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憲法問題対策センター

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第59回 日の丸を燃やしてはいけないの?Part 2(2026年7月号)

弁護士 眞珠浩行(憲法問題対策センター副委員長)

1 2021年6月、筆者は、東京弁護士会の会報「LIBRA」に「日の丸を燃やしてはいけないの?」というコラムを掲載し、国旗損壊罪を定めることの問題点を論じました。当時、現在の高市首相らは議員立法として、国旗損壊罪を定める刑法改正案を国会に提出しようとしましたが、自民党内の意見はまとまらず、提出は結局見送られました。

しかし、2025年10月に高市氏が首相となったことで、2026年6月、自民党、日本維新の会、国民民主党及び参政党は新たに、「国旗の損壊等の処罰に関する法律案」を国会に提出し、7月17日に可決されたことは広く報道されているとおりです。

この法案については、日本弁護士連合会の他、東京弁護士会等の多数の弁護士会も会長声明を発出し、憲法上の人権を侵害し民主主義に反する問題点のある違憲の立法であるとして反対しました。それら問題点については各会長声明を参照いただくこととして、このコラムでは、各声明であまり触れられていない点について述べたいと思います。

2 同法案は、国会提出前の当初案では「日本国を侮辱する目的」を必要としていましたが、自民党はこの目的を削除し、「行為の外形、周囲の状況その他の客観的な事情を総合的に勘案して行う」とすることによって内心の自由に立ち入らないようにしたと説明しました。

しかし、このような修正によっても、内心の自由が侵害されるおそれがあることに変わりはありません。国旗損壊罪の疑いのある事件が発生した場合、警察や検察は、行為者がどのような動機、意図、目的等で損壊等の行為を行ったのかを取り調べるでしょうし、検察官による起訴の判断や裁判所の判決においても、動機等は重要な要素となるでしょう。このように当該事件の被疑者・被告人が動機等の自白を迫られ、それがどのような思想・信条を持っているのかの告白を強いられることにつながれば、日本国憲法第19条が定める思想・良心の自由を侵害することになります。また、このような思想・良心によって逮捕、起訴、刑罰の有無や程度が左右されれば、「信条」による差別を禁じた憲法第14条に反することにもなります。

諸外国の憲法では、思想・良心の自由のような内心の自由を定めるものはほとんどありません。にもかかわらず日本国憲法があえてこの自由を定めたのは、治安維持法等によって内心の自由まで支配しようとした戦前の悪しき経験の反省に基づくものです。国旗損壊罪は、我が国の精神的自由権の保障を戦前のレベルにまで後退させることにつながりかねません。

3 民主社会にとって情報の自由な流通は不可欠であり、憲法第21条の保障する表現の自由は、表現の送り手の自由と共に、そのような表現の受け手の自由、いわゆる「知る権利」も保障するものと解されています。したがって、国旗を燃やしたり汚したりする行為については、それが国のあり方に対する批判的表現であれ芸術的表現であれ、表現者の表現の自由と共に、受け手の「知る権利」が保障されなければなりません。「人に著しく不快叉は嫌悪の情を催させるような方法により」といった曖昧な構成要件により、国旗を使った表現活動が萎縮することになれば、表現者の表現の自由のみならず、そのような表現を受け取れたはずの、受け手の知る権利も侵害されることになります。

もっとも、国旗を汚すような表現活動といっても、想定が難しいと思われる方もいらっしゃるかもしれません。しかし、国旗を使った芸術的表現は、日本においては会田誠氏による作品等が知られていますし(朝日新聞「国旗損壊罪『逮捕者一号は僕かな』 現代美術家・会田誠さんの思い」)、諸外国、特にアメリカでは、著名な現代美術家であるジャスパー・ジョーンズの"Flag"(旗)シリーズやフェイス・リンゴールドの"American People Series #18: The Flag Is Bleeding"(アメリカン・ピープル・シリーズ#18:国旗は血を流している)等、枚挙に暇がありません(ARTnews JAPAN「星条旗のアート作品ベスト25:ナム・ジュン・パイクらが表現した"愛国心 "と" 批判"」)。我が国において国旗を使ったこのような自由な表現が困難となり、受け手の鑑賞の可能性が閉ざされれば、文化的損失であることは明らかです。

4 国旗損壊罪の3条は「この法律の適用に当たっては、表現の自由その他の日本国憲法の保障する国民の自由と権利を不当に侵害しないように留意しなければならない。」と定めていますが、これは表現の自由侵害の可能性を自認するものですし、「留意」では歯止めになりません。また、衆議院内閣委員会では、政治的な意見表明や芸術表現等を処罰対象にしないよう求める付帯決議がなされましたが、これは警察、検察や裁判所に対する法的拘束力がない上、何をもって政治的な意見表明や芸術表現にあたると判断するのか不明であり、行為者としてはこれらにあたると考えても警察等から別の判断がされる可能性がある以上、これによって表現の自由侵害の問題点が解消するものではありません。

5 国旗損壊罪については、立法事実、すなわち、立法の必要性を裏付ける事実の欠如が指摘されてきました。この点、「予防的立法事実」なる言葉によって正当化する説明もなされましたが、将来起こりうる抽象的な可能性だけで刑罰を定められることになれば刑罰法規は無限に拡大しうることになり、市民的自由は著しく脅かされてしまいます。

6 国旗損壊罪が保護しようとする法益としては、国旗を大切に思う国民の感情が挙げられています。しかし、このような一部の人の感情は、それが多数人のものであっても、刑罰をもって保護されるべき法益とすべきではありません。これを許してしまえば、市民的自由は著しく脅かされてしまうことは「予防的立法事実」と同様であり、刑罰によって保護されるべき法益は、生命、身体や財産、公共の安全、公務の公正に対する信頼等の具体的権利や利益に限定されるべきです。この点、「テキサス州対ジョンソン裁判」においてアメリカ連邦最高裁判決が示した「政府は表現が不快であるとかそれを支持し得ないからといって禁止することはできない」との判示部分(上記コラム参照)は、日本国憲法の下においても妥当するというべきです。

7 衆議院内閣委員会の審議中、日本維新の会の議員からは、国旗損壊罪によって「今後一層、国旗を大切にする気持ちが醸成され、愛国心も醸成されていくと考えている」との発言も飛び出しました。同罪は、国家の象徴たる国旗の損壊という「不敬」行為を処罰するとの威嚇の下、国民に愛国心を求めることによって、国家権力への服従を強いることを意図しているのではないかが疑われます。

しかし、そもそも日本国憲法は、個人の尊厳(憲法13条)を根本原理としており、国家は、主権者たる国民が、個人の尊厳を確保するために作ったものとの立場に立っています(憲法前文「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。」)。したがって、国家は国民に対して服従を強いるべきではなく、むしろ、主権者たる国民によってその権力行使のあり方が不断に監視されるべき存在です。

日本が、各個人の尊厳と人権が保障され、言いたいことが自由に言える、生きやすい素晴らしい国であれば、人々は自然に国を愛するでしょう。刑罰によって愛を強制することはできません。そのような強制は愛の本質に反することは明らかであり、刑罰による威嚇をもって愛国心を押し付けようとすれば、そのような強権的で全体主義的な国は愛せないとして、かえって愛国心を持てなくなる人が増えてもおかしくありません。

8 表現の自由は、憲法21条に加えて、国連の自由権規約(市民的及び政治的権利に関する国際規約)19条2項によっても保護されており、同規約についての一般的意見34は、「公的及び政治的問題に関する情報及び考えの自由な伝達は不可欠である」とした上で(パラグラフ20)、「旗や象徴に対する不敬」について懸念を表明し、規約の「締約国は,軍隊や行政など,機関に対する批判を禁止してはならない」こと(パラグラフ38)としています。国旗損壊罪は、この規約及び意見に違反している疑いがあります。

9  日の丸については、アジア・太平洋戦争及び第二次世界大戦に至るアジア諸国に対する侵略戦争や軍国主義の象徴として受け取られてきた歴史的経緯からして、不快感を持つ方がいることにも配慮すべきです。日本と共に日独伊三国同盟を形成したドイツ及びイタリアでは国旗を損壊等する行為を処罰する法律はあるものの、これら両国においては第二次大戦当時に用いられていた国旗は戦後変更され、悲惨な戦争の記憶とは一応切り離されています。しかし日本は日の丸を戦前から使い続けており、戦争の記憶と切り離せないと感じる方もいらっしゃいます。

これら両国以外にも国旗の損壊等を処罰する国はありますが、裁判においては、国旗を傷つける等した行為は政策を批判する表現であるとして無罪とされたり、政治的文脈が考慮されて刑が免除、減刑される等表現の自由への配慮がなされており、機械的に処罰されているわけではありません。

10 国旗損壊罪は、これを違憲と考える多くの憲法学者や反対する市民の声を押し切って成立しました。しかし、このような違憲の疑いの強い罪は、仮に具体的事件に適用されても、違憲性が争われることは必至です。同罪の成立で終わりではなく、市民社会と弁護士会は、捜査機関による国旗損壊罪の運用を監視すると共に、引き続き違憲性を主張し、廃止を求めていかねばならないとの思いを新たにしています。

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