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憲法問題対策センター

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第60回 死者の復員 戦死者の復員業務懈怠と靖國神社合祀のカラクリ(2026年8月号)

弁護士 内田雅敏(憲法問題対策センター委員)

ポツダム宣言第9項は「日本国軍隊ハ完全ニ武装解除サレタ後各自ノ家庭ニ復帰シ、平和的、且ツ生産的生活ヲ営ム機会ヲ得シメラレルヘシ」と謳っています【注1】。捕虜収容所でこの条項を目にした若き法学徒は、〈家に帰れるのだ!また勉強ができるのだ!〉と感激し食い入るようにこの条項に目を凝らしたといいます。
国家には戦争の終結に際し、強制動員した兵士を復員させる義務が発生します。復員の対象となるのは生存兵士だけでなく、戦死者も当然含まれるはずです。具体的には戦死者の遺骨の収集と送還です。
敗戦後、戦死者の遺族の多くが、名前の書かれた紙片だけが、あるいは石ころだけが入った「白木の箱」を受け取らされました。「遺骨なき七十九年の空白よ 戦死せし義父の墓じまいする」(2024年9月22日の朝日歌壇)
アジア・太平洋戦争における日本人の死者約310万人中、海外で亡くなった将兵約240万人、そのうち遺骨が還って来たものが100余万人、未だ100~140万人の遺骨がニューギニア、フィリピンなどの南海の島々、ビルマ、タイ、そして中国大陸に放置されています。
遺族として長年遺骨収集に携わって来たI氏は、国の遺骨収集業務の遅れを非難したところ、同席していた元佐官クラスの陸軍軍人から「そんなに怒ることはない。皆、すでに靖國神社に帰っているよ」と言われたそうです。ここに「魂」を靖国神社にお迎えしているから遺骨は放置されていてもかまわないという「靖国合祀」のカラクリがあります。明仁天皇夫妻(当時)のぺリリュウ島への慰霊の旅の報に接し、〈靖國はぺリリュウ島より遠いのか〉と歯がみし、「あんな処へ行ったって、骨はあるかもしれんが、魂はいねえよ」と悪態を吐いたのをちくられ、不敬だとして辞任させられた靖國神社の宮司もいました。「魂は俺が持っているぞと宮司言い」(詠み人知らず)です

戦死者の魂の靖國神社への「復員」は1945年8月15日の敗戦を経て、同年11月から、靖國神社で開催された臨時大招魂祭に「始まり」ます。同年11月19日から靖國神社で天皇臨席【注2】の下、靖國神社で臨時大招魂祭が挙行され、大東亜戦争(アジア・太平洋戦争)で亡くなった全ての戦死者(戦病死を含む)の魂を靖國神社に集めたとのことです。
この臨時大招魂祭は、同年12月15日に連合国軍総司令部(GHQ)より発せられた神道指令「国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ビニ弘布ノ廃止ニ関スル件」、(国教分離指令とも呼ばれる)が不可避であるとの見通しの下、同年11月30日の陸・海軍省解体の直前に大急ぎで別格官幣社という国家施設であった靖國神社で行われた国家行事です。
大急ぎでなされた臨時大招魂祭は、靖國神社に全ての戦死者の魂を「復員」させたとしますが、全ての戦死者の魂といっても、招魂に際しては個々の戦死者は特定されておらず、戦死した場所等も分からないものでした。分かるのは厚生省(当時)から各戦死者の個人情報「祭神名票」が送られて来てからです。名前等具体的な事実も分からないままに、すべての戦死者の魂を招魂してしまったというのですから靖國神社は凄い神通力を持っていると思われます。
靖國神社は、聖戦史観(大東亜戦争史観・植民地解放史観)によって戦死者を顕彰し、兵士の再生産を図る軍事施設・戦争神社でしたが、同時に戦死者の魂の合祀という「カラクリ」によって、戦死者の復員、具体的には遺族への遺骨の送還という国家による「復員」義務を事実上免除してきました。
硫黄島では今なお滑走路の下に約1万人の遺骨が遺されていると言われています。沖縄では、南部戦跡地の遺骨混じりの土砂を辺野古の海に埋め立て、米軍基地が建設されようとしています。今、話題になっている山口県長生炭鉱の遺骨収集問題も、民間の問題であると同時に当時の国策によるものですので、根は同じです。
日本政府は死者を敬ってはいません。戦没者の遺骨収集を「国の責務」とした戦没者遺骨収集推進法が議員立法で成立したのは、戦後70余年を経た2016年になってからです。
靖國問題には、憲法の政教分離原則、平和主義違反だけでなく、国家による戦死者復員業務の懈怠の看過という重要な問題点もあるのです。

【注1】シベリア抑留はポツダム宣言9項違反。宣言時にはソ連の署名はないが、その後署名。8月9日の宣戦布告では、四ヵ国宣言(ポツダム宣言)を受け入れないからとしている。
【注2】この時、天皇は、国民の前に、初めて軍服でなく背広姿で現れた。

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