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- コラム「憲法の小窓」
- 第62回 町内会が神輿を担ぐということ(2026年10月号)
- 第61回 古くてあたらしい憲法のはなし⑲憲法を変えなくてもできること―変わるべきは行政、国会。問われているのは私たち―(2026年9月号)
- 第60回 死者の復員 戦死者の復員業務懈怠と靖國神社合祀のカラクリ(2026年8月号)
- 第59回 日の丸を燃やしてはいけないの?Part 2(2026年7月号)
- 第58回 最低賃金の季節がやってきた!--「最低賃金額の大幅な引上げを求める会長声明」について(2026年7月号)
- 第57回 古くてあたらしい憲法のはなし⑱「世界情勢が変わったから憲法9条も変えなければならない」のか ~世界はまだ憲法9条に追いついていない~(2026年5月号)
- 第56回 憲法記念日の街頭宣伝行動のご報告(2026年5月号)
- 第55回 「解散」は首相の専権事項とはこれ如何に(2026年3月号)
- 第54回 靖國神社を巡る東弁会長談話(2026年3月号)
- 第53回 1月5日に伊勢神宮を参拝した高市総理大臣の問題は(2026年2月号)
- 第52回 中国が台湾を武力攻撃しても法理論的にはどう考えても存立危機事態にはなり得ない(2026年2月号)
- 第51回 古くてあたらしい憲法のはなし⑰「多様性」を認めることこそ憲法の理念~同性婚と夫婦別姓を例に~
- 第50回 古くて新しい憲法のはなし⑯「台湾有事は存立危機事態」とした高市発言の問題は(2026年1月号)
- 第49回 加藤陽子教授「近代日本の戦争を戦後80年の地平から考える」を聴講して ~憲法講演会報告~(2025年12月号)
- 第48回 人権擁護大会プレシンポジウムのご報告(2025年12月号)
- 第47回 古くて新しい憲法のはなし⑮「治安維持法制定から100年目の教訓」(2025年11月号)
- 第46回 違憲な安保法制成立から10年たって(2025年11月号)
- 第45回 権力を疑い、人を信じる-憲法からはじまる政治の授業(2025年10月号)
- 第44回 夏休みジュニア・ロースクールの取り組み(2025年10月号)
- 第43回 靖国違憲訴訟弁護団としての思い(2025年9月号)
- 第42回 第2次世界大戦の惨禍を博物館で振り返る(2025年7月号)
- 第41回 憲法の成り立ちと憲法改正草案(2025年6月号)
- 第40回 憲法記念日の街頭宣伝行動のご報告(2025年5月号)
- 第39回 日本学術会議法案の問題点(2025年5月号)
- 第38回 東弁の人権フェスティバル(2025年3月号)
- 第37回 シンポジウムを終えて(2025年3月号)
- 第36回 古くて新しい憲法のはなし⑭
「戒厳令・緊急事態と憲法~韓国の戒厳令発令と解除から学ぶ危険性~」(2024年12月号) - 第35回 古くて新しい憲法のはなし⑬
「冤罪と三権分立~政府は裁判所の「証拠をねつ造した」との判断を尊重しなければならない~」(2024年11月号) - 第34回「表現の自由の保障の意味を今一度考える」(2024年10月号)
- 第33回「古くて新しい憲法のはなし⑫ 外国人と人権~外国籍と日本国籍とで人権保障に差を設けてよいのか~」(2024年8月号)
- 第32回「『軍事化とジェンダー』を考える ~四会憲法記念シンポジウムの報告~」(2024年7月号)
- 第31回「古くて新しい憲法のはなし⑪ 死刑制度と憲法」(2024年3月号)
- 第30回 映画「オッペンハイマー」と核兵器について(2024年2月号)
- 第29回「日本の憲法の問題点」(2024年1月号)
- 第28回「先島諸島を訪問しました」(2023年12月号)
- 第27回「古くて新しい憲法のはなし⑩ 労働者は団結することによって守られる~ストライキと憲法~」(2023年11月号)
- 第26回 「関東大震災百年に思う」(2023年9月号)
- 第25回「古くて新しい憲法のはなし⑨ 多数決と憲法」(2023年7月号)
- 第24回 「坂本龍一さんと日本国憲法」(2023年6月号)
- 第23回 「憲法とSDGs」(2023年2月号)
- 第22回2022年公開の映画で考える憲法と人権(国際編①)(2023年1月号)
