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憲法問題対策センター

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第14回「ウクライナは憲法に何を語りかけているか」(2022年4月号)

弁護士 松山憲秀(東京弁護士会憲法問題対策センター副委員長 ※執筆時現在)

ウクライナは憲法に何を語りかけているか

2022年2月24日、「ロシアによるウクライナ侵攻」という衝撃的なニュースが全世界を駆け巡りました。
しかし、我が国でどれだけの人がこのニュースを「決して戦争は許してならない」という憲法・国際法に準拠した受け止め方をしたのでしょうか?

私は、「憲法や国際法がいくら戦争は許されないと謳っても、それだけでは国は守れない、という現実が明らかになった」という捉え方をした人の方が多かったのではないか、と危惧しています。
私の危惧の源には、人々の心の中に「戦争は仕方のないもの」という諦観にも似たものがありはしないか、という大いなる疑念が潜んでいます。この諦観にも似たものは、やがて戦争を国策のひとつとして受容することに繋がるのではないか、と恐れているのです。かつて、「日本もそろそろ戦争をしなくちゃ、だめだ」という言葉を、身近で耳にしたことがありました。
妻や夫、子どもや友人の血に塗れ、自分自身をも失う恐れは想像の埒外にして、あたかも国策のひとつを語るが如き姿には、戦慄すら禁じ得ませんでした。

ウクライナをはじめ、世界には、この瞬間も戦争による「恐怖と欠乏」に曝されている人びとが少なくありません。
「明日は生きていられるか分からない」日々は、私たちの想像を遥かに超えていますが、実はすぐ隣にある現実なのです。憲法が前文で高らかに述べているように、私たちは、ひとしくそんな過酷な現実 を免れる権利を有しています。
そして、憲法は、この権利を実現する有力な手立ては、自ら武器を棄て、戦争の危険から身を遠ざけることだと教えてくれています。 この教えは、他所様に夥しい残酷な死と破壊をもたらし、自らも破滅の淵を彷徨ったという歴史的経験に基づく生々しいものです。
世界の現状は、私たちに、この教えと真正面から向き 合い、如何にして「自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争 の惨禍が起ることのないやうにする」のか、智慧を絞ることを求めています。

ロシアのウクライナ侵攻が醸し出している「戦争は許してはならないが、丸腰でいては国を蹂躙されてしまうから、やはり武力は必要なのではないか?」という切迫した危機感を踏まえつつも、我が憲法が、何故、徹底した戦争放棄と戦力不保持、交戦権の否認にまで踏み込んだのか、改めてその意味を問い直すことこそ、現実的思考なのではないでしょうか。

世界の情勢は刻々と揺れ動いています。 もう私たちも、立ち止まってはいられません。

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