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- コラム「憲法の小窓」
- 第53回 1月5日に伊勢神宮を参拝した高市総理大臣の問題は(2026年2月号)
- 第52回 中国が台湾を武力攻撃しても法理論的にはどう考えても存立危機事態にはなり得ない(2026年2月号)
- 第51回 古くてあたらしい憲法のはなし⑰「多様性」を認めることこそ憲法の理念~同性婚と夫婦別姓を例に~
- 第50回 古くて新しい憲法のはなし⑯「台湾有事は存立危機事態」とした高市発言の問題は(2026年1月号)
- 第49回 加藤陽子教授「近代日本の戦争を戦後80年の地平から考える」を聴講して ~憲法講演会報告~(2025年12月号)
- 第48回 人権擁護大会プレシンポジウムのご報告(2025年12月号)
- 第47回 古くて新しい憲法のはなし⑮「治安維持法制定から100年目の教訓」(2025年11月号)
- 第46回 違憲な安保法制成立から10年たって(2025年11月号)
- 第45回 権力を疑い、人を信じる-憲法からはじまる政治の授業(2025年10月号)
- 第44回 夏休みジュニア・ロースクールの取り組み(2025年10月号)
- 第43回 靖国違憲訴訟弁護団としての思い(2025年9月号)
- 第42回 第2次世界大戦の惨禍を博物館で振り返る(2025年7月号)
- 第41回 憲法の成り立ちと憲法改正草案(2025年6月号)
- 第40回 憲法記念日の街頭宣伝行動のご報告(2025年5月号)
- 第39回 日本学術会議法案の問題点(2025年5月号)
- 第38回 東弁の人権フェスティバル(2025年3月号)
- 第37回 シンポジウムを終えて(2025年3月号)
- 第36回 古くて新しい憲法のはなし⑭
「戒厳令・緊急事態と憲法~韓国の戒厳令発令と解除から学ぶ危険性~」(2024年12月号) - 第35回 古くて新しい憲法のはなし⑬
「冤罪と三権分立~政府は裁判所の「証拠をねつ造した」との判断を尊重しなければならない~」(2024年11月号) - 第34回「表現の自由の保障の意味を今一度考える」(2024年10月号)
- 第33回「古くて新しい憲法のはなし⑫ 外国人と人権~外国籍と日本国籍とで人権保障に差を設けてよいのか~」(2024年8月号)
- 第32回「『軍事化とジェンダー』を考える ~四会憲法記念シンポジウムの報告~」(2024年7月号)
- 第31回「古くて新しい憲法のはなし⑪ 死刑制度と憲法」(2024年3月号)
- 第30回 映画「オッペンハイマー」と核兵器について(2024年2月号)
- 第29回「日本の憲法の問題点」(2024年1月号)
- 第28回「先島諸島を訪問しました」(2023年12月号)
- 第27回「古くて新しい憲法のはなし⑩ 労働者は団結することによって守られる~ストライキと憲法~」(2023年11月号)
- 第26回 「関東大震災百年に思う」(2023年9月号)
- 第25回「古くて新しい憲法のはなし⑨ 多数決と憲法」(2023年7月号)
- 第24回 「坂本龍一さんと日本国憲法」(2023年6月号)
- 第23回 「憲法とSDGs」(2023年2月号)
- 第22回2022年公開の映画で考える憲法と人権(国際編①)(2023年1月号)
- 第22回2022年公開の映画で考える憲法と人権(国際編②)(2023年1月号)
- 第22回2022年公開の映画で考える憲法と人権(国際編➂)(2023年1月号)
- 第21回 2022年公開の映画で考える憲法と人権(国内編①)(2022年12月号)
- 第21回 2022年公開の映画で考える憲法と人権(国内編➁)(2022年12月号)
- 第21回 2022年公開の映画で考える憲法と人権(国内編③)(2022年12月号)
- 第20回「憲法の本質と緊急事態条項」(2022年9月号)
- 第19回「古くて新しい憲法のはなし⑧ 選挙の楽しみ方~有権者としての「特権」を生かそう~」(2022年7月号)
- 第18回「古くて新しい憲法のはなし⑦「有権者」って誰だ~国民主権をめぐって~」2022年6月号)
- 第17回「古くて新しい憲法のはなし⑥ 憲法9条はお花畑か。」2022年5月号)
- 第16回「古くて新しい憲法のはなし⑤ 生活の中で憲法を使って生きてみませんか。」(2022年5月号)
- 第15回「グレーゾーン事態というグレーな領域でのグレーな試論」(2022年4月号)
