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憲法問題対策センター

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第62回 町内会が神輿を担ぐということ(2026年10月号)

弁護士 棚橋桂介(東京弁護士会 憲法問題対策センター事務局長)

2026年4月22日付けの中日新聞は、名古屋市熱田区の伝馬本町町内会が、熱田神宮の末社の祭礼費などを町内会費から支出していたことをめぐる訴訟で、和解が成立したと報じました。町内会が、一般の会費から祭礼費や奉賛金を支出せず、会員に宗教行事への参加を強制しないことなどを約束したというものです。判決によって裁判所の法的判断が示されたわけではありませんが、身近な町内会の活動について考えさせられる出来事です。

実は、この問題については重要な先例があります。佐賀地判平成14年4月12日判時1789号113頁です。

この事件では、地域自治会である「町区」が、神社の氏子関係費や祭礼に関する費用を一般の区費(自治会費)から支出していました。神社神道を信仰しない住民らが、神社関係費を除いた区費を支払おうとしたところ、町区は住民らを構成員として扱わなくなりました。そこで住民らは、構成員としての地位の確認と慰謝料などを求めて提訴しました。

判決は、神社関係費を含めて区費を徴収する方法は住民らの信教の自由を侵害し、違法であると判断して、構成員としての地位を認めました。慰謝料請求については、町区側の対応に至る具体的な経緯などを踏まえて棄却していますが、区費の徴収方法の違法性を明確に示したことが重要です。

この判断を理解するには、日本国憲法が信教の自由を保障し、政教分離原則を定めていることから考える必要があります。

憲法20条は、信教の自由を保障し、宗教上の行事への参加の強制を禁じています。信教の自由には、宗教を信じる自由だけでなく、信じない自由も含まれます。また、同条と89条が定める政教分離原則は、国や地方公共団体が特定宗教と結びつき、これを援助することなどによって個人の信教の自由が損なわれるのを防ぐための仕組みです。国家神道の歴史への反省を背景としますが、国家の宗教的中立性は、あらゆる宗教・宗派の間だけでなく、宗教を信じる立場と信じない立場との間でも求められます。

宗教を信じるかどうか、信じるとすれば何を信じるかは、個人の生き方に関わる根本的な選択であり、本来、各人の自由な判断に委ねられるべき事柄です。特定の宗教を信じる人々が自ら団体をつくって祭礼を行うことは、信教の自由の行使です。しかし、宗教を信じるかどうかに拘わらず地域住民の共同生活を支える町内会が、特定宗教の活動を自らの事業に取り込むことは、これと同じではありません。

もちろん、町内会は国や地方公共団体ではなく、憲法の政教分離規定が直接適用されるわけではありません。佐賀地裁もこの点を明示した上で、私人間の関係であっても、信教の自由を侵害する強制が社会的に許容される限度を超えるなら、民法1条、90条等の趣旨に照らして違法になるとしました。公権力に対する政教分離の要請をそのまま町内会に当てはめるのではなく、その根底にある個人の信教の自由を保障する考え方を、町内会と構成員との関係にも生かしているのです。

判決が重視したのは、町区の公共的な性格でした。町区は清掃や地域行事、広報、行政との連絡などを担い、加入率は98パーセントを超えていました。同じ地域に代わりとなる自治会もなく、形式上は任意加入でも、脱退は地域生活の上で容易ではありません。判決は、町区を実質的に強制加入団体に準ずるものと位置づけ、多様な信仰や価値観を持つ構成員を前提とした運営を求めました。被告町区は判決当時、地方自治法上の認可地縁団体でしたが、地域生活におけるこうした公共性や脱退の難しさは、認可を受けていない町内会にも生じ得ます。

判決は、神社が住民の憩いの場となり、祭礼が住民の融和に役立ってきたことも認めています。しかし、そのような役割があっても、神社や神事の宗教性を無視できるわけではありません。町区と氏子集団は組織的にも会計的にも区別されておらず、町区が実質的に祭礼を主催し、宮司への手当などを区費から支出していました。判決は、神社関係費の支出が町区の活動目的を超えるものであり、区費の徴収と支出が密接に結びついている以上、神社関係費を含む区費の徴収は、住民らにとって事実上、信仰しない宗教への参加を強制するものだと判断したのです。

しかし、この判決で注目すべきなのは、それだけではありません。判決は、住民の絆を強めるという目的自体は正当でも、神事を伴う祭りをその手段とすることには神社神道を信仰しない人への配慮が必要だとし、町区の公共的性格等に照らせば、地域自治会は本来の地域的共同活動に専念すべきであり、神事を伴う祭りは「被告町区とは明確に区別された氏子集団等の組織によって行われるべきである」と述べています。

これは、祭礼費を負担させたり、祭礼への参加を強制したりしなければ、それでよいという話ではありません。町内会が特定宗教の祭礼を、自らの事業として企画・準備・運営すること自体、その違法性が強く疑われると考えるのが、判決の論理に沿った理解でしょう。

そのことは、神輿(みこし)が出る祭りを考えると、よりはっきりします。神輿は神の御霊を乗せるためのものであり、神輿の渡御は神道の神事です。地域の伝統として親しまれているからといって、その宗教的性格が失われるわけではありません。神輿が出るような祭りの企画・運営を、町内会が組織として担うことは、特定宗教の活動を地域住民一般の共同組織が引き受けることにほかなりません。

町内会自身が運営主体である限り、参加や費用負担を任意にしたり、祭礼費を別会計にしたりするだけでは、この問題は解消されません。「○○町内会祭礼委員会」のような内部組織を設けても、町内会の一部である以上、組織を分離したことにはなりません。宗教を信じる自由も信じない自由も尊重されるためには、信仰を共通の前提としない(はずの)町内会が特定宗教の担い手にならないことが重要です。祭りを大切に思う人々の自由は尊重されるべきですが、その祭りを行うのは、町内会から独立した、自発的に参加する氏子集団などの役割であるはずです。

長く続いてきた地域の慣習だからといって、憲法が保障する信教の自由に関わる問題が見過ごされてよいわけではありません。私たち弁護士・弁護士会も、町内会の活動という身近な場面において、一人一人の信教の自由が守られているか、目を向けていく必要があります。

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