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憲法問題対策センター

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第55回 「解散」は首相の専権事項とはこれ如何に(2026年3月号)

弁護士 髙井健太郎(東京弁護士会 憲法問題対策センター副委員長) 

先の衆議院選挙の結果は、みなさまのご承知のとおりですが、この総選挙については、高市早苗首相による衆議院解散表明の当初より、国内外の多くの優先課題を後回しにし、支持率の高いうちに議席を増やそうという党利党略の「大義」なき解散権濫用であると野党等から批判を浴び、それに対して、高市首相も様々な争点を解散の理由として掲げていました。

本コラムでは、今回の解散理由の是非はともかくとして、あらためて、衆議院解散を首相の専権事項であるとする根拠はどこにあるのか?解散権の行使に限界はないのか?等々を、日本国憲法に立ち返って少し考えてみようと思います。

解散決定権に関する明文規定はない

日本国憲法には、衆議院の解散に関する条文が4つあります。

まず、第7条3号は、「衆議院を解散すること」を天皇の「国事に関する行為」の一つと定めています。また、第45条では、衆議院議員の任期を4年としつつ「但し、衆議院解散の場合には、その期間満了前に終了する」とその例外を定め、第54条1項では、「衆議院が解散されたとき」から衆議院議員の総選挙と国会の召集に至る手続きを、同条2項では、参議院の同時閉会と参議院の緊急集会について、そして、第69条は、衆議院が内閣不信任案を可決または信任案を否決したときには、10日以内に「衆議院が解散されない限り」内閣は総辞職しなければならないと定めています。

天皇は「国政に関する権能を有しない」(第4条)ので、第7条3号の「衆議院を解散する」行為は、決定済みの衆議院の解散を名目的に宣明する行為にすぎません。そうすると、日本国憲法には、衆議院解散の実質的決定について明示する規定は一つもないことになります。

したがって、いつ何時、いかなる国家機関が衆議院を解散することができるか、この国政上きわめて重大な解散決定権の問題は、日本国憲法の解釈に委ねられているということになりそうです。

「7条解散」という政府解釈

日本国憲法から導かれる解散決定権の在りかたについては、これまで大きく分けて2つの考え方がありました。

その一つは、解散の行われるのは、69条の場合に限られるというものです(69条限定説)。これは、先に触れたように、69条は、衆議院により内閣不信任の意思が表明された場合、「衆議院が解散されない限り」と規定するだけで、解散決定権の行使主体について積極的に述べてはいないものの、この場合には、内閣総辞職との二者択一を義務づけられる反面として、衆議院を解散するという決定は内閣に委ねられていると解するのです。

もう一つは、69条の場合に限られないというものです(69条非限定説)。この考え方は、さらに、権力分立制・議院内閣制を採る憲法全体の構造を根拠として、衆議院による内閣不信任の有無にかかわりなく内閣による自由な解散権を認められるという考え方と、天皇の国事行為に関する内閣の「助言と承認」には実質的な決定を含む場合もあるとして、先に触れた7条3号を根拠に内閣の自由な解散決定権が認められるという考え方とに分かれます。

69条限定説については、憲法制定段階においてGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)民政局が採っていた解釈とされ、憲法施行後はじめての衆議院解散の際には、この解釈に従った取り扱いがなされましたが、それ以降は、政府解釈に基づく7条3号を根拠とする解散(いわゆる「7条解散」)が常態化し、今回を含め過去27回の解散のうち、69条の場合の解散は4回しかありません。

「7条解散」は違憲か

「7条解散」については司法の場で争われたこともあります。第3次吉田茂内閣による1952年8月の衆議院解散(いわゆる「抜き打ち解散」)について、衆議院議員だった苫米地義三氏が、69条の場合以外の解散は憲法違反であるとして、衆議院議員たる地位の確認等を求めて提訴しましたが、最高裁は「国家統治の基本に関する高度に政治性のある国家行為の判断は、主権者たる国民に対して政治的責任を負うところの政府、国会等の政治部門の判断に委され、最終的には国民の政治判断に委ねられている」として司法判断を回避しました(これを「統治行為論」といいます)。実際に政府解釈による「7条解散」の実例が積み重ねられている以上、もはやこの問題については、結着がついているようにもみえます。