- 第14回「ウクライナは憲法に何を語りかけているか」(2022年4月号)
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- 第8回 憲法学と選挙制度①(2021年10月号)
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第53回 1月5日に伊勢神宮を参拝した高市総理大臣の問題は(2026年2月号)
弁護士 堀井準(憲法問題対策センター委員)
2026年1月5日、高市総理大臣は伊勢神宮内宮に参拝しました。この参拝が憲法20条3項に定める政教分離に反するかどうかが問題となります。
国家と特定宗教とが結びつくときに異教徒や無宗教者に迫害が生じることは歴史の示すところであり、信教の自由の保障は同時に国家の非宗教性かつ宗教的中立を要請します(浦部法穂「全訂憲法学教室134頁」参照)。
我が国では旧憲法下で国家神道が国民に強制されました。神社は宗教ではない、と言われ、神社に参拝することは「臣民タルノ義務」(旧憲法では臣民タル義務、に反しない限りにおいて信教の自由が保障されていました)とされていたのです。神社、神官には公法上の地位と官吏の地位が与えられていました。
国家神道の中心(本宗)は伊勢神宮でしたし、今でも伊勢神宮は神社神宮の本宗とされています(宗教法人神社本庁による)。諸説ありますが、純然たる神話を除けば、7世紀終わりころ、藤原不比等が天皇家の祖神として現在の内宮に天照大神を遷宮したというのが有力な考え方です。天孫降臨を天皇制の根拠としている日本書紀はその後に編纂されたと考えられています。天武帝以降の天皇制確立を当初から大きく支えてきたのが伊勢神宮と言えます。伊勢神宮参拝の問題を考えるにあたり旧憲法下で強制された国家神道への参拝や神社の公的地位、なかでも国家神道の中心とされていた伊勢神宮の地位・歴史を無視することはできません。
国家機関である内閣総理大臣の参拝が政教分離に反するか否かを判断するにあたって最高裁判所が基準としているのが、「目的効果基準」です。これは、その行為の目的が宗教的意義を持ち、その効果が宗教に対する援助・助長・促進または圧迫・干渉等になるかどうか、によって判断すべきとする考え方です(最大判昭和52・7・13民集31-4-533津地鎮祭事件、最大判平成9・4・2民集51-4-1673愛媛玉串料事件等)。
高市総理大臣は「国家国民の安寧と皇室の弥栄をお祈り致しました」とXへ投稿しています。参拝の目的は「世俗的」と評価できる余地がありますが、「参拝」という宗教的行為によって、国家神道の中心神という特定宗教の教義への帰依と国家神道の正当性を誇示し、国家神道との過度の関わり合いを促しています。参拝が歴代の内閣総理大臣によって行われたことにより伊勢神宮に援助・助長・促進の効果をもたらせてきたことも否定できないでしょう。参拝は「目的効果基準」によっても政教分離に反し違憲であると言わざるを得ません(芦部信喜憲法5版158~163頁参照、ここで引用されている福岡高判平成4・2・28判時1426-85、大阪高判平成4・7・30判時1434-38、アメリカのエンドーストメントテスト参照)。
なお、目的効果基準については、問題となる行為の「目的」が世俗的であれば政教分離に反しない、という基準の立て方自体が問題だという指摘があります。もともと政教分離は政治権力と宗教の結合を否定するものである以上、政治上の目的のために政治が宗教を使うことは目的効果基準以前のこととして政教分離に反するという見解や(樋口陽一「憲法」217頁)、論理的には世俗的目的を示してどんなに宗教的性格の強い国の行為でも基準をパスさせる可能性を認めることになるが、それは政教分離規定がまさに禁止しようとしたこと(宗教を利用した政治目的の実現)を許容することになる(今関源成「法学教室」247-19頁)、という見解などです。これらの目的効果基準を否定する考え方からは、内閣総理大臣が「国民の安寧と皇室の繁栄」を内閣総理大臣として祈願する、という政治目的のために伊勢神宮という特定宗教を利用すること自体が政教分離に反するということになります。
政教分離に関しては、制度的保障か人権か、など他の論点もあり、これは国民が司法判断を求める上において問題となります。いずれまた考え方を紹介しましょう。
いずれにしても内閣総理大臣の伊勢神宮参拝は、靖国神社への参拝と同様に、国家神道を強制された過去への反省に基づいて制定された政教分離への脅威となりうる重大な問題なのです。
