戒厳令発令と解除から学ぶ危険性~」(2024年12月号) - 第35回 古くて新しい憲法のはなし⑬
「冤罪と三権分立~政府は裁判所の「証拠をねつ造した」との判断を尊重しなければならない~」(2024年11月号) - 第34回「表現の自由の保障の意味を今一度考える」(2024年10月号)
- 第33回「古くて新しい憲法のはなし⑫ 外国人と人権~外国籍と日本国籍とで人権保障に差を設けてよいのか~」(2024年8月号)
- 第32回「『軍事化とジェンダー』を考える ~四会憲法記念シンポジウムの報告~」(2024年7月号)
- 第31回「古くて新しい憲法のはなし⑪ 死刑制度と憲法」(2024年3月号)
- 第30回 映画「オッペンハイマー」と核兵器について(2024年2月号)
- 第29回「日本の憲法の問題点」(2024年1月号)
- 第28回「先島諸島を訪問しました」(2023年12月号)
- 第27回「古くて新しい憲法のはなし⑩ 労働者は団結することによって守られる~ストライキと憲法~」(2023年11月号)
- 第26回 「関東大震災百年に思う」(2023年9月号)
- 第25回「古くて新しい憲法のはなし⑨ 多数決と憲法」(2023年7月号)
- 第24回 「坂本龍一さんと日本国憲法」(2023年6月号)
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- 第22回2022年公開の映画で考える憲法と人権(国際編②)(2023年1月号)
- 第22回2022年公開の映画で考える憲法と人権(国際編➂)(2023年1月号)
- 第21回 2022年公開の映画で考える憲法と人権(国内編①)(2022年12月号)
- 第21回 2022年公開の映画で考える憲法と人権(国内編➁)(2022年12月号)
- 第21回 2022年公開の映画で考える憲法と人権(国内編③)(2022年12月号)
- 第20回「憲法の本質と緊急事態条項」(2022年9月号)
- 第19回「古くて新しい憲法のはなし⑧ 選挙の楽しみ方~有権者としての「特権」を生かそう~」(2022年7月号)
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- 第17回「古くて新しい憲法のはなし⑥ 憲法9条はお花畑か。」2022年5月号)
- 第16回「古くて新しい憲法のはなし⑤ 生活の中で憲法を使って生きてみませんか。」(2022年5月号)
- 第15回「グレーゾーン事態というグレーな領域でのグレーな試論」(2022年4月号)
- 第14回「ウクライナは憲法に何を語りかけているか」(2022年4月号)
- 第13回「古くて新しい憲法のはなし④ ロシアのウクライナ侵攻と日本国憲法」(2022年3月号)
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- 第7回 ワクチン接種者に対する優遇措置について(2021年10月号)
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第35回 古くて新しい憲法のはなし⑬
「冤罪と三権分立~政府は裁判所の「証拠をねつ造した」との判断を尊重しなければならない~」(2024年11月号)
弁護士 津田二郎(東京弁護士会憲法問題対策センター副委員長)
冤罪と三権分立~政府は裁判所の「証拠をねつ造した」との判断を尊重しなければならない~
石破総理大臣が10月12日に日本記者クラブで行われた与野党党首の討論会で、「袴田さんの事件が証拠のねつ造であったのかどうかはいろいろな議論があり、判断する材料は持っていないが、法的に非常に不安定な状況に長く置かれ、高齢になられたことも全般的に考えて検察として判断がなされたと考えている。高齢の袴田さんがああいう状況に置かれたことについては、政府として一定の責任は当然感じなければいけない」と述べた旨報道されました。
「袴田事件」は、1966年6月に静岡県清水市(現静岡市清水区)で、放火され全焼した住宅内でみそ製造販売会社専務の一家4人が遺体で発見された強盗殺人、現住建造物放火事件です。当時同会社の従業員であった袴田巌さんが犯人として逮捕、起訴されましたが、袴田さんは公判で自らは犯人ではないとして無罪を主張していました。しかし、起訴後にみそ製造工場のみそタンク内から多量の血液が付着した状況で捜査機関が発見したとされるいわゆる「5点の衣類」等の証拠に基づき、第一審(静岡地裁)は有罪・死刑の判決を言い渡しました。袴田さんは控訴、上告しましたが、いずれも棄却され、1980年12月に同判決が確定しました。
再審無罪を求めた袴田さんは、二度目の再審請求で2023年3月13日にようやく再審開始決定を得ることができました。
再審開始決定に基づき2023年10月から始まった再審公判では、検察官は再び有罪立証を行い、袴田さんに対して死刑を求刑しましたが、静岡地裁は無罪判決を言い渡しました。無罪判決は、要点①非人道的な取調べによって獲得された自白調書、②最も中心的な証拠であった「5点の衣類」、③袴田巌氏の実家から発見されたとされる「5点の衣類」のズボンの共布について、いずれも「捜査機関によってねつ造された」と認定しました。
さて、石破総理大臣の発言は、裁判所は「証拠がねつ造された」と認定したものの、検察官はねつ造ではないと主張していたことから、「いろいろな議論がある」と指摘したものと思われます。
しかし、憲法のもとで国家権力は、行政、立法、司法の各部門に分けられて(三権分立)、それぞれが相互に監視し合うこと(均衡と抑制)で、国家権力が暴走することを防ごうとしています。
そのため、どんなに不都合であっても、犯罪捜査を行い、被疑者を訴追して刑事裁判にかける行政権は、司法権を担う裁判所の判断を尊重することが求められるのです。裁判所が証拠に基づいて認定した事実を、行政権の長である内閣総理大臣が裁判所の判断が確定しているのに、自らがよく分からないことをもって「判断する材料がない」などということはあってはなりません。裁判所の判断を尊重し、捜査機関による証拠のねつ造があったことを前提として再発防止措置を講じることが必要です。
憲法は、権力の暴走を防ぐためのルールであり、国政上もっとも尊重されなければならないものです。「ルールを守る」というのであれば、まずは憲法を守るところから始めなければなりません。