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第41回 憲法の成り立ちと憲法改正草案(2025年6月号)

片木 翔一郎(東京弁護士会憲法問題対策センター委員)
憲法の成り立ちと憲法改正草案

1 私たちは憲法をまもらなければならない?
ルールにおいてもっとも大事な要素は、「誰がそのルールをまもる必要があるか」ということです。全く関係ないどこかの学校の校則が自分の学校に適用されると考える人はいないでしょう。

では、私たちは憲法をまもるべきでしょうか(ここでいう、まもるとは護憲という意味ではなく、憲法に従うという意味です)。その答えは、語弊を恐れずに言えば(※1)、多くの人にとって、「NO」です。驚いたかもしれません。しかし、これには根拠があります。それは憲法99条です。

憲法99条:天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

憲法99条には憲法を「尊重」する、つまり憲法をまもるべき立場の人が列挙されています。そこに列挙されているのは、「公務員」を除けば、基本的にこの国の権力者です。ここに「市民」や「国民」といった言葉は入っていないのです。

なぜ、「市民」や「国民」が憲法をまもるべき人のなかに入っていないのでしょうか。その理由は憲法が生まれた理由にあります。

2 憲法の成り立ち
人類が誕生し、農耕や狩猟などをするようになると、各地に人類の集団ができてきました。集団が小さいうちは全員で話し合ってものごとを決めますが、しだいに集団が大きくなってくると、いちいち全員で話し合うことはできません。効率的な運営のためにはリーダーが必要になります。そうして生まれたリーダーの典型例が国王や天皇です。いまの時代ですと総理大臣や大統領もリーダーです。

しかし、こうして生まれたリーダーの中には、ときに自分や自分に近しい人だけが利益を得ればよいと考え、一般民衆のことは考えない悪い人が少なくありませんでした。その結果、重税や侵略戦争などの問題が頻繁に発生し一般民衆が苦しめられました。

憲法は、こうした問題に対処するために、国のリーダーであっても最低限は従わなければならないルールとして生まれたのです(※2)。憲法は人類がその誕生以来数十万年苦しまされてきたリーダーによる悪政という問題に対処するために、つい最近になってようやく手に入れた叡智なのです。

つまり、そもそも憲法というものは国民や市民ではなく、国のリーダーをはじめとする権力者たちがまもるものとして作られたルールなのです。

これこそが憲法の最も重要な本質であり、法律とのいちばんの違いです。

以上のことは、憲法1条がこの国の主権は国民にあると定めていることと表裏一体です。主権者である国民が定めたルールに、天皇やその他の権力者が従うという構造なのです。

3 憲法改正草案
現在の憲法は1946年に公布されて以来、一度も改正されていません。近時、これを改正または全く新しい憲法を作ろうという動きがあり、現在までにいくつかの政党から全体的な改正草案が発表されてきました。それら改正草案の中には、現行憲法の99条に記載されている憲法をまもるべき人のリストから、天皇を外し、代わりに国民を入れる内容のものもあります。つまり、憲法を権力者がまもるべきルールから国民がまもるべきルールに変えようという内容です。また、誰が憲法をまもる必要があるかという記載や、誰にこの国の主権があるかという記載を全く削除してしまうという内容の草案もあります。

これらは憲法の本質を変え、憲法を憲法でなくしてしまうことにほかなりません。人類はやっと手に入れた叡智を手放してよいものでしょうか。

誰かが作った憲法改正草案を見るときは、その草案が主権者を誰に設定しているのか(いないのか)、憲法を誰がまもるルールとして規定しているのか(いないのか)といった、憲法の本質に関わる内容に最初に注目すべきです。

※1 厳密には、憲法には納税の義務、勤労の義務など国民が守るべき義務の記載も少しだけあります。
※2 人類最初の憲法は1215年にイギリスで作られた「マグナ・カルタ」だとする見解が一般的です。

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