しかし、記憶にあるところでは、1986年の中曽根首相による「死んだふり解散」、2005年の小泉首相による「郵政解散」、そして、近年では、2017の安倍首相による「国難突破解散」や高市首相による今回の解散に至るまで、首相による解散権濫用の問題は、その都度に蒸し返され、くすぶり続けているのです。

解散権に限界はないのか

「衆議院解散は首相の専権事項」といいますが、現状においても内閣総理大臣による解散権行使には、限界が存在します。その一つは、解散は必ず国会の会期中に行われなければならないというものです。今回の解散も1月23日に召集された通常国会の冒頭に行われました。もう一つは、先に述べたように、憲法解釈から導かれる解散決定権の主体は、あくまでも「内閣」なので、必ず全会一致の閣議決定が必要となります。つまり、内閣中に解散に反対する閣僚がいた場合には、首相は、当の閣僚を罷免しなければならず、実際に、1976年には、多くの閣僚の反対で、当時の三木武夫首相が衆議院解散を断念したこともありました。この点では、「解散は「首相」の専権事項」という言説は間違いであり、少なくとも「解散は「内閣」の専権事項」となります。

そうした手続面以外に、内容面における解散権行使の限界は考えられるのでしょうか。69条非限定説の立場をとる憲法学者の中でも、内閣に自由な解散権を与え、議会を解散の恒常的な脅威の下に置くことによって、各政党の国民意思への接近競争を生み出すことこそが日本国憲法がとる代表民主制の理念にかなうという見解がある一方(高橋和之『立憲主義と日本国憲法』)、内閣による裁量的解散権の行使には限界があり、69条の場合を除けば、①衆議院で内閣の重要案件(法律案、予算案)が否決され、または審議未了となった場合、②政界再編成等により内閣の性格が基本的に変わった場合、③総選挙の争点でなかった新しい重大な政治的課題(立法、条約締結等)に対処する場合、④内閣が基本政策を根本的に変更する場合、⑤議員の任期満了時期が接近している場合、などに限られるとする見解もあります(芦部信喜[高橋和之補訂]『憲法』)。

解散権の制限への動き

先に触れた苫米地事件の最高裁判決ではありませんが、この問題の結着は、原則的には、主権者たる国民、そしてその国民から国政の運営を託された政府・国会における自律的判断に委ねられています。

石破茂前首相も、首相就任前には、1978年当時の保利茂衆議院議長が残した「主権者である国民の直接選挙で選ばれ、国民の厳粛な信託のもとに、国政審議を行う責任と義務を負っている衆議院に対して、特別の理由もないのに、行政府が一方的に解散しようということであれば、それは憲法上の権の濫用ということになる」と解散権の濫用を諫める内容の文書(国立国会図書館所蔵)に言及し、「偉大な先輩の知恵を学ぶことの重要性を強く思う」と記していました(2024年6月14日付「石破茂オフィシャルブログ」)。にもかかわらず、その約4か月後の同年10月、首相就任直後に衆議院解散が断行されたことは、記憶に新しいところです。

一方、昨年2025年6月には、当時の立憲民主党による議員立法「解散権濫用防止法案」(正式法案名:衆議院の解散に係る手続等に関する法律案)が衆議院に提出されました。この法案は、内閣が衆議院を解散しようとする場合には、解散理由および予定日を10日前までに国会に通告し、そのうえで国会での審議および国民への情報公開を義務付けるなどの内容となっており、今回の衆議院解散によって自動廃案となってしまいましたが、政権が掲げる解散理由に焦点をあてて、国会という公論の場の俎上にのせることを制度化する試みであり、解散権の制限に向けられた動きの一歩として評価できるでしょう。

国民的議論による総括を

いうまでもなく、衆議院の解散とは、国民から原則4年の任期を与えられた議員の資格を任期途中で失わせるという国民にとっての重大事態です。先に触れた保利文書にあるように国民主権と議院内閣制の本旨に立ち返るならば、立法措置によるものか慣習形成によるものかはともかく、内閣による解散権の行使には何らかの制限が設けられてしかるべきでしょう。特に今回のように前回総選挙から短期間(1年3か月)での場合にはなおさらです。日本国憲法誕生から80年を迎える今日、高市内閣による今回の衆議院解散を契機として、あらためて、政府・国会においてどのような総括・議論が行われるのか、また、どのような国民的議論が巻き起こるのか注視したいと思います。

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