- 第22回2022年公開の映画で考える憲法と人権(国際編②)(2023年1月号)
- 第22回2022年公開の映画で考える憲法と人権(国際編➂)(2023年1月号)
- 第21回 2022年公開の映画で考える憲法と人権(国内編①)(2022年12月号)
- 第21回 2022年公開の映画で考える憲法と人権(国内編➁)(2022年12月号)
- 第21回 2022年公開の映画で考える憲法と人権(国内編③)(2022年12月号)
- 第20回「憲法の本質と緊急事態条項」(2022年9月号)
- 第19回「古くて新しい憲法のはなし⑧ 選挙の楽しみ方~有権者としての「特権」を生かそう~」(2022年7月号)
- 第18回「古くて新しい憲法のはなし⑦「有権者」って誰だ~国民主権をめぐって~」2022年6月号)
- 第17回「古くて新しい憲法のはなし⑥ 憲法9条はお花畑か。」2022年5月号)
- 第16回「古くて新しい憲法のはなし⑤ 生活の中で憲法を使って生きてみませんか。」(2022年5月号)
- 第15回「グレーゾーン事態というグレーな領域でのグレーな試論」(2022年4月号)
- 第14回「ウクライナは憲法に何を語りかけているか」(2022年4月号)
- 第13回「古くて新しい憲法のはなし④ ロシアのウクライナ侵攻と日本国憲法」(2022年3月号)
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- 第11回マイナンバーカード普及推進の問題点(2022年1月号)
- 第10回「古くて新しい憲法のはなし③「大人になる」ってどういうこと?」(2022年1月号)
- 第9回 東アジアを巡る国際情勢の変化と日本人の戦争意識(2021年12月号)
- 第8回 憲法学と選挙制度①(2021年10月号)
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- 第8回 憲法学と選挙制度③(2021年10月号)
- 第7回 ワクチン接種者に対する優遇措置について(2021年10月号)
- 第6回「表現の不自由展かんさい」を訪れて①(2021年9月号)
- 第6回「表現の不自由展かんさい」を訪れて➁(2021年9月号)
- 第5回 演劇「あたらしい憲法のはなし3」が2021年9月10日~12日まで東京芸術劇場で開催されます(2021年9月号)
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第62回 町内会が神輿を担ぐということ(2026年10月号)
弁護士 棚橋桂介(東京弁護士会 憲法問題対策センター事務局長)
2026年4月22日付けの中日新聞は、名古屋市熱田区の伝馬本町町内会が、熱田神宮の末社の祭礼費などを町内会費から支出していたことをめぐる訴訟で、和解が成立したと報じました。町内会が、一般の会費から祭礼費や奉賛金を支出せず、会員に宗教行事への参加を強制しないことなどを約束したというものです。判決によって裁判所の法的判断が示されたわけではありませんが、身近な町内会の活動について考えさせられる出来事です。
実は、この問題については重要な先例があります。佐賀地判平成14年4月12日判時1789号113頁です。
この事件では、地域自治会である「町区」が、神社の氏子関係費や祭礼に関する費用を一般の区費(自治会費)から支出していました。神社神道を信仰しない住民らが、神社関係費を除いた区費を支払おうとしたところ、町区は住民らを構成員として扱わなくなりました。そこで住民らは、構成員としての地位の確認と慰謝料などを求めて提訴しました。
判決は、神社関係費を含めて区費を徴収する方法は住民らの信教の自由を侵害し、違法であると判断して、構成員としての地位を認めました。慰謝料請求については、町区側の対応に至る具体的な経緯などを踏まえて棄却していますが、区費の徴収方法の違法性を明確に示したことが重要です。
この判断を理解するには、日本国憲法が信教の自由を保障し、政教分離原則を定めていることから考える必要があります。
憲法20条は、信教の自由を保障し、宗教上の行事への参加の強制を禁じています。信教の自由には、宗教を信じる自由だけでなく、信じない自由も含まれます。また、同条と89条が定める政教分離原則は、国や地方公共団体が特定宗教と結びつき、これを援助することなどによって個人の信教の自由が損なわれるのを防ぐための仕組みです。国家神道の歴史への反省を背景としますが、国家の宗教的中立性は、あらゆる宗教・宗派の間だけでなく、宗教を信じる立場と信じない立場との間でも求められます。
宗教を信じるかどうか、信じるとすれば何を信じるかは、個人の生き方に関わる根本的な選択であり、本来、各人の自由な判断に委ねられるべき事柄です。特定の宗教を信じる人々が自ら団体をつくって祭礼を行うことは、信教の自由の行使です。しかし、宗教を信じるかどうかに拘わらず地域住民の共同生活を支える町内会が、特定宗教の活動を自らの事業に取り込むことは、これと同じではありません。
もちろん、町内会は国や地方公共団体ではなく、憲法の政教分離規定が直接適用されるわけではありません。佐賀地裁もこの点を明示した上で、私人間の関係であっても、信教の自由を侵害する強制が社会的に許容される限度を超えるなら、民法1条、90条等の趣旨に照らして違法になるとしました。公権力に対する政教分離の要請をそのまま町内会に当てはめるのではなく、その根底にある個人の信教の自由を保障する考え方を、町内会と構成員との関係にも生かしているのです。
判決が重視したのは、町区の公共的な性格でした。町区は清掃や地域行事、広報、行政との連絡などを担い、加入率は98パーセントを超えていました。同じ地域に代わりとなる自治会もなく、形式上は任意加入でも、脱退は地域生活の上で容易ではありません。判決は、町区を実質的に強制加入団体に準ずるものと位置づけ、多様な信仰や価値観を持つ構成員を前提とした運営を求めました。被告町区は判決当時、地方自治法上の認可地縁団体でしたが、地域生活におけるこうした公共性や脱退の難しさは、認可を受けていない町内会にも生じ得ます。
判決は、神社が住民の憩いの場となり、祭礼が住民の融和に役立ってきたことも認めています。しかし、そのような役割があっても、神社や神事の宗教性を無視できるわけではありません。町区と氏子集団は組織的にも会計的にも区別されておらず、町区が実質的に祭礼を主催し、宮司への手当などを区費から支出していました。判決は、神社関係費の支出が町区の活動目的を超えるものであり、区費の徴収と支出が密接に結びついている以上、神社関係費を含む区費の徴収は、住民らにとって事実上、信仰しない宗教への参加を強制するものだと判断したのです。
しかし、この判決で注目すべきなのは、それだけではありません。判決は、住民の絆を強めるという目的自体は正当でも、神事を伴う祭りをその手段とすることには神社神道を信仰しない人への配慮が必要だとし、町区の公共的性格等に照らせば、地域自治会は本来の地域的共同活動に専念すべきであり、神事を伴う祭りは「被告町区とは明確に区別された氏子集団等の組織によって行われるべきである」と述べています。
これは、祭礼費を負担させたり、祭礼への参加を強制したりしなければ、それでよいという話ではありません。町内会が特定宗教の祭礼を、自らの事業として企画・準備・運営すること自体、その違法性が強く疑われると考えるのが、判決の論理に沿った理解でしょう。
そのことは、神輿(みこし)が出る祭りを考えると、よりはっきりします。神輿は神の御霊を乗せるためのものであり、神輿の渡御は神道の神事です。地域の伝統として親しまれているからといって、その宗教的性格が失われるわけではありません。神輿が出るような祭りの企画・運営を、町内会が組織として担うことは、特定宗教の活動を地域住民一般の共同組織が引き受けることにほかなりません。
町内会自身が運営主体である限り、参加や費用負担を任意にしたり、祭礼費を別会計にしたりするだけでは、この問題は解消されません。「○○町内会祭礼委員会」のような内部組織を設けても、町内会の一部である以上、組織を分離したことにはなりません。宗教を信じる自由も信じない自由も尊重されるためには、信仰を共通の前提としない(はずの)町内会が特定宗教の担い手にならないことが重要です。祭りを大切に思う人々の自由は尊重されるべきですが、その祭りを行うのは、町内会から独立した、自発的に参加する氏子集団などの役割であるはずです。
長く続いてきた地域の慣習だからといって、憲法が保障する信教の自由に関わる問題が見過ごされてよいわけではありません。私たち弁護士・弁護士会も、町内会の活動という身近な場面において、一人一人の信教の自由が守られているか、目を向けていく必要があります。
