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憲法問題対策センター

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第29回「日本の憲法の問題点」(2024年1月号)

弁護士 殷 勇基(東京弁護士会憲法問題対策センター副委員長)
日本の憲法の問題点

日本の憲法に問題があるか、というと、いまの憲法は「民族的」でない、「民族主義が足りない」という、「右派」「改憲派」からの批判、問題提起がある。この問題提起に対しては「左派」「護憲派」はいまの憲法は民族的なものではない、ということを前提としたうえで、憲法が民族主義的である必要はない、として、いまの憲法を「擁護」している。ただ、今回は、いまの憲法は実際には相当に「民族主義」的な色彩を帯びていて、そのことに起因して、人権を守るという点で不十分になっているのではないか、ということをみてみよう。

近代的な西側諸国の憲法は一方で人権を守ることを誓いつつ、他方で「国民国家」体制を基礎としている。日本の憲法も同じだ。一方で人権とは「地球人の権利」のことであり、国民と、非・国民とを区別しない。他方で国民国家は人を国民と、非・国民とに区別するから、基本的なところで衝突、矛盾がある。将来、国民国家体制を超える体制をこしらえることができるまでは矛盾を完全に解決することはできないかもしれないが、ただ、現在でもこの衝突をやりかたによっては緩和することができるだろう。

もっとも、この衝突、矛盾を大きくする方向で制定された、という経緯が日本のいまの憲法にはある。いまの憲法には「国民」の平等を規定する条項がある(14条)。よく知られているように、憲法のGHQ草案(1946年2月13日提示)には13条と16条という条項が置かれていた。13条は「一切ノ自然人ハ法律上平等ナリ」として「自然人」の平等を規定する条項で、16条は「外国人ハ平等ニ法律ノ保護ヲ受クル権利ヲ有ス」という条項だった。こういう国民国家の原理を超えていくような条項が草案に入ったのはGHQ内で起草にあたった人たちが豊かな「国際経験」を持っていたことも影響しているのではないかという分析もある。この13条、16条が46年2月後半から3月にかけての、GHQと、日本の法務官僚たちとの交渉を経て切り詰められ、現在の14条になった。日本の官僚たちは、外国人の権利を切り詰めたい、ということについて十分に意識的だったし、交渉で成果を得た。

このように憲法の文面(テキスト)から外国人の権利を削っていくのに先立って、1945年10月~12月にも動きがあった。1945年10月、日本政府は日本にいる台湾人、朝鮮人の参政権(選挙権と被選挙権)を認めることをいったん閣議決定した。ところが、その後、日本政府は方針を変更し、結局、日本議会(帝国議会)も、12月、台湾人、朝鮮人の参政権について「当分ノ内之ヲ停止[とうぶんのうちこれをていし]」することとした(衆議院議員選挙法の改正。なお、この改正法では沖縄県民の参政権も奪われた)。この改正された選挙法によって46年4月、衆議院議員の選挙が行われた。この選挙で選ばれた衆議院議員たちが(貴族院の議員たちとともに)憲法案を審議して、いまの憲法を確定した。つまり、日本政府と日本議会は台湾人、朝鮮人を憲法の制定過程から排除した(し、(日本を占領していた)アメリカもこれを認めた)。

台湾と朝鮮は戦前、日本の植民地だったので、台湾人、朝鮮人は日本国籍を強制された(ただし、厳密にいうと台湾の植民地化(1895年)では、植民地化当時、台湾人は国籍の選択権をいちおう認められた)。戦後も、1945年ではなく、1952年までは台湾人、朝鮮人は日本国籍を有していた(が、52年に至り、台湾人、朝鮮人は日本国籍を「喪失」した)、というのが日本政府の一貫した立場だ。戦前、日本内地にいる台湾人、朝鮮人男性は参政権を有していた(普通選挙法)。45年10月の閣議決定はそれを男女平等にしたうえで引き継ぐことを意味していた。その後の日本政府の方針の変更には、東京弁護士会の元会長の衆議院議員の強い反対意見が影響した(水野直樹「朝鮮人・台湾人参政権「停止」条項の成立」)。

つまり、日本のいまの憲法は制定過程の選挙から(日本国籍を持っているとされたにもかかわらず)台湾人、朝鮮人を排除した、また、憲法の文面から外国人の権利を切り詰めた、という2つの経緯をもっている。日本のいまの憲法は「日本人」を直接、定義する条項を持たないが、例えば、「日本社会に生まれ、または育って、日本語を母語とし、日本社会に強く影響されて人格形成した人(であって、「血」は問わない)」も日本人に含まれる、と考えていくことは、「血」の民族主義をうすめ、前記の人権と、国民国家との衝突を緩和する方法のひとつ、といえるだろう。しかし、これまでの憲法の「実践」はそうではなかった。

いまの憲法が47年5月3日に施行された後も、在日台湾人、朝鮮人は日本国籍を有している、というのが日本政府の立場だった、ということは前記したが、52年に至り、日本政府は、同じ日本国民のうち、台湾人である日本国民、朝鮮人である日本国民についてだけ日本国籍を「喪失」させる措置をとった。「血」を理由とする国籍の剥奪だったわけだが、これは憲法そのものによる帰結ではなかったものの、いまの憲法の施行下のことだった。にもかかわらず、この措置は憲法に違反しないとされた(1961年最高裁判決)。

「血」の民族主義は日本だけでみられるものではもちろんなく、直ちに全面的に廃棄するべきもの、ともいえないだろう。ただ、「日本人」を「血」で定義する民族主義が日本の憲法の制定過程や、その後の運用に濃くみられること、民族主義を憲法が十分に制御することができなかったという来歴を自覚して、社会で共有することは重要だ。この来歴は、例えば現在の「入管体制」での苛烈な人権抑圧及びこの抑圧を憲法が十分に制御できていないことの遠因ともなっているのではないかと思えるからだ。

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