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- コラム「憲法の小窓」
- 第45回 権力を疑い、人を信じる-憲法からはじまる政治の授業(2025年10月号)
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「戒厳令・緊急事態と憲法~韓国の戒厳令発令と解除から学ぶ危険性~」(2024年12月号) - 第35回 古くて新しい憲法のはなし⑬
「冤罪と三権分立~政府は裁判所の「証拠をねつ造した」との判断を尊重しなければならない~」(2024年11月号) - 第34回「表現の自由の保障の意味を今一度考える」(2024年10月号)
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- 第32回「『軍事化とジェンダー』を考える ~四会憲法記念シンポジウムの報告~」(2024年7月号)
- 第31回「古くて新しい憲法のはなし⑪ 死刑制度と憲法」(2024年3月号)
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- 第25回「古くて新しい憲法のはなし⑨ 多数決と憲法」(2023年7月号)
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- 第22回2022年公開の映画で考える憲法と人権(国際編①)(2023年1月号)
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- 第21回 2022年公開の映画で考える憲法と人権(国内編①)(2022年12月号)
- 第21回 2022年公開の映画で考える憲法と人権(国内編➁)(2022年12月号)
- 第21回 2022年公開の映画で考える憲法と人権(国内編③)(2022年12月号)
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- 第19回「古くて新しい憲法のはなし⑧ 選挙の楽しみ方~有権者としての「特権」を生かそう~」(2022年7月号)
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- 第17回「古くて新しい憲法のはなし⑥ 憲法9条はお花畑か。」2022年5月号)
- 第16回「古くて新しい憲法のはなし⑤ 生活の中で憲法を使って生きてみませんか。」(2022年5月号)
- 第15回「グレーゾーン事態というグレーな領域でのグレーな試論」(2022年4月号)
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- 第8回 憲法学と選挙制度③(2021年10月号)
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- 第6回「表現の不自由展かんさい」を訪れて①(2021年9月号)
- 第6回「表現の不自由展かんさい」を訪れて➁(2021年9月号)
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- 第1回「憲法はあなたを守っているのか」(2021年5月号②)
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第45回 権力を疑い、人を信じる-憲法からはじまる政治の授業(2025年10月号)
西田 美樹 (東京弁護士会憲法問題対策センター委員)
権力を疑い、人を信じる-憲法からはじまる政治の授業
外国にルーツを持つ大学生(日本国籍なので有権者)から「日本の政治体制を教えてほしい」と頼まれ、私は小さなワークショップを開いた。最初に伝えたのは、「政治とは人権を実現するための手段だ」ということだった。政治の話は、憲法の話を抜きにはできない。なぜなら、憲法こそがこの国が何を大切にし、どんな社会を目指しているかを定めた設計図だからだ。
日本国憲法には三つの柱がある。国民主権、基本的人権の尊重、そして平和主義。どれも戦争と抑圧の時代を二度と繰り返さないために選ばれた道だ。人権の章を読むと、単なる理想ではなく、過去への反省が刻まれていることがわかる。魔女狩りでは「異端」が命を奪われ、特高警察の時代には思想や信仰を理由に人が逮捕された。笠置シヅ子という歌手が「ダンスはけしからん」と政府に踊る自由を奪われたこともあった。国家が人の心や表現を支配しようとした時代を経て、憲法は人が「自分の生き方を選べる自由」を守る盾として作られたのだ。
そこから政治の仕組みの話に移った。
国民主権とは、多数決で勝った者が何をしてもよいという意味ではない。むしろ、少数者の人権を守るためにこそ国民が主権者である。自分の人生の主人公は自分自身だから、この国のあり方も一人ひとりが主人公として決める。それが選挙であり、政治参加の意味だ。その意志をどうやって制度にしているのか----立法・行政・司法という三つの権力が互いに監視し合う「三権分立」、衆議院と参議院という二つの議会がチェックし合う「二院制」。こうした仕組みは、暴走する権力を抑えるためにある。
すると学生の一人が、鋭い質問を投げかけた。「どうして日本は大統領制を取らないの?」
私は少し考えてから答えた。「たぶんこの国の憲法は、権力というものを徹底的に疑っているんだと思う。国民から直接選ばれた大統領という存在が、あまりに強い権限を持つことを恐れたのかもしれないね」。言いながら、自分でも腑に落ちた気がした。戦前の日本は、権力をひとつに集中させて暴走した。その反省から、戦後の憲法は「分けて、縛って、疑う」構造を選んだのだ。疑うことは悪ではない。
信頼を長く保つための知恵だ。
1時間ほど語り合ったあと、学生が感想を言った。「すごくよくわかった。日本で生まれ育った人は、こういうことを学校で教わるの?」その一言に、胸がざわついた。私たちの教育現場では、「政治的中立」という言葉のもと、政治を語ること自体がタブー視されている。だが本来の中立とは、何も言わないことではない。どんな立場の人の権利も守るために、判断の基準となる知識をすべての人に与えることだ。政治を知らなければ、主権者として考える力を奪われてしまう。
学生たちにとって、今日の1時間が初めて「自分がこの国を動かす一員なんだ」と感じる時間だったのなら、それだけで価値がある。どこで教わるのか----その問いに私は答えた。「きっと、私たち弁護士の出番がここにあるんだよ」。法廷だけでなく、市民の中で憲法を語る。それこそが憲法の精神を生かす行動だ。権力を疑い、人を信じる。そうした知恵を社会に循環させていくことが、次の時代の「政治教育」なのだと思う。
この国の政治は、遠い誰かのものではない。私たち一人ひとりが、その物語の登場人物であり、同時に脚本家でもある